03時14分、起床。

ニュースチェック。

新しい人事で、総務大臣政務官に、石川県から、山田修路参議院議員が内定。

ご努力の賜物であります。

おめでとうございます。


06時15分、自宅スタート。


07時00分、渋谷後援会会長にお誘いいただき、リンクスにてゴルフ。

なぜか?筋肉が邪魔してスイングが定まらない。

49-54=103

一年ぶりの割には、迷惑をかけずに済みました。


11時40分、終了。


昼食後、荒木秘書の運転で小松空港へ。


14時45分、小松空港発JAL188便搭乗


15時50分、羽田空港到着。

天野秘書の迎えで、故 鈴木啓三先生のご自宅 直行。

鈴木先生のご自宅に向かう途中、懐かしの第一体育寮の前を通りましたが、今はもう取り壊されて空き地になっていました。

あの丘の中腹の二階建ての体育館も。

三津屋はありましたが。


根岸陸橋を左に折れて、生田駅方面へ。

この辺り、毎朝走りました。

魔の金メダル坂も走りました。

青春時代が蘇ります。

そして、川崎市麻生区。

17時15分、ご自宅に弔問。

高校三年生の時に、専修大学レスリング部にスカウトしていただき、文学部国文学科に入学させていただきました。

国語科の教員免許を取得でき、ロス五輪日本代表にまで育ててくださった鈴木啓三先生。

思い出にはきりがありません。

ほとんど叱られたことはなく、むしろいつも笑顔で激励をしてくださいました。

学生にムチャなプレッシャーを与える指導法ではなく、自主性を尊重し、チャンスを与えて伸ばす、そんな監督でありました。


公私ともに、大変お世話になりました。

温和でありながら、的確なご指導あればこそ、有意義な4年間の学生時代を生田の第一体育寮で過ごすことができました。

8畳一部屋に6人。

それはもう、過酷で、賑やかで、とっても楽しい空間でした。

人生を生きる上で大切なことは全て、ここで学びました。

鈴木啓三先生、本当にありがとうございました。

このご恩は、専修大学レスリング部のOB会長・名誉監督として、そして日本レスリング協会副会長として、後輩の面倒を見ることで、しっかりと後を継ぐことで、お返ししたいと思います。

鈴木啓三先生を囲んで、また賑やかに飲みたかったであります。

松浪健四郎先生も、ビクトル古賀先生も、寂しがっています。

合掌。

奥さまの明美さんと、しばし昔話で懐かしみました。

「で、お墓はどうするの?」
「あたしの実家の佐渡よ!」
「えー、佐渡まで行くの?」
「だって、あたしの実家のお墓でしか面倒見てくれないじゃない。いつかあたしも入るんだからさ!」
「そりゃ、そうだわね。じゃ、お墓参りに行くから、場所教えてよ!」
「来なくていいわよ、佐渡まで!」
「俺は行くって言ってんだから良いじゃん。」
「まぁね、来るっていうなら、良いわよ。」
「で、明美さんはここに住むの?これからも?」
「そうよ」
「一人で?」
「そう」
「寂しいじゃん」
「何言ってんのよ、自分の家なんだから寂しくないわよ。仏壇もあるし。」
「ま、そりゃそうだわね。じゃ、ご仏壇にお参りにも来れるね」
「そうよ、たまには鈴木に会いに来てちょだい。」
「わかりました。ところで、こんな階段と坂道のあるおうち、お買い物大変じゃん?」
「そうよ、大変よ〜。駅前まで行かなきゃならないんだから!」
「生協で注文すれば?ウチも使ってるよ、生協。便利だよ。」
「生協だと買いすぎちゃうんじゃないの?」
「買いすぎなきゃ良いじゃんー」
「そりゃそうね」

というわけで、いつの間にか弔問が生協の注文の話題にまで拡散してしまったのだが。

思いの外、明美さんがお元気そうで安心。

二人の息子さんもすぐに連絡の取れる距離にいるので安心のようだ。

お孫さんも四人。

鈴木先生とすれば、今しばし、お孫さんの成長を楽しみにしたかったのかもしれないが、これもまた天命。

われわれレスリング部の活躍を手向けにできるように、努力を重ねたい。

心から、合掌を捧げ、退出。


18時25分、帰宅。


晩ご飯。