午前4時21分起床。

スマホがけたたましい。

金沢の秘書から、地元北國新聞一面の記事がLINEされる。

「山野市長、辞意表明」

と。

衝撃のスクープ。

大徳地区でのサテライト金沢(競輪場外車券売り場)開設をめぐる、一連の騒動の判断ミスが招いた道義的責任を取っての辞任。

残念だが、重い決断。

事の経緯を、改めて振り返りたい。

① 前回の市長選挙前に、サテライト金沢開設予定事業者と、開設協力の念書(平成22年10月13日)を交わし、選挙支援を受ける。(利益誘導?)

② 市長当選後、市議会では一貫して

「議会の意思は市民の意思」

と答弁し、開設には慎重姿勢を示しながら、平成23年9月議会でのサテライト金沢開設意見書賛否を決する2か月も前(平成23年7月19日)に、事業者の要請に応じて、「開設同意文書」に署名捺印(私印)する。

(議会への背信行為?)

③ その署名捺印文書を市長に断わりもなく経済産業省に提出されてしまう。だが、私印であるがゆえに、不許可処分となる。(市長公印でなければ公文書としての体裁をなさないから)。

④ 事業者より、念書や同意文書をたてに、市長公印を捺すように再三再四迫られるも、市長は公印だけは捺さない。

⑤ 法律では、住民合意か市長の同意か、どちらかで競輪場外車券売り場は開設可能となっている。

⑥ しかし、議会の反対議決により、にっちもさっちもいかなくなり、サテライト金沢開設予定地(ゼノンビル)での代替案「資源回収センター」を提案し口約束する(平成24年6月)。この口約束した際のやりとりの資料や、念書を書いたところからの関係者との一連のやりとりをしたためた資料や関係者同士の音声が、馳事務所に届けられたのが今月に入ってから。

(議会への背任行為?)

⑦ 資料によると、市長は口約束するも、資源回収センター開設については調査すら放置し、事業者にも報告せず。

⑧ 結局、大徳地区でのサテライト金沢開設は議会の議決により事実上不可能となり、その後も再三再四、事業社側から不当な圧力を受ける。

これが、事の顛末だ。

資料の事実関係を市長に問いただしたのが8月4日。

残念ながら、大筋でお認めになった。

議会と首長との関係を考えると、これは軽率な判断ミスの連発であり、議会との信頼関係を失ってしまっているのは明白。

とりわけ、税金を使う代替案を提示したことは、これまで市議会でも報告されておらず、もちろん私も知らなかったが、議会との信義違反。

それどころか、開設予定事業者から、一連の経緯を書いた資料をマスコミや関係各所に送付すると脅かされており、事業者代理の弁護士にも脅迫や強要されているとおっしゃった。

首長が、一民間事業者から不当な圧力を受け続けていること自体が、公平公正であるべき行政をゆがめており、異常な事態である。

「ひとつひとつに法的問題がなかったとしても、この一連の対応は、議会や市民を裏切る大問題です。この資料が開設予定事業者からマスコミや政治関係者に送付され、ことが明るみに出たら、今まで山野さんを支援してきた支持者や議会人や家族は、なんて思いますか?」

と、速やかに対処することをお伝えした。

山野さんも、

「必ずマスコミに知らせるといわれていたから、遅かれ早かれ知れ渡ると思います。先に記者会見をして事実報告をします。」

とおっしゃったのが8月8日で、記者会見は11日。

その記者会見を受け、結果として、山野市長を支えてきた主要3会派の代表から、100条委員会設置か、進退判断か、と迫られたのが8月14日。

首長と議会ののりを超えてしまった結末が、任期を3か月も残しての辞職判断。

「市政刷新」の旗印で、6選を目指す現職に敢然と挑戦した4年前を思うと、この結末は残念でならない。

市政刷新にふさわしい子どもへの医療費助成やネット環境整備の新規事業。

人事も含め、学校図書館充実や、福祉事業や、トップセールスや、保育所や学校や私立幼稚園のとびこみ現場視察など、政治を市民に近づけたその功績は、多大にして枚挙にいとまがない。

山野さん自身も、市政への誇りを持っており、脂がのってきていて、順風満帆だなと、頼もしく思っていた。

だからこそ、サテライト金沢を巡る念書に始まり代替案提示という一連の判断ミスは、組織のガバナンスとコンプライアンスにかかわる問題でもあり、本当に残念。

この問題を巡っては、市長が自らの引責辞職で、けじめをつけた。

遅きに失した感はあるが、その重い決断を、尊重したい。

一つの結末を迎えた。

残念ではあるが、あとは、市議会の自浄作用に期待したい。

4年前に山野市長候補を推薦し、この4年間ずっと支えてきた自民党金沢支部としても、反省が求められる。

二元代表制のもと、首長と議員の権限は大きく異なるとはいえ、もともとは山野さんは自民党の市議会議員。仲間だった。

だから三派連合の主軸として自民党は山野さんを支えてきた。

一人で問題を抱え込まずに、ずるずると圧力を受ける前に、判断ミスをする前に、党や三派連合の代表者に相談してくれてもよかったのにと、今さらながらそう思う。

と同時に、市政に停滞は許されない。

市政第一会派として、次期市長選挙や市議補欠選挙に向けての対応も重要。

まずは、市議県議団や、金沢支部役員の対応を見守り、引き続き支えていきたい。

遠いハノイにいるのがもどかしい。

午前6時から7時まで、ホテルのフィットネスジムにて、早朝トレーニング。

ジョギングマシンでウォーキングし、ダンベルトレーニング40セット。

パンプアップ。

一汗かいて気を静める。

シャワーを浴びて、荷物整理。

午前9時、ホテルチェックアウト。

三谷会長ご夫妻と車に同乗し、本日の三谷産業ベトナム進出20周年・記念式典の会場へ。

2010ASEANサミットが開催された、巨大なコンベンションセンターの3階の一角を貸切。

まさしく、日越友好外交を象徴するような、立派な会場。

式典では、来賓ご挨拶をさせていただき、加えて、安倍晋三総理からの祝電も代読させていただく。

光栄であります。

来賓ご挨拶では、

① ベトナムや日本にとって中国は隣国。しかし、昨今、中国の強引な海洋進出に絡み、重大な外交問題が発生している。こういう地政学的な共通点があるからこそ、日越関係は重要だ。

② それも、政府レベルばかりではなく、こういう民間事業者の民間外交こそが、両国民の友好の礎となっている。

③ 三谷産業は、関連会社で1580名のベトナム人を雇用している。

④ この20年が、次の時代を開く節目となり、今後一層のご協力をいただきますように、べトねむのみなさんにもお願い申し上げます。

⑤ ついでに、2020オリパラ東京大会へのご協力もよろしくお願いいたします。

と、申し上げる。

終了後は、となりの会場で、祝賀パーティ。

ベトナム商工会の代表や、ベトナムスポーツ文化観光副大臣や、ベトナム科学技術副大臣と交流をさせていただく。

また、北國銀行の安宅頭取もわざわざご出席されており、金沢市長を巡る騒動についても情報交換。

ご心配かけて申し訳ありません。

その他にも、石川県や富山県や福井県を代表する企業のみなさんと、ベトナムの企業経営者のみなさんと、テーブルを囲んでベトナム料理をいただきながら、有意義な情報交換会。

すばらしい20周年記念式典でした。

出席させていただき、ありがとうございました。

パーティ途中、甲子園では星稜高校が4-1で2回戦を勝利との朗報が舞い込む。

母校の先輩である、饗庭社長と手を取り合って歓喜の咆哮。

よくやったぞ、後輩諸君。

三谷会長からは、

「これで社長のところには、甲子園寄付金のお願いがたんまり来るね!」

とからかわれるも、うれしい寄付金になりそう。

午後1時半式典は終了し、そのままハノイ空港へ。

空路、ホーチミン市へと移動。

午後6時には到着し、ホテルへとチェックイン。

晩御飯は、ホテル隣のベトナム料理店。

ベトナム石川県人会の皆様と合流し、懇親会。