東京での祝日。

ベッドの中で、恩師の言葉を思い出す。

俵先生は言った。

「はせ、死ぬまで勉強せんなんぞ。本読めや!」

中田武司先生は言った。

「寝る時間があるでしょ!」

松浪健四郎先生は言った。

「馳、本を書け。木を植えろ!」

・・・どうして休みの日に限ってこういう恩師の言葉を思い出すのだろう。

さっそく

「なぜ東京五輪招致は成功したのか?」(松瀬学著 扶桑社新書 740円)

を、拝読。

読売新聞の論説委員、結城和歌子さんの著書と一緒に読むと、さらに五輪の教養が深まる一書。

安倍総理がフジテレビの「笑っていいとも」出演。

生放送。

テレフォンショッキング。

素の、いつものジョークの好きな総理の普段着の姿。

司会者がタモリさんだからこそ、リラックスできたのか。

明日の首相動静に、

「タモリと会食」

って出るかどうか?

イチゴがおいしそうだった。

「プラス思考への気分転換は必要です。政治家は前向きにいなきゃ!」

という総理の話を聞いていたら急に走りに行きたくなった。

俺って、単純だなぁ。

さっそく着替えて、いつものコースを、ジョギング1時間。

午後4時、専修大学レスリング部OB会へ。

横浜、青葉台の聘珍樓。

ここ、美味しいんだよなぁ。

移動の途中、井上拓より電話。

「監督、調子悪くて病院に行ったら、インフルエンザでした。今日いけません、すいません!」

って連絡。

「おお、残念やなぁ。4年間ご苦労さん。じゃあ、竹田にフルーツでも差し入れさせるから!」

と、同級生の竹田のぶひろ君に伝言。

午後4時からのOB会では、先般、急逝された故 吉田栄勝先輩(昭和50年レスリング部卒業)の話題で盛り上がる。

「俺、同級生なのに、なんでか長州によくぶんなぐられたんだよなぁ・・・」

とのぼやきが口癖だった栄勝先輩。

いろいろ事情があって、入学した国士舘大学を一度退学して専修大学に入りなおしたため、天下の長州力(吉田光雄)の後輩になってしまった栄勝さん。

それはそれは、地獄の毎日だったそうだ。

「栄勝先輩がなくなる二日前に、東京でさ、八戸電波工業のレスリング部OBの飲み会してたんだよなぁ・・・」

と、残念そうに急逝を悼む布施(旧制 坂本)光明先輩。

みんなに愛された栄勝先輩、ご冥福をお祈り申し上げます。

「来年さ、レスリング部の80周年だからさ、なんか、栄勝の表彰しようや!」

と、OB会役員会として議題に。

三重県に住まいして長いのに、最後まで「八戸弁」が抜けなくて、

「おい、栄勝、おまえ、それフランス語か?」

と、福田富昭日本レスリング協会会長にからかわれてもフランス語?をしゃべり続けていた栄勝先輩。

レスリング界では、吉田さほりのお父さんではなく、「栄勝の娘さん」だった吉田さほり選手。

合掌。

午後5時、レスリング部歓送迎会。

レスリング部卒業生は、竹田のぶひろ、吉田たくろう、郡司けいた、(井上たく 欠席)、近藤たつや、(池澤しゅんすけ 欠席)、菅野だいき。

4年間、ごくろうさま。

新入生は、柏田(広島三次高校)、鎌倉(高知東高校)、松井(岐阜工業高校)、呉屋(浦添工業高校)、吉井(岐阜工業高校)、松尾(いなべ総合高校)、武田(埼玉栄高校)。

皆、全国大会出場や、評定平均値3.0以上など、厳しい審査を乗り越えて入学が許可された精鋭。

監督自らが全国を駆けずり回ってスカウトしてきた有望新人でもある。

この7名が、4年後、そろって卒業し、就職先が決まるように指導監督することが、我々監督やコーチの使命。

責任は重い。

午後7時45分、最終便で小松空港へ。

インフルエンザから復帰した坂井秘書の迎えで、和おんの湯へ。

百坂町壮年会有志がそろい、一週間の汗を流す。

もっちゃん、山田ひろし、でむちん、てっちゃん、ながっちゃん、大平さん、川村くん。

午後10時半過ぎには風呂をあがり、末っ子へ。

ここでたっちゃんとほしのくんも合流し、一週間分の「意義深い?」世間話は続くのであった・・・・

晩御飯は、素うどんと、おでんと、お漬物。

川村さんが沖縄センチメンタル?旅行のお土産に買ってきたハブ酒に焼酎「いいちこ」を入れてロックで飲みながら。

「これ、からだ、あっつぅーなるじ!健康にいいわ!」

と、末っ子の女将さん。

そりゃそうでしょ、ハブ酒なんだから。

ながっちゃんは、明日は朝6時には自宅を出て、ドライブで名古屋ガイシホールの大会へ行くんだそうだ、高校入学の決まった娘と一緒に・・・

いいなぁ。

「馳さん、どっからいったらいいけ?」

「わし、先週、ドッジボールの全国大会でガイシホール行ってんけど、米原周りのほうが安心やわ。東海北陸道は、対面通行あって、詰まるさけ!」

とアドバイス。

お気をつけて。