12時から13時40分、 ミカエル・アロイジオ フランス五輪委員会上級代表との昼食会。
レストラン「SOLA」。
このレストランは、若手日本人シェフが腕を振るう、創作和風フレンチのお店。
「ここはミシュラン一つ星になってからは、なかなか予約が取れないんですよ!」
と田中書記官がおっしゃる通り、あっと言う間の満席。
「アロイジオって、いい名前だね。どこの出身?」
とお聞きすると、
「おじいさんがイタリア出身さ!」
と、ちょっとはにかみながら答えるハンサムマン。
しかし、ラパセ会長の右腕として、フランスオリンピック委員会の国際交渉を一手に引き受けるエリート官僚。
フランススポーツ省参与をも務める。
日本でいえば、五輪担当室長の平田さんみたいな感じかな?
スポーツマネジメント・企業戦略の修士号も取得してるとか。
そのエリート官僚と、さっそく馳浩ワールドへ。
「彼女いるの?」
いきなりシャンパンで乾杯してそんなあほな話から始める日本人政治家にびっくりしてか、
「結婚してないけど、つきあってる彼女がいるんだ・・・実はね・・・・」
と、プライベートな話題も含めて話が弾む、ここには書けないが。
そうこうするうちに、
「トウキョウが五輪招致に成功した秘訣はなんだったの?」
と逆質問を受ける。
「一人一人のIOC委員が投票にあたってどういう評価基準を持っているか、どういう人脈での働きかけが必要か、キャンペーンやプレゼンにどういうシナリオが必要か、それをオールジャパンで展開したんですよ!」
と、猪瀬都知事や竹田JOC会長を支えた安倍オールジャパン体制を解説。
「やっぱり総理が先頭に立ってやらないとね!」
というと、やはり、来年のパリ市長選挙をはじめ、オランド政権の取り組みが重要だなぁ、と腕組みをするエリート官僚なのであった。
また、東京大会が圧倒的な票差で決まった背景の一つに、パリ大会が想定されていたこともお伝えする。
「有力なIOCメンバーの頭の中には、2024年にはパリ大会をやらせてあげたいから、そうすると大陸の割り振り的に、2020年は同じヨーロッパのマドリッドやistanbulはまずいでしょ?!っていう情報は、あちこちにありましたよ。だから、まずはパリが立候補にこぎつけるところがポイントじゃありませんかね?」
とお伝えする。
「sola」レストランの独創的で繊細な、そして素材のうまみを丁寧に醸し出すお料理に感服しながらのミーティング。
最後に、
「ぜひ、日本にもいらしてください!」
「これからも日仏のスポーツ交流に力を貸してください!」
と握手をして別れる。
感謝。
13時45分、レストランを出て、シャルル・ド・ゴール空港へ。
ここからは、津川公使、川本派遣員が随行してくださる。
異動先のジュネーブは、同じくEU域内ゆえに、面倒な出国入国審査は、なし。
チケットとスーツケースのチェックインを終え、厳重な身体検査を抜けたら、あとはもう、搭乗ゲート付近のラウンジでのんびり。
津川公使のご子息が、東大のラグビー部1年生で、SOで頑張っているという。
そんな他人の息子の自慢話を聞くのも、なんか、うれしい気がするのは、俺も年取ったからかな?
16時、シャルルドゴール空港発のエアフランス機(AF1342便)で、ジュネーブへ直行。
この三日間、パリは最高のお天気だった。
パリの灯よ、ありがとう!
17時15分、ジュネーブ空港到着。
お出迎えは、前田徹公使、石田達識領事、石田善顕一等書記官、牧野みなみ派遣員。
ケンピンスキーホテルでチェックイン後、市内の小料理屋へ。
「山水(さんすい)」にて、現地情報収集。
臨時国会のヤマ場であって、なかなか国民に理解されていない特定秘密保護法の現場で働いている外務省の皆さんとともに、世界の情勢についても意見交換。
また、文部科学省からの出向で、いまだ独身の石田一等書記官のネタを話題に、晩ごはん。
どなたかいいひと、いらっしゃるだろうに。
午後10時、散会。
バタンキュー(死語)