今回の、県内各支部及び職域支部等への次期石川県知事選挙に関する意見聴取は、「現職ありき」の回答が多く、県連として本来捉えなければならない本質が欠如しているように感じる。


 予算や人事などの強大な執行権限を持つ知事職として、全国最多選となる6期目は常識を超えており、長すぎる。県庁内からも知事に批判的な文書が私たち国会議員に届いており、とりわけ40歳代以下の世代の県職員から長期政権による弊害が指摘されている。その懸念を払拭し、谷本氏の適性を検証することこそが自民党石川県連の姿勢ではないか。谷本氏はこれまで5期20年間を務めてきて、21年目に何か変わるという期待があるのか。6期目の4年間、さらに何をなそうとしているのか明確なビジョンと政策遂行の計画性について県連役員から各支部に示されたのか。議論を尽くすべきではないか。


 長期政権の安心感からか、昨今の公の場における谷本氏の言動には、気が緩んでいるとしか思えない事例が多い。他人を制して多弁を弄したり、ところ構わず部下を叱責したり、自らが主催する会合に最後に到着して断りもなく平然としていたり、人を指さして話したり、平気で他人の肩を叩いたり、食事中に音を立ててスープをすすり、食べ物をかむ音を出したり、過日来県された高円宮久子妃殿下に対してのマナーをわきまえない態度など、そばで見ていて極めて恥ずかしい。石川県を代表する公僕としての倫理観を、ぜひ実践していただきたい。


 県民の誰とでも気さくに打ち解けることができ、とても明るくて親しみやすい人柄であり、行政知識に長け、豊富な人脈と経験を持ち、親しい県議や首長や業界団体への細やかな配慮など長所も多々ある。しかし、短所を注意したり、意見具申する人が側近にいるとも見えず、裸の王様と言わざるを得ない。


 強大な権限を持つ知事を選ぶ選挙については、原則として推薦を3期までとする県連の内規を作る必要がある。3期以上を推薦する場合は特例とし、厳格な政策協定を結び、政治行動の規範を約束することが不可欠である。新幹線時代を迎え、金沢・能登・加賀一体となって発展させ、石川県の未来を切り開いていくリーダーとはどうあるべきかの議論をしたうえでの検討が必要である。



 半世紀に及ぶ県民の悲願である「ふるさと知事」誕生に向けて、自民党石川県連は候補者発掘に努力すべきではないか。そのことを、我が党を支持する多くの県民も期待しているという声を多数聞く。馳会長のもとには、知事選挙出馬の意思を持つ候補についての情報が複数届いている。しかし、111日現段階において出馬できる環境にあるかどうかと、その候補を石川県連が推薦するにふさわしいかどうか審議することは、それぞれ次元の違う問題である。だからこそ、国会議員団と県連役員との緊密な情報交換を通じ、よりいっそう、独自候補擁立の努力をすることこそ、我が党を支持してくださる党員や、有権者への責務である。



 9月議会で谷本氏が6選立候補表明後、続々と団体推薦が続き、多くの支持を得て、外堀が埋められたように見える。それは、自民党石川県連が独自候補擁立の姿を見せないからで、当然である。どの団体も予算や人事交流や許認可権など、知事の職務権限とは無縁ではなく、強大な権限の前に従わざるを得ない力関係があることは誰もが知っている。知事が代われば、現職を推薦していた団体こそが、先頭を切って新たな知事に従うものである。そのことは、直近の金沢市長選挙や加賀市長選挙の結果が物語っている。県民が期待する候補者を擁立すれば、流れは一気に変わるのではないか。その選択の機会を提供する努力をしてこそ、県民の幸せを願う公党としての責任である。


 これまでの県連支部周りにおける意見交換会は、立候補表明した谷本氏の是か非かを問う印象が強い。「もう遅い」「誰が出ても勝てない」「いろんな団体も推薦しているし」「ここで県連を割るようなことがあれば県民の信頼を失う」などのあきらめの声が一部役員から公然と聞こえてくる。そうではなく、白紙の状態で、あるべき知事像を議論したうえで、具体的な候補者論を闘わせるべきである。11月17日(日)の総務会には、中間報告か、最終結論か、いずれにせよ、県連としての正しい判断が求められる。


平成25年 11月1日   自由民主党石川県支部連合会  所属国会議員  


馳浩   北村茂男   佐々木紀   岡田直樹   山田修路   宮本周司