午前5時には起きて、ニュースチェック。
いよいよ。
6時半には、緊張気味のチームJAPANスタッフと一緒に、朝食。
「ぜったい、いけるよね」
「どうかなぁ」
「大丈夫大丈夫」
言葉少なに朝の挨拶を交わし、心を一つに。
今朝は暴風雨。
雷雨。
日本チームにとって、涙雨?恵みの雨?
部屋を出る前にふと思う。
「次にこの部屋に帰ってくるときは、どんなだろう?」
と。
7時40分にはシェラトンホテル出発。
雨に打たれながら、Uハウスへ。
地元の大学の一棟を借り切っての事前基地。
ここで最終リハーサル。
下村大臣も、岸田大臣も、そして総理も到着し、気持ちは高まる。
9時40分には、ヒルトンホテルへ。
別室のグリーンルームに入り、気持ちを最大限に高める。
こちらには、高円宮久子妃殿下もお見えになり、ムードは最高潮。
そして運命の10時半、日本の招致団がセッションルームへ。
トップバッターは、久子妃殿下。
流暢で力強い英語とフランス語。
IOCの公用語で、東日本大震災の感謝の思いと、オリンピックムーブメントへの期待をスピーチされる。
「日本の皇室がIOCの皆様にこうしてご挨拶するのは、初めてのことです」
・・・そう、これは、皇室始まって以来の歴史的なスピーチなのだ。
同時に、日本スポーツ界にとって、新たな扉が開かれた瞬間。
そのあとは、若きパラリンピアんである、佐藤まみさんのスピーチ。
テーマは、「スポーツのパワー」
続いて、竹田会長の力強い理念。
猪瀬都知事、水野ディレクターのたどたどしい?フランス語、滝川クリステルさん、太田選手と続き、おおとりはもちろん、安倍総理。
プレゼンで、「福島の原発は完全にコントロール下にある、心配ない」と簡潔にコメント。
そのあとの質疑応答で、数値も含めて具体的に「大丈夫」の根拠と、今後の日本政府の責任を明示し、これで完璧。
汚染水問題も払しょくされた。
このプレゼンで選ばれないはずがない、そう確信する。
そして・・・・・午後5時、発表の場へ。
ヒルトンホテル2階の記者会見室へ入ると、身が引き締まる。
イスタンブールとの決選投票の発表の場。
北朝鮮のチャン・ウン委員がわざわざ「ひ・ろ・し・さん!」と目くばせをしながら近づいてきてくれる。
ん?もしかしてこの合図は・・・・
ジャック・ロゲ会長からの発表は、午後5時20分過ぎ。
「トウキョウ!」
その瞬間、日本選手団?は天井を突き破らんばかりに飛び上がって、大歓声。
安倍総理も、森元総理も、岸田外務大臣も、下村文部科学大臣も、もちろん馳浩も、こぶしを突き上げて雄叫び、絶叫。
鳥肌が立つ。
この瞬間に立ち会えるとは・・・・
思い起こせば、今年の3月3日の朝、鴨下国対委員長に「五輪招致本部長をやってくれ!総理直属だ!」と伝えられて半年。
今しかできない仕事、として引き受けたが、雲をつかむような手探り状態からのロビー活動のスタートだった。
あれから半年。
たくさんの人にお会いし、アドバイスを受け、官邸と調整し、招致委員会と打ち合わせをし、海外に何度も足を運び、東京五輪をアピールしてきた。
いささかなりとも、招致戦略の中枢で仕事をさせていただいたとすれば、こんなにうれしいことはない。
ロス五輪に出場して早や25年。
五輪にいただいたご恩を、これで少しはお返しすることができたかなと、そう思ったりする。
これで、五輪招致推進本部長の仕事は、この瞬間の万歳で終わり。
次は、「東京五輪・パラリンピック」成功のための仕事の始まり。
国会議員として、オリンピアンとして、何よりも、一人の日本人として、その成功に向けて力の限り、尽くしていきたい。
五輪開催決定後のロビーでのレセプション。
先ほどまでは、どことなく居心地の気まずかったロビーなのに、数々のIOC委員自らが、祝福の握手を求めてくる。
感謝。
そして、選ばれはしなかったが、最後まで共に戦ったイスタンブールのスポーツディレクターと、握手をし、お互いのピンバッヂを交換。
健闘をたたえ合う。
「近いうちにトウキョウに来てくれ、俺もイスタンブールに行くから!」
と約束。
夜になって雨は上がっていた。
バスでヒルトンホテルからシェラトンホテルへ移動する道中が、勝利の余韻。
午後8時、シェラトンホテルに戻って、祝勝会。
感謝。
チームJAPANの勝利。
ありがとうございました!
いよいよ。
6時半には、緊張気味のチームJAPANスタッフと一緒に、朝食。
「ぜったい、いけるよね」
「どうかなぁ」
「大丈夫大丈夫」
言葉少なに朝の挨拶を交わし、心を一つに。
今朝は暴風雨。
雷雨。
日本チームにとって、涙雨?恵みの雨?
部屋を出る前にふと思う。
「次にこの部屋に帰ってくるときは、どんなだろう?」
と。
7時40分にはシェラトンホテル出発。
雨に打たれながら、Uハウスへ。
地元の大学の一棟を借り切っての事前基地。
ここで最終リハーサル。
下村大臣も、岸田大臣も、そして総理も到着し、気持ちは高まる。
9時40分には、ヒルトンホテルへ。
別室のグリーンルームに入り、気持ちを最大限に高める。
こちらには、高円宮久子妃殿下もお見えになり、ムードは最高潮。
そして運命の10時半、日本の招致団がセッションルームへ。
トップバッターは、久子妃殿下。
流暢で力強い英語とフランス語。
IOCの公用語で、東日本大震災の感謝の思いと、オリンピックムーブメントへの期待をスピーチされる。
「日本の皇室がIOCの皆様にこうしてご挨拶するのは、初めてのことです」
・・・そう、これは、皇室始まって以来の歴史的なスピーチなのだ。
同時に、日本スポーツ界にとって、新たな扉が開かれた瞬間。
そのあとは、若きパラリンピアんである、佐藤まみさんのスピーチ。
テーマは、「スポーツのパワー」
続いて、竹田会長の力強い理念。
猪瀬都知事、水野ディレクターのたどたどしい?フランス語、滝川クリステルさん、太田選手と続き、おおとりはもちろん、安倍総理。
プレゼンで、「福島の原発は完全にコントロール下にある、心配ない」と簡潔にコメント。
そのあとの質疑応答で、数値も含めて具体的に「大丈夫」の根拠と、今後の日本政府の責任を明示し、これで完璧。
汚染水問題も払しょくされた。
このプレゼンで選ばれないはずがない、そう確信する。
![はせ浩 オフィシャルブログ「はせ日記」Powered by Ameba](https://stat.ameba.jp/user_images/20130909/10/hase-hiroshi/14/82/j/t02200391_0720128012677694866.jpg?caw=800)
そして・・・・・午後5時、発表の場へ。
![はせ浩 オフィシャルブログ「はせ日記」Powered by Ameba](https://stat.ameba.jp/user_images/20130909/10/hase-hiroshi/e0/fb/j/t02200124_0800045012677694868.jpg?caw=800)
ヒルトンホテル2階の記者会見室へ入ると、身が引き締まる。
イスタンブールとの決選投票の発表の場。
北朝鮮のチャン・ウン委員がわざわざ「ひ・ろ・し・さん!」と目くばせをしながら近づいてきてくれる。
ん?もしかしてこの合図は・・・・
ジャック・ロゲ会長からの発表は、午後5時20分過ぎ。
「トウキョウ!」
その瞬間、日本選手団?は天井を突き破らんばかりに飛び上がって、大歓声。
安倍総理も、森元総理も、岸田外務大臣も、下村文部科学大臣も、もちろん馳浩も、こぶしを突き上げて雄叫び、絶叫。
鳥肌が立つ。
この瞬間に立ち会えるとは・・・・
思い起こせば、今年の3月3日の朝、鴨下国対委員長に「五輪招致本部長をやってくれ!総理直属だ!」と伝えられて半年。
今しかできない仕事、として引き受けたが、雲をつかむような手探り状態からのロビー活動のスタートだった。
あれから半年。
たくさんの人にお会いし、アドバイスを受け、官邸と調整し、招致委員会と打ち合わせをし、海外に何度も足を運び、東京五輪をアピールしてきた。
いささかなりとも、招致戦略の中枢で仕事をさせていただいたとすれば、こんなにうれしいことはない。
ロス五輪に出場して早や25年。
五輪にいただいたご恩を、これで少しはお返しすることができたかなと、そう思ったりする。
これで、五輪招致推進本部長の仕事は、この瞬間の万歳で終わり。
次は、「東京五輪・パラリンピック」成功のための仕事の始まり。
国会議員として、オリンピアンとして、何よりも、一人の日本人として、その成功に向けて力の限り、尽くしていきたい。
五輪開催決定後のロビーでのレセプション。
先ほどまでは、どことなく居心地の気まずかったロビーなのに、数々のIOC委員自らが、祝福の握手を求めてくる。
感謝。
そして、選ばれはしなかったが、最後まで共に戦ったイスタンブールのスポーツディレクターと、握手をし、お互いのピンバッヂを交換。
健闘をたたえ合う。
「近いうちにトウキョウに来てくれ、俺もイスタンブールに行くから!」
と約束。
夜になって雨は上がっていた。
バスでヒルトンホテルからシェラトンホテルへ移動する道中が、勝利の余韻。
午後8時、シェラトンホテルに戻って、祝勝会。
感謝。
チームJAPANの勝利。
ありがとうございました!