今週は、日韓共通歴史教材「朝鮮通信使」を拝読した。この本は、広島県教職員組合と韓国の全国教職員組合労働組合大邱 支部が両国の生徒たちへの共通教材を編纂して完成したものだ。
日本と朝鮮との最初のつながりは、室町時代に日本の倭寇が対馬を経由して、朝鮮南部の海外を荒らし回っていたころから始まった。
朝鮮は倭寇を取り締まるため、対馬に大軍を送って平定させた後、日本との貿易を対馬に限って許可したことにより、交流が活発化していった。
その後、豊臣秀吉による二度の朝鮮出兵により、日朝関係は悪化したが、徳川家康が朝鮮に友好の使者を送ったことを機に、「朝鮮通信使」が毎年秋に江戸へとやってくることになった。
これらが日朝友好の歴史だが、ほかにも興味深いことが書かれていた。それは、加藤清正とともに朝鮮に出兵した「沙也可」という人物が、この出兵に異議を唱えて、部下たちと一緒に朝鮮に恭順した話だ。
この内容は、韓国の中学校の道徳や日本の高校日本史の教科書にも記載されている。戦争が虚しくはかないものであり、愚かなことであることを後世に伝えている。
そのため、朝鮮通信使が開始した後も、「人々の風習が違っても、決してそれをとがめてはいけない」と、幕府の法度が出されていた。
現在の日韓関係も決していいとはいえないが、佐渡鉱山の遺産群が世界遺産に申請することが決定した今こそ、相互の風習と生活を理解し、疑惑と不信を招かないように働きかけ続けることが重要だ。
One good turn deserves another!
