うるさい。そんなわけがあるか。おまえは、おまえたちは悪者なんだ。
叫んで鎌を振り下ろす。でも片倉凪子は責めるような口調で続ける。
「信じないならそれでいい。ただ、事実は事実だ。それに私だって黙ってられない。アラント様を殺そうとするのならわたしはおまえを放っておくわけにはいかないんだ」
たとえ、おまえを殺しても。それはアラント様の意に反していても、あの人だけは守るんだ。片倉凪子は言う。双刀に風を纏わせ、風と刀で切りかかってくる。
「おまえに話をする気がないなら結構だ。黒いエルフ。おまえは妖精天使なんかじゃない。ただの化け物だ」
「おまえに、おまえに言われたくない……裏切り者」
「何とでも言え。わたしは決めたんだ、わたしはアラント様のためだけに戦う。地上のやつらから守るんだ!」
あまりの気迫にわたしはうしろずさった。わたしたちは似てるようで全然違うってことがわかってきた。このひとは、自分の意思で裏切り者になった。アラントのために戦う。じゃあわたしは。ジライマさんのために戦うのは自分の意思だったか。ジライマさんは本当に私を助けてくれたか。わたしの戦う意味は。
ちがう。やめろ。余計なことを、考えるな。鎌を。振りかざせ。殺せ。
「オラァァッ!」
刃が片倉凪子の首をかすった。赤い血が流れる。
「ジライマのことをまだ信じようとするか。それでも」
「わたしは、信じたい……そんなの嘘だって、嫌だ、そんな」
泣きそうなわたしは鎌を強く握り、片倉凪子を潰そうと力を入れた。片倉凪子は双刀でそれに耐える。何度もぶつかった双刀は今にも折れそうだ。しかし片倉凪子はいまだ鋭い目でわたしを睨んでいる。そして、わたしから視線をそらして言った。
「なら聞いてみるといい。本人に。後ろみろよ」
わたしは鎌を握ったまま、ゆっくり振り返る。そして目を見開いた。
戦い果ててボロボロになったジライマさんが扉のところに立っていた。
目は虚ろで、黒い髪は振り乱れている。引きずるような足と、細い手で太刀をかろうじて支えている。しかし口元は異常なほどに笑っていた。
「ジライマ、さん」
あのひとのところに行きたかった。けれど、片倉凪子に背を向けた瞬間殺されるだろう。それだけのことをわたしはしたし、本当に殺そうとした。だから、ジライマさんの元へは行けない。今すぐ行きたいのに。片倉凪子は「なんだ、どうしたんだ」と不敵に言う。
「会いたかったんだろ。行って確かめて来なよ。おまえを、黒いエルフにしたのはジライマだって」
「ちがう、ちがう」
鎌を持つ手に力が入らない。わたしはただ、あのひとがさみしそうにするのが辛かっただけなのに。
「もう、そんなことどうでもいいのに、」
今更そんなことを言われても遅いのに。
ふと気づくと、膝をついて震えているわたしをジライマさんが見下していた。顔は笑っていない。まるで憎しみをこめたかのような表情でわたしを見下していた。
「ユウ」
聞きたくない。耳を塞ごうとしたわたしの腕を掴んだ。
「おまえ、今さっき初めて会ったうさんくせえ王子とその女の話と……いままで一緒に戦って来た俺と、どっちを信じるんだよ」
視界の奥でアラント王子が見える。決して玉座から動こうとせず、ただジライマさんの言葉を聞いた瞬間、眉をひそめて苦い顔をした。片倉凪子は表情を変えず見ている。そしてジライマさんは狂ったように笑っていた。
「ホントだよ」
「……っ!」
「バレちゃ仕方ねえ。全部全部、全部全部全部俺が、この俺が仕組んだことだ」
むしろいままで気づかなかったのかよ。ジライマさんは不敵に微笑む。わたしを闇の目で見つめながら。
「俺の本当の目的は封印されているデルタ王を殺してその魔力を奪い取ること。そしてその力を持ってして、俺は地下の支配者になる」
なあ、俺は俺のためにしか動いてないんだよ。耳元で低い声は笑う。わたしは震える、冷たい指先でジライマさんの頬を触った。
ああ。じゃあわたしは本当の本当に利用されていただけ。
このひとに利用されるため体を変えられ、記憶をなくした。
じゃあ、なんで。
なんであんなにさみしそうな顔を時々見せるんですか。
なんであんなに泣きそうな表情をするんですか。
「じらいま、さん」
「おまえそれでも俺のために戦うのか…?無理だろ。もう」
じゃあ殺してしまわねえとな。黒い光が目に宿った。太刀を振り上げ、黒い炎を刀身にうつす。
「そうだいつものように虐待されてえか?じっくりいたぶって殺してやろうか。俺はおまえの泣き叫ぶ声を愛してるぜ」
「じらいまさん……」
まあこんなとこじゃそんな時間もねえか。太刀が振り下ろされる。わたしはそれを避けようとしなかった。ただうずくまって、人思いに処刑されたいと思った。だが処刑は行われなかった。太刀はわたしを襲わない。ゆっくり顔をあげると、片倉凪子がボロボロの双刀を構え、太刀を食い止めていた。歯をギリギリ噛んで。それを見てジライマさんは「あぁ……?」と笑う。
「邪魔すんなよ。それに、こいつは、ユウはてめえらの敵だろ。さっきまで殺そうとしてた。違わねえか?」
片倉凪子はふらつきながら「ああ、敵だったよ。さっきまではな」と吐き捨てる。
「ただ、ジライマ、あんたがこいつを殺そうとするなら、こいつにとってジライマは敵だろ。つまりお互い、敵は一致した」
だからあんたを守るよ。片倉凪子は笑う。わたしは泣きながら首を振る。ちがう。なんでこうなってしまったんだろう。気持ちの整理がつかないのに、話は勝手に進んでいく。
「じゃあてめえも殺してしまわねえとな。片倉凪子」
太刀の切っ先を向けて笑う。片倉凪子は双刀を構えて顔をしかめる。
ジライマさんだってもう戦える体じゃないのに。ほんとはわたしが代わりに戦うべきだったのに。もうそれが許されないことも、自分にはできないこともわかっていても、そう思ってしまう。
「……凪子」
ひとつ呟いた言葉が脳みそに反響した。そう大きな声ではないのに、この大広間全体に響くような不思議な声。その声の主は、アラント王子。
「凪子を殺すのなら、俺はお前を殺すぞ。ジライマ」
なあジライマ。アラント王子は続ける。わたしたちは誰も動けない。まるで言葉が重すぎて動けなくなったように、アラント王子の言葉を聞いている。
「おまえは、元々魔獣だったな。元が獣だ。血で血を洗うように戦い、愛するしかできない愚かな獣だ。ーー俺もそうだった。50年前か、人間の世界で言うなら。あのときの戦いのとき、俺は本気で人間を根絶やしにしようと思ったよ」
だが、妖精天使ーー凪子に出会って俺は少しずつ変わったんだ。アラント王子がそう言った時、片倉凪子の目から涙が一筋こぼれた。
「誰かを大切にできるって幸せなんだ。こんな俺を、水面機関ーー人間を裏切ってまで愛してくれた、守ってくれた凪子のおかげで、俺はいま人間を殺そうとなんて思ってない。ただ、水面機関の暴走、それに対する過剰防衛のせいでまた戦争が起ころうとしている。さらにおまえーージライマの裏切りと、秘密裏に行われていた魔改造エルフ計画。冷酷と非道とまで呼ばれた俺だが、どうもここまで事態が悪化すると、やはり俺も動く必要があろうな」
おまえに殺されるまえにデルタ王を殺してしまわねばならん。
そのために水面機関に奇襲をかけねばならん。
「そしておまえを殺さねばな。ジライマ」
おまえは諸悪の根源だ。アラント王子は吐き捨てた。
「おまえは、俺と同じではなかったな。ユウはおまえにとってなんだったんだ。ただの道具だったのか。本当にそうなのか!?」
もしそうじゃないならおまえはやり直せる。俺の言いたいことは以上だ。そう言って立ち上がった。座っていたときはわからなかったが圧倒的におおきい。そして凄まじい存在感を放っている。
「凪子。下がれ」
「アラント様、しかし」
「下がれ。命令だ」
おまえは俺の妻である以前に俺の部下だろう。アラント王子は冷たく言った。片倉凪子は「……承知しました」と小さな声で言った。アラント王子は三日月の大剣を玉座の後ろから抜き取り、ゆっくりと歩いてくる。
「なにか言いたいことはないか、ジライマ」
「はっ。何にもねえよ」
「ユウに何か言うことはないのか。ーー死ぬ前に」
ジライマさんはわたしのほうをゆっくり見た。
わたしはジライマさんの顔を見て、涙が堪えられなかった。
だって、
このひとの悪意に満ちていない、純粋な笑顔を見るのは、
初めてだったから。
「ごめんな」
「ジライマさん。ジライマさん、ああ……」
ひどいひとだけど
だいすきだった。
「ありがとう」
と、微笑んだ刹那、一瞬で鬼の顔に。
赤く血が目の前で吹き出し、絶望のような痛みに襲われてわたしはその場に倒れこんだ。
「俺のものにならないくらいなら死ね」
愛してた、と声が聞こえて私の意識は遠くなった。
ーーー
これで良かったんだ。俺は赤く広がる血を眺めながら、歯を噛んだ。
血は心臓から流れ出ている。食い込んだ黒い短刀が心臓を貫いている。
「おまえっ……ジライマァァァ!!」
「よせ、凪子!!」
怒りに任せた攻撃ほど笑えるものはねえ。双刀を太刀で叩き切る。絶望の表情の女を、頭から叩き切った。頭から真っ二つだ。笑えるねえ。真っ赤に染まった床。ユウの血。片倉凪子の血。
「貴様……」
今度はアラント王子か。こいつにだけは俺は勝てないだろう。戦えなくなった黒いエルフも、怒りに染まった妖精天使も俺の前に屈したが、地下の王だけはだめだ。レベルが違う。
「あーこれは俺死ぬわ」
ヒヒッと笑う。だが、アラント王子はすぐ俺を殺しに来るかと思いきや、死んだ片倉凪子を両手に抱えていた。
「凪子……」
「……」
やめろ。そんなことすんなよ。
俺だって。
そう思ってしまった自分に気づいて、前髪をくしゃりとあげる。血まみれのユウが視界に入る。
そう思う前に、背中がガラ空きだぜって、そう思うべきだろ。太刀をひきずって、ゆっくり近づく。
「女と一緒に殺してやろうか、あぁ?」
だがアラント王子は動こうとせず、ただ片倉凪子を抱きかかえて震えていた。こいつもそんなもんか。
太刀を振りかざす。あっけねえなあ。でも立派な王子さんだったぜ。
「いやあああああああ!!!」
振りかざそうとしたとき、女の叫び声が聞こえて俺は手を止めてしまった。
水面月子。
園生凜華。
ピクシーとフェアリー。
二人が血まみれの有様を見て顔を真っ青にしていたんだ。
「おまえ……おまえが、やったのか」
園生凜華は震える声で言う。水面月子はユウの元へ駆け寄った。
「心臓が……貫かれて……」
目を虚ろにしたまま動かないユウを見て呆然としていた。
「ジライマだ……全てジライマがやった」
アラント王子が言う。「てめえっなんてことを!!」園生凜華が叫んだ。俺は面倒なことになったと冷静に思った。
「ユウもおまえが殺したのかよ……ジライマ……」
怒りに顔を赤くした園生凜華が言う。だから俺は笑った。
「そうだよ。ユウに全部ばれちまった。だから殺した。文句あっかよ。
ーー ユウは、俺の所有物だぜ」
「おまえ、おまえだけはああああ!!!」
園生凜華は絶叫した。拳に赤く花びらを舞わす。赤い、怒りに満ちた色。ひとつひとつが刃のように光る。
「あたしはーー月子やユウと違って普通の人間だ。でも、花に認められた妖精天使だ!殺すのはわたしの役目だって月子に言われたけどーーおまえだけは殺す!!」
ユウはおまえに利用されて殺されるために生まれたんじゃない!!
叫び声が刃となって、拳が突き出された。俺はーー俺は、なぜかよけきれずまともに喰らい、吹っ飛ばされて壁に激突した。
「ぐぅっ……はぁっ、」
次の拳が飛んでくる。また、またよけきれない。顔面に拳を食らい、今度は右方向に吹っ飛ばされた。げほ、げほと咳き込む。
殴られるのって、痛えな。
殴ってばっかりだったのに。
そう思えば、俺はここにくるまでの戦闘でボロボロだったんだ。
勝ち目がないことに気づいた。園生凜華だってボロボロだが、俺はもう身体も心も死にかけも同然だったんだ。
「ユウを殺さなきゃ良かった」
次の拳が向かってくる。俺は薄目を開けてそれを見ていた。
ユウさえいれば、きっと俺は戦えたのに。
ユウを失うことで目的も手段も失って、なにより俺の心まで失ってしまったことに今更気がついた。
ぴたり、と園生凜華の拳が止まる。
「殺さなきゃ良かったなんて……おまえ、わかってんのかよ……」
自分で壊したんだぞ。
わかってるよ。
ああ、ちきしょう。
園生凜華の拳を目の前で見ている。その視界の隅で、
信じられないものを見た。
「なっ……!?」
水面月子が声を上げる。アラント王子が息を飲む。
振り返った園生凜華は目を見開いていた。
「ジライマの、ボケが」
よく知った声が笑った。黒い影は、闇の力を吸収して渦巻き、やがてひとつの体に取り込まれた。影は飛び起きて、「ジライマさんのボケがアアアアア!」と叫び声をあげた。
「勝手に決めつけて殺すんじゃねえぞぶっ殺すぞジライマ」
ユウ。
黒いエルフ。
いやーーその姿は。
ユウを連れ出したときに見た、暴走した黒いエルフの姿ではないか。
髪は黒くうねり、目は金色でギラギラしている。手はまっくろで鋭い爪。服はスカートだが「じゃまだ」と言ってビリビリに破られた。足も真っ黒でまるで、鷲の爪だ。
「心臓潰されて死なないんじゃもう死ねないよなあ、わたし……」
ユウは水面月子に「月子ちゃんありがとう」と言った。そしてアラント王子と片倉凪子のところへ。
「アラント王子」
「……驚いた。君は不死身なのか」
たぶん。と切なそうに笑う。
「わたしも……あなたと、凪子さんみたいになりたかった。もし、凪子さんを魔人にしてもいいのなら、わたしは凪子さんを生き返らせることができる」
と言って、なぜか俺の方を向いて微笑んだ。
園生凜華は「信じられない……」と呟く。
「でも、良かった、生きてて」
おまえも嬉しいんだろ。園生凜華はユウの元へ走って行った。
俺は取り残されて呆然とするしかできなかった。
「魔人になっても……そういうことか」
アラント王子は小さな声で言った。君はもう人間ではない。どちらかというと魔人なのか。
「どっちでもないです。ただの、ばけものだ。凪子さんをわたしまでとはいかないけれど、それに近い状態にすることができると思います」
わたしには最も生命を司るエルフの力があるから。
「頼む」
アラント王子はそれだけ言った。ユウがわかりましたと言って、手をかざした瞬間に片倉凪子は黒い闇に一瞬包まれ、そして次の秒にはもう目を開いていた。
「わたしは生きているのか……」
「凪子……すまない」
アラント王子は片倉凪子を抱きしめる。
ああ、なんだよ。なんなんだよ。なんでだよ。
黒い感情が沸き立つ。
全部、全部台無しじゃねえか。
ユウが生き返って嬉しいはずなのに、俺の心は闇に支配されていく。黒く、黒く。
俺に気づいた水面月子は、俺を睨みつける。
「ーー二人が生き返ったからって、おまえを許したりしないよ」
「おまえだけは、ユウがなんと言おうと倒さなきゃだめだ」
妖精天使が二人、俺に武器を向ける。
「わたしも戦うよ。次は殺す……」
片倉凪子が立ち上がった。
「おまえだけは生かしておけん」
アラント王子は大剣を向ける。
はっ、全く。
どいつもこいつも。
「おい、ユウ」
黒い感情に支配された俺は笑う。
「お前はーーどうするんだ」
俺を殺すか?
ユウは、初めて見る表情で俺を見ていた。
いつも優しく微笑んだり、顔をピンク色にして不貞腐れたり、つらいと言って泣いたり、大きく笑ったり。
そんな表情とはかけ離れた、侮蔑と呆れの表情だった。
顔を見ればおまえの考えていることなんかまるわかりだ。
「いいぜ、殺せよ。
俺はーーどうせ殺されるならおまえに殺されたい」
黒い感情に支配された心が、ただ一つだけ本音を吐いた。
全ての刃が俺に向かってくる。ああ、俺の身体は全て切り刻まれて、殺されるんだろう。
精一杯、悪を努めた。
ジライマ。
おまえは幸せだったか?
俺に最初に振りかぶったのは、大きな黒い鎌だった。
俺の視界は真っ黒になった。
ーーー
小鳥が囀っている。わたしは眠りから目を覚ました。
いつものおふとん。ジライマさんの匂い。
「起きてくださいよ」
いつものように、隣を揺さぶる。そしたら、いつものように蹴られちゃうんだろうな。
「……ハッ!?」
がばっ。ジライマさんは飛び起きた。しかし全身の痛みに「アアアァァ……」と言ってまた倒れこむ。
無理もない。あんな大勢に切りかかられたんだ。
そしてーーここまであの瞬間テレポートしただなんて。
つくづく人間離れしてきたというか、もはや妖精天使とか魔人とか関係ないただの超人ばけものみたいになってきてしまった。これも、このダメダメ魔人のせいだ。このひとに本気で殺されたからだ。
「な……なんで俺、なんで生きてるんだ」
本当に取り乱して混乱している。ちょっと面白い。
「端的に申し上げますと、あの瞬間ジライマさんかついでテレポートしてきました」
「はぁ!? ……………え、はあ!? なっ、えっ………はああ!?」
このひと、こんな顔もするのか。
「おにぎりたべますか」
「おにぎり食う……」
腹減った。頭がぐちゃぐちゃでわかんねえよもう。ジライマさんは薄笑いした。
わたしはお米をごしごし砥ぎながら、昨日あったことを思い出していた。
現にわたしは本当に一度死んでいる。わたしを黒いエルフたらしめている、魔力の箱は心臓に埋められている。さらにエルフの鍵は胸に埋められている。心臓部分を完全に貫かれたわたしはエネルギー源を壊されて本当に死んだ。
だが、わたしの死んだ場所は、地下。魔界だった。
魔界に満ちている黒いエネルギーが、心臓にある魔力の箱に吸い寄せられた。そのことによって魔力の箱は形を取り戻した。さらに黒いエルフとして長くあり続けたために、エルフの鍵は魔の力といつしか合体していた。それにより、魔力の箱からエネルギーを吸収してエルフの鍵も復元され、さらに魔力を内に込めた膨大なエルフの生命エネルギーによって、飛倉ユウは復活した。
理屈はきっと、そんなところだ。
なぜかそれが、分かってしまうのだ。
「もう、わたしのことはわたしが一番わかってるみたいだ」
記憶を失って右も左も分からなかったわたし。
なにより自分のことが一番わからなかったわたし。
……まあ、記憶を失う以前のわたしを、わたしは未だに知らないままだけど。
白い研ぎ汁を流して、お釜を炊飯器にいれる。分量の水を測って、ボタンをぽちり。
あとはごはんができるまで、しばらく待てばいい。
ジライマさんのところに戻ると、ジライマさんはまた寝息をたてて眠っていた。
「なんでわたし、戻ってきちゃったかな」
このひと、わたしのこと道具としか思ってないのにな。
ジライマさんの細い髪をなでる。地下に降りたとき真っ黒だった髪が、灰色になっている。相当疲れ果てたんだろう。
「どーぐとか、利用されてるとか。人生むちゃくちゃだとか、もうどうでもよくなっちゃったのかもしんない」
なんでわたし、このひとを助けちゃったんだろう。理由を考えたらそこに行き着く気がした。
「だって、今の私はもう飛倉優羽じゃない、ユウなんだもん。飛倉優羽はーーしんだ人だ」
今の私は、ユウ。記憶を失って、ジライマさんに拾われていままでジライマさんのために戦ってきた黒いエルフ。それがわたし。
「なんか腹立ってきた。最初聞いたら混乱するに決まってるのに、勝手に話進めて勝手にブチ切れて勝手に殺されて」
わたしはジライマさんのそばを離れたりしない。何があっても。
そうやって約束したのに信じてくれなかった。
「でも、そうやって殺すぐらいなんだからジライマさんにもなんていうか、赤い血が流れてるっていうか、情があるっていうか。ほんとにひどいひとだったら……あれでもやっぱ殺すの一番ひどい気がする……だめだもうこのひと」
好き勝手言ってると、突然てが伸びてきて、ほっぺをぶにゅ、と片手でつぶされた。
「てめえ、言いたい放題言いやがって……」
覚えとけよ。ジライマさんは舌打ちする。ほっぺを突き放された。
「なんだ。嬉しくないんですかーわたし戻ってきたのに。なんだっけ俺のものにならないくらいなら死ねーとかもうばかでー、はずかしー今思ったらはずかしーですよジライマさん勘違いはずかしー」
「黙れ……」
殴るぞ。と言って拳をつくった。ほんとに殴られるかと思ったら、殴られなかった。
「……えっ、なに、どういうことですか。殴るんじゃないんですか」
「少し静かにしてくれ……頼むから」
なんだかひどく拍子抜けした。ジライマさんは無防備にすうすう寝ている。
「あーへいわだー」
こんなことのんきに思ってるのはわたしだけにちがいない。
ただひとつーー心配なのは、ジライマさんを連れて突然逃げ出したわたしの行動に絶対戸惑っているであろうーー月子ちゃん、凜華ちゃん、そしてアラント王子と凪子さんだ。
「絶対混乱してる」
そしてーー必ずジライマさんを倒しに来るだろう。わたしはニヤリと笑った。
「かかってこいよ、妖精天使も、地下の王も、知るかよ」
ジライマさんを倒す前に、わたしを倒さなきゃいけないことをわかってんのかな。
一度死んだわたしは、魔力の箱にあまりにエネルギーを吸い込みすぎてもはやできないことのほうが少ないーー世界破壊兵器みたいなものだ。だからもう怖いものがない。
ーーだから、こんなに余裕たっぷりだ。
「ラスボスってこんな気持ちなのかな。いやラスボスはジライマさんだから、わたしは前ボス。ただし最強みたいな」
なんだかわくわくしてきた。これも魔力の影響で、こんなに好戦的になっちゃったのか。でもこれは、これは元々、飛倉優羽に備わっていた性格のような気がする。
昨日のことを思い出してるうちに、こんなことも思い出した。
「そういえば、ジライマさん愛してるって言ってくれた気がする……」
わたしとジライマさんも、もういっかいやりなおして、今度はアラント王子と凪子さんみたいになれればいいのにな。
「もっかい言ってくださいよ」
寝ているジライマさんに笑いかける。
「もう言わねえよ……」
と眠たそうに言った。
ーーー
俺は自分が生きてることに納得がいかない。
俺は今度こそ死んだとおもった。殺されたと思った。実際それだけのことをした。
殺されるならユウに殺されたいと思ったのは本心だ。
そしてたぶん、愛していると言ったことも……。
「はあ」
俺はもう一度目を覚ます。俺の顔を覗き込んでいる少女が見えた。「おはよーございます」と言って、照れながら笑っている。
なんだよもう。
「おにぎりできました」
形が歪な三角形のおにぎりが皿の上に五つ乗っていた。不器用なやつ。ひとつ掴んで食べる。
「なんか、うめえな」
やっぱり腹が減ってたのかもな。嫌においしく感じる。ユウは「よかった」と言って、ひとつをかじった。
……それにしても、なんで。
なんで俺を助けた?
俺はーーお前の人生を無茶苦茶にした張本人なのに。
最も恨まれるべき存在に、最も許されてしまった。
ああ、俺はおまえにひどいことしかしてねえなあ。
疑っちまうよ。ほんとはすげえ恨んでて、突然殺されるんじゃねえかって。
ユウは俺に、にこりと微笑んだ。
「ジライマさん、なに考えてるんですか」
「別に……」
何考えてるかってまあ、いろいろですよね。と言って笑う。そんなユウを、おにぎりをかじりながらぼーっと眺めて。
俺はある違和感に気づく。気づいた途端、その異常性に驚愕し、深く息を。
「おい、ユウ。……ここは、ここは地上だな」
「そうです。いつもの、おうちです」
「そうか……なら、なんで」
ユウ、おまえはなんで。
「なんで……その姿のままなんだ。ユウ」
そうだ……おまえを最後に見た、あの姿。全てが黒く、まるで魔人ーーいや、魔獣のような。
ユウはえへへと笑う。いったじゃないですか。もう人間でも魔人でもないんですよ。と。
「もうわたし、どちらの存在としての姿も捨てた、ただのばけものです。もしくは兵器」
……俺はただ呆然と、目の前の少女を見るしかできなかった。
なんだよそれ。
なんで受け入れてんだよ。
なんで許してんだ!
憎めよ!恨め!
俺の左手がゆっくりと、ユウに向かってのびる。そして細い首を掴んだ。
「ヒヒヒ、てめえ、俺をぶっ殺せるんだろ。いつでも」
この化け物。俺は吐き捨てる。
さらに、こいつを傷つけようとする。
だっておかしいじゃねえか。
なんで憎まないんだよ。
ユウは、首を締められて来るしそうに、それでも笑っていた。
「ジライマ……さん、げほ、なんで」
なんで、信じてくれないんですか。と小さく言った。
そして、刹那、表情を変える。
赤い、怒り。黒い炎。
「いいかげんにしろ……この、DV変態魔人野郎!! ふっざけんじゃねえぞこの、ボケ!!」
前も、言っただろうがてめえ、と俺の左手を突き放す。その勢いで俺は壁にぶっ飛ばされた。
なんて。
なんて力だ。
「勝手に決めんじゃねえぞ。ああーー確かにその気になればぶっ殺せますよジライマさんぐらい!もう赤子の手をひねりつぶすより簡単ですよ!でも、でも……ジライマさんを殺したり、憎んだり、絶対しませんだろうが!」
ジライマさんのことだいすきだけどーーそういうとこ大っ嫌いですもう、大っ嫌い、大っ嫌い!と叫んだ。
そして俺のところに走り寄る、胸ぐらを掴んで。
「……でも愛してます」
ユウの小さな唇が、俺の唇に触れた。
小さな体を抱き寄せる。細い。すべてを背負うにはあまりにも、細くて小さい。
ああ、俺はなんてことしちまったんだろう。
そう思うなら。大切なものだけはせめて信じられるようにならなきゃな。
「ーーそうだな。俺は勝手すぎた」
ごめんな。ありがとな。
大好きだよ。
叫んで鎌を振り下ろす。でも片倉凪子は責めるような口調で続ける。
「信じないならそれでいい。ただ、事実は事実だ。それに私だって黙ってられない。アラント様を殺そうとするのならわたしはおまえを放っておくわけにはいかないんだ」
たとえ、おまえを殺しても。それはアラント様の意に反していても、あの人だけは守るんだ。片倉凪子は言う。双刀に風を纏わせ、風と刀で切りかかってくる。
「おまえに話をする気がないなら結構だ。黒いエルフ。おまえは妖精天使なんかじゃない。ただの化け物だ」
「おまえに、おまえに言われたくない……裏切り者」
「何とでも言え。わたしは決めたんだ、わたしはアラント様のためだけに戦う。地上のやつらから守るんだ!」
あまりの気迫にわたしはうしろずさった。わたしたちは似てるようで全然違うってことがわかってきた。このひとは、自分の意思で裏切り者になった。アラントのために戦う。じゃあわたしは。ジライマさんのために戦うのは自分の意思だったか。ジライマさんは本当に私を助けてくれたか。わたしの戦う意味は。
ちがう。やめろ。余計なことを、考えるな。鎌を。振りかざせ。殺せ。
「オラァァッ!」
刃が片倉凪子の首をかすった。赤い血が流れる。
「ジライマのことをまだ信じようとするか。それでも」
「わたしは、信じたい……そんなの嘘だって、嫌だ、そんな」
泣きそうなわたしは鎌を強く握り、片倉凪子を潰そうと力を入れた。片倉凪子は双刀でそれに耐える。何度もぶつかった双刀は今にも折れそうだ。しかし片倉凪子はいまだ鋭い目でわたしを睨んでいる。そして、わたしから視線をそらして言った。
「なら聞いてみるといい。本人に。後ろみろよ」
わたしは鎌を握ったまま、ゆっくり振り返る。そして目を見開いた。
戦い果ててボロボロになったジライマさんが扉のところに立っていた。
目は虚ろで、黒い髪は振り乱れている。引きずるような足と、細い手で太刀をかろうじて支えている。しかし口元は異常なほどに笑っていた。
「ジライマ、さん」
あのひとのところに行きたかった。けれど、片倉凪子に背を向けた瞬間殺されるだろう。それだけのことをわたしはしたし、本当に殺そうとした。だから、ジライマさんの元へは行けない。今すぐ行きたいのに。片倉凪子は「なんだ、どうしたんだ」と不敵に言う。
「会いたかったんだろ。行って確かめて来なよ。おまえを、黒いエルフにしたのはジライマだって」
「ちがう、ちがう」
鎌を持つ手に力が入らない。わたしはただ、あのひとがさみしそうにするのが辛かっただけなのに。
「もう、そんなことどうでもいいのに、」
今更そんなことを言われても遅いのに。
ふと気づくと、膝をついて震えているわたしをジライマさんが見下していた。顔は笑っていない。まるで憎しみをこめたかのような表情でわたしを見下していた。
「ユウ」
聞きたくない。耳を塞ごうとしたわたしの腕を掴んだ。
「おまえ、今さっき初めて会ったうさんくせえ王子とその女の話と……いままで一緒に戦って来た俺と、どっちを信じるんだよ」
視界の奥でアラント王子が見える。決して玉座から動こうとせず、ただジライマさんの言葉を聞いた瞬間、眉をひそめて苦い顔をした。片倉凪子は表情を変えず見ている。そしてジライマさんは狂ったように笑っていた。
「ホントだよ」
「……っ!」
「バレちゃ仕方ねえ。全部全部、全部全部全部俺が、この俺が仕組んだことだ」
むしろいままで気づかなかったのかよ。ジライマさんは不敵に微笑む。わたしを闇の目で見つめながら。
「俺の本当の目的は封印されているデルタ王を殺してその魔力を奪い取ること。そしてその力を持ってして、俺は地下の支配者になる」
なあ、俺は俺のためにしか動いてないんだよ。耳元で低い声は笑う。わたしは震える、冷たい指先でジライマさんの頬を触った。
ああ。じゃあわたしは本当の本当に利用されていただけ。
このひとに利用されるため体を変えられ、記憶をなくした。
じゃあ、なんで。
なんであんなにさみしそうな顔を時々見せるんですか。
なんであんなに泣きそうな表情をするんですか。
「じらいま、さん」
「おまえそれでも俺のために戦うのか…?無理だろ。もう」
じゃあ殺してしまわねえとな。黒い光が目に宿った。太刀を振り上げ、黒い炎を刀身にうつす。
「そうだいつものように虐待されてえか?じっくりいたぶって殺してやろうか。俺はおまえの泣き叫ぶ声を愛してるぜ」
「じらいまさん……」
まあこんなとこじゃそんな時間もねえか。太刀が振り下ろされる。わたしはそれを避けようとしなかった。ただうずくまって、人思いに処刑されたいと思った。だが処刑は行われなかった。太刀はわたしを襲わない。ゆっくり顔をあげると、片倉凪子がボロボロの双刀を構え、太刀を食い止めていた。歯をギリギリ噛んで。それを見てジライマさんは「あぁ……?」と笑う。
「邪魔すんなよ。それに、こいつは、ユウはてめえらの敵だろ。さっきまで殺そうとしてた。違わねえか?」
片倉凪子はふらつきながら「ああ、敵だったよ。さっきまではな」と吐き捨てる。
「ただ、ジライマ、あんたがこいつを殺そうとするなら、こいつにとってジライマは敵だろ。つまりお互い、敵は一致した」
だからあんたを守るよ。片倉凪子は笑う。わたしは泣きながら首を振る。ちがう。なんでこうなってしまったんだろう。気持ちの整理がつかないのに、話は勝手に進んでいく。
「じゃあてめえも殺してしまわねえとな。片倉凪子」
太刀の切っ先を向けて笑う。片倉凪子は双刀を構えて顔をしかめる。
ジライマさんだってもう戦える体じゃないのに。ほんとはわたしが代わりに戦うべきだったのに。もうそれが許されないことも、自分にはできないこともわかっていても、そう思ってしまう。
「……凪子」
ひとつ呟いた言葉が脳みそに反響した。そう大きな声ではないのに、この大広間全体に響くような不思議な声。その声の主は、アラント王子。
「凪子を殺すのなら、俺はお前を殺すぞ。ジライマ」
なあジライマ。アラント王子は続ける。わたしたちは誰も動けない。まるで言葉が重すぎて動けなくなったように、アラント王子の言葉を聞いている。
「おまえは、元々魔獣だったな。元が獣だ。血で血を洗うように戦い、愛するしかできない愚かな獣だ。ーー俺もそうだった。50年前か、人間の世界で言うなら。あのときの戦いのとき、俺は本気で人間を根絶やしにしようと思ったよ」
だが、妖精天使ーー凪子に出会って俺は少しずつ変わったんだ。アラント王子がそう言った時、片倉凪子の目から涙が一筋こぼれた。
「誰かを大切にできるって幸せなんだ。こんな俺を、水面機関ーー人間を裏切ってまで愛してくれた、守ってくれた凪子のおかげで、俺はいま人間を殺そうとなんて思ってない。ただ、水面機関の暴走、それに対する過剰防衛のせいでまた戦争が起ころうとしている。さらにおまえーージライマの裏切りと、秘密裏に行われていた魔改造エルフ計画。冷酷と非道とまで呼ばれた俺だが、どうもここまで事態が悪化すると、やはり俺も動く必要があろうな」
おまえに殺されるまえにデルタ王を殺してしまわねばならん。
そのために水面機関に奇襲をかけねばならん。
「そしておまえを殺さねばな。ジライマ」
おまえは諸悪の根源だ。アラント王子は吐き捨てた。
「おまえは、俺と同じではなかったな。ユウはおまえにとってなんだったんだ。ただの道具だったのか。本当にそうなのか!?」
もしそうじゃないならおまえはやり直せる。俺の言いたいことは以上だ。そう言って立ち上がった。座っていたときはわからなかったが圧倒的におおきい。そして凄まじい存在感を放っている。
「凪子。下がれ」
「アラント様、しかし」
「下がれ。命令だ」
おまえは俺の妻である以前に俺の部下だろう。アラント王子は冷たく言った。片倉凪子は「……承知しました」と小さな声で言った。アラント王子は三日月の大剣を玉座の後ろから抜き取り、ゆっくりと歩いてくる。
「なにか言いたいことはないか、ジライマ」
「はっ。何にもねえよ」
「ユウに何か言うことはないのか。ーー死ぬ前に」
ジライマさんはわたしのほうをゆっくり見た。
わたしはジライマさんの顔を見て、涙が堪えられなかった。
だって、
このひとの悪意に満ちていない、純粋な笑顔を見るのは、
初めてだったから。
「ごめんな」
「ジライマさん。ジライマさん、ああ……」
ひどいひとだけど
だいすきだった。
「ありがとう」
と、微笑んだ刹那、一瞬で鬼の顔に。
赤く血が目の前で吹き出し、絶望のような痛みに襲われてわたしはその場に倒れこんだ。
「俺のものにならないくらいなら死ね」
愛してた、と声が聞こえて私の意識は遠くなった。
ーーー
これで良かったんだ。俺は赤く広がる血を眺めながら、歯を噛んだ。
血は心臓から流れ出ている。食い込んだ黒い短刀が心臓を貫いている。
「おまえっ……ジライマァァァ!!」
「よせ、凪子!!」
怒りに任せた攻撃ほど笑えるものはねえ。双刀を太刀で叩き切る。絶望の表情の女を、頭から叩き切った。頭から真っ二つだ。笑えるねえ。真っ赤に染まった床。ユウの血。片倉凪子の血。
「貴様……」
今度はアラント王子か。こいつにだけは俺は勝てないだろう。戦えなくなった黒いエルフも、怒りに染まった妖精天使も俺の前に屈したが、地下の王だけはだめだ。レベルが違う。
「あーこれは俺死ぬわ」
ヒヒッと笑う。だが、アラント王子はすぐ俺を殺しに来るかと思いきや、死んだ片倉凪子を両手に抱えていた。
「凪子……」
「……」
やめろ。そんなことすんなよ。
俺だって。
そう思ってしまった自分に気づいて、前髪をくしゃりとあげる。血まみれのユウが視界に入る。
そう思う前に、背中がガラ空きだぜって、そう思うべきだろ。太刀をひきずって、ゆっくり近づく。
「女と一緒に殺してやろうか、あぁ?」
だがアラント王子は動こうとせず、ただ片倉凪子を抱きかかえて震えていた。こいつもそんなもんか。
太刀を振りかざす。あっけねえなあ。でも立派な王子さんだったぜ。
「いやあああああああ!!!」
振りかざそうとしたとき、女の叫び声が聞こえて俺は手を止めてしまった。
水面月子。
園生凜華。
ピクシーとフェアリー。
二人が血まみれの有様を見て顔を真っ青にしていたんだ。
「おまえ……おまえが、やったのか」
園生凜華は震える声で言う。水面月子はユウの元へ駆け寄った。
「心臓が……貫かれて……」
目を虚ろにしたまま動かないユウを見て呆然としていた。
「ジライマだ……全てジライマがやった」
アラント王子が言う。「てめえっなんてことを!!」園生凜華が叫んだ。俺は面倒なことになったと冷静に思った。
「ユウもおまえが殺したのかよ……ジライマ……」
怒りに顔を赤くした園生凜華が言う。だから俺は笑った。
「そうだよ。ユウに全部ばれちまった。だから殺した。文句あっかよ。
ーー ユウは、俺の所有物だぜ」
「おまえ、おまえだけはああああ!!!」
園生凜華は絶叫した。拳に赤く花びらを舞わす。赤い、怒りに満ちた色。ひとつひとつが刃のように光る。
「あたしはーー月子やユウと違って普通の人間だ。でも、花に認められた妖精天使だ!殺すのはわたしの役目だって月子に言われたけどーーおまえだけは殺す!!」
ユウはおまえに利用されて殺されるために生まれたんじゃない!!
叫び声が刃となって、拳が突き出された。俺はーー俺は、なぜかよけきれずまともに喰らい、吹っ飛ばされて壁に激突した。
「ぐぅっ……はぁっ、」
次の拳が飛んでくる。また、またよけきれない。顔面に拳を食らい、今度は右方向に吹っ飛ばされた。げほ、げほと咳き込む。
殴られるのって、痛えな。
殴ってばっかりだったのに。
そう思えば、俺はここにくるまでの戦闘でボロボロだったんだ。
勝ち目がないことに気づいた。園生凜華だってボロボロだが、俺はもう身体も心も死にかけも同然だったんだ。
「ユウを殺さなきゃ良かった」
次の拳が向かってくる。俺は薄目を開けてそれを見ていた。
ユウさえいれば、きっと俺は戦えたのに。
ユウを失うことで目的も手段も失って、なにより俺の心まで失ってしまったことに今更気がついた。
ぴたり、と園生凜華の拳が止まる。
「殺さなきゃ良かったなんて……おまえ、わかってんのかよ……」
自分で壊したんだぞ。
わかってるよ。
ああ、ちきしょう。
園生凜華の拳を目の前で見ている。その視界の隅で、
信じられないものを見た。
「なっ……!?」
水面月子が声を上げる。アラント王子が息を飲む。
振り返った園生凜華は目を見開いていた。
「ジライマの、ボケが」
よく知った声が笑った。黒い影は、闇の力を吸収して渦巻き、やがてひとつの体に取り込まれた。影は飛び起きて、「ジライマさんのボケがアアアアア!」と叫び声をあげた。
「勝手に決めつけて殺すんじゃねえぞぶっ殺すぞジライマ」
ユウ。
黒いエルフ。
いやーーその姿は。
ユウを連れ出したときに見た、暴走した黒いエルフの姿ではないか。
髪は黒くうねり、目は金色でギラギラしている。手はまっくろで鋭い爪。服はスカートだが「じゃまだ」と言ってビリビリに破られた。足も真っ黒でまるで、鷲の爪だ。
「心臓潰されて死なないんじゃもう死ねないよなあ、わたし……」
ユウは水面月子に「月子ちゃんありがとう」と言った。そしてアラント王子と片倉凪子のところへ。
「アラント王子」
「……驚いた。君は不死身なのか」
たぶん。と切なそうに笑う。
「わたしも……あなたと、凪子さんみたいになりたかった。もし、凪子さんを魔人にしてもいいのなら、わたしは凪子さんを生き返らせることができる」
と言って、なぜか俺の方を向いて微笑んだ。
園生凜華は「信じられない……」と呟く。
「でも、良かった、生きてて」
おまえも嬉しいんだろ。園生凜華はユウの元へ走って行った。
俺は取り残されて呆然とするしかできなかった。
「魔人になっても……そういうことか」
アラント王子は小さな声で言った。君はもう人間ではない。どちらかというと魔人なのか。
「どっちでもないです。ただの、ばけものだ。凪子さんをわたしまでとはいかないけれど、それに近い状態にすることができると思います」
わたしには最も生命を司るエルフの力があるから。
「頼む」
アラント王子はそれだけ言った。ユウがわかりましたと言って、手をかざした瞬間に片倉凪子は黒い闇に一瞬包まれ、そして次の秒にはもう目を開いていた。
「わたしは生きているのか……」
「凪子……すまない」
アラント王子は片倉凪子を抱きしめる。
ああ、なんだよ。なんなんだよ。なんでだよ。
黒い感情が沸き立つ。
全部、全部台無しじゃねえか。
ユウが生き返って嬉しいはずなのに、俺の心は闇に支配されていく。黒く、黒く。
俺に気づいた水面月子は、俺を睨みつける。
「ーー二人が生き返ったからって、おまえを許したりしないよ」
「おまえだけは、ユウがなんと言おうと倒さなきゃだめだ」
妖精天使が二人、俺に武器を向ける。
「わたしも戦うよ。次は殺す……」
片倉凪子が立ち上がった。
「おまえだけは生かしておけん」
アラント王子は大剣を向ける。
はっ、全く。
どいつもこいつも。
「おい、ユウ」
黒い感情に支配された俺は笑う。
「お前はーーどうするんだ」
俺を殺すか?
ユウは、初めて見る表情で俺を見ていた。
いつも優しく微笑んだり、顔をピンク色にして不貞腐れたり、つらいと言って泣いたり、大きく笑ったり。
そんな表情とはかけ離れた、侮蔑と呆れの表情だった。
顔を見ればおまえの考えていることなんかまるわかりだ。
「いいぜ、殺せよ。
俺はーーどうせ殺されるならおまえに殺されたい」
黒い感情に支配された心が、ただ一つだけ本音を吐いた。
全ての刃が俺に向かってくる。ああ、俺の身体は全て切り刻まれて、殺されるんだろう。
精一杯、悪を努めた。
ジライマ。
おまえは幸せだったか?
俺に最初に振りかぶったのは、大きな黒い鎌だった。
俺の視界は真っ黒になった。
ーーー
小鳥が囀っている。わたしは眠りから目を覚ました。
いつものおふとん。ジライマさんの匂い。
「起きてくださいよ」
いつものように、隣を揺さぶる。そしたら、いつものように蹴られちゃうんだろうな。
「……ハッ!?」
がばっ。ジライマさんは飛び起きた。しかし全身の痛みに「アアアァァ……」と言ってまた倒れこむ。
無理もない。あんな大勢に切りかかられたんだ。
そしてーーここまであの瞬間テレポートしただなんて。
つくづく人間離れしてきたというか、もはや妖精天使とか魔人とか関係ないただの超人ばけものみたいになってきてしまった。これも、このダメダメ魔人のせいだ。このひとに本気で殺されたからだ。
「な……なんで俺、なんで生きてるんだ」
本当に取り乱して混乱している。ちょっと面白い。
「端的に申し上げますと、あの瞬間ジライマさんかついでテレポートしてきました」
「はぁ!? ……………え、はあ!? なっ、えっ………はああ!?」
このひと、こんな顔もするのか。
「おにぎりたべますか」
「おにぎり食う……」
腹減った。頭がぐちゃぐちゃでわかんねえよもう。ジライマさんは薄笑いした。
わたしはお米をごしごし砥ぎながら、昨日あったことを思い出していた。
現にわたしは本当に一度死んでいる。わたしを黒いエルフたらしめている、魔力の箱は心臓に埋められている。さらにエルフの鍵は胸に埋められている。心臓部分を完全に貫かれたわたしはエネルギー源を壊されて本当に死んだ。
だが、わたしの死んだ場所は、地下。魔界だった。
魔界に満ちている黒いエネルギーが、心臓にある魔力の箱に吸い寄せられた。そのことによって魔力の箱は形を取り戻した。さらに黒いエルフとして長くあり続けたために、エルフの鍵は魔の力といつしか合体していた。それにより、魔力の箱からエネルギーを吸収してエルフの鍵も復元され、さらに魔力を内に込めた膨大なエルフの生命エネルギーによって、飛倉ユウは復活した。
理屈はきっと、そんなところだ。
なぜかそれが、分かってしまうのだ。
「もう、わたしのことはわたしが一番わかってるみたいだ」
記憶を失って右も左も分からなかったわたし。
なにより自分のことが一番わからなかったわたし。
……まあ、記憶を失う以前のわたしを、わたしは未だに知らないままだけど。
白い研ぎ汁を流して、お釜を炊飯器にいれる。分量の水を測って、ボタンをぽちり。
あとはごはんができるまで、しばらく待てばいい。
ジライマさんのところに戻ると、ジライマさんはまた寝息をたてて眠っていた。
「なんでわたし、戻ってきちゃったかな」
このひと、わたしのこと道具としか思ってないのにな。
ジライマさんの細い髪をなでる。地下に降りたとき真っ黒だった髪が、灰色になっている。相当疲れ果てたんだろう。
「どーぐとか、利用されてるとか。人生むちゃくちゃだとか、もうどうでもよくなっちゃったのかもしんない」
なんでわたし、このひとを助けちゃったんだろう。理由を考えたらそこに行き着く気がした。
「だって、今の私はもう飛倉優羽じゃない、ユウなんだもん。飛倉優羽はーーしんだ人だ」
今の私は、ユウ。記憶を失って、ジライマさんに拾われていままでジライマさんのために戦ってきた黒いエルフ。それがわたし。
「なんか腹立ってきた。最初聞いたら混乱するに決まってるのに、勝手に話進めて勝手にブチ切れて勝手に殺されて」
わたしはジライマさんのそばを離れたりしない。何があっても。
そうやって約束したのに信じてくれなかった。
「でも、そうやって殺すぐらいなんだからジライマさんにもなんていうか、赤い血が流れてるっていうか、情があるっていうか。ほんとにひどいひとだったら……あれでもやっぱ殺すの一番ひどい気がする……だめだもうこのひと」
好き勝手言ってると、突然てが伸びてきて、ほっぺをぶにゅ、と片手でつぶされた。
「てめえ、言いたい放題言いやがって……」
覚えとけよ。ジライマさんは舌打ちする。ほっぺを突き放された。
「なんだ。嬉しくないんですかーわたし戻ってきたのに。なんだっけ俺のものにならないくらいなら死ねーとかもうばかでー、はずかしー今思ったらはずかしーですよジライマさん勘違いはずかしー」
「黙れ……」
殴るぞ。と言って拳をつくった。ほんとに殴られるかと思ったら、殴られなかった。
「……えっ、なに、どういうことですか。殴るんじゃないんですか」
「少し静かにしてくれ……頼むから」
なんだかひどく拍子抜けした。ジライマさんは無防備にすうすう寝ている。
「あーへいわだー」
こんなことのんきに思ってるのはわたしだけにちがいない。
ただひとつーー心配なのは、ジライマさんを連れて突然逃げ出したわたしの行動に絶対戸惑っているであろうーー月子ちゃん、凜華ちゃん、そしてアラント王子と凪子さんだ。
「絶対混乱してる」
そしてーー必ずジライマさんを倒しに来るだろう。わたしはニヤリと笑った。
「かかってこいよ、妖精天使も、地下の王も、知るかよ」
ジライマさんを倒す前に、わたしを倒さなきゃいけないことをわかってんのかな。
一度死んだわたしは、魔力の箱にあまりにエネルギーを吸い込みすぎてもはやできないことのほうが少ないーー世界破壊兵器みたいなものだ。だからもう怖いものがない。
ーーだから、こんなに余裕たっぷりだ。
「ラスボスってこんな気持ちなのかな。いやラスボスはジライマさんだから、わたしは前ボス。ただし最強みたいな」
なんだかわくわくしてきた。これも魔力の影響で、こんなに好戦的になっちゃったのか。でもこれは、これは元々、飛倉優羽に備わっていた性格のような気がする。
昨日のことを思い出してるうちに、こんなことも思い出した。
「そういえば、ジライマさん愛してるって言ってくれた気がする……」
わたしとジライマさんも、もういっかいやりなおして、今度はアラント王子と凪子さんみたいになれればいいのにな。
「もっかい言ってくださいよ」
寝ているジライマさんに笑いかける。
「もう言わねえよ……」
と眠たそうに言った。
ーーー
俺は自分が生きてることに納得がいかない。
俺は今度こそ死んだとおもった。殺されたと思った。実際それだけのことをした。
殺されるならユウに殺されたいと思ったのは本心だ。
そしてたぶん、愛していると言ったことも……。
「はあ」
俺はもう一度目を覚ます。俺の顔を覗き込んでいる少女が見えた。「おはよーございます」と言って、照れながら笑っている。
なんだよもう。
「おにぎりできました」
形が歪な三角形のおにぎりが皿の上に五つ乗っていた。不器用なやつ。ひとつ掴んで食べる。
「なんか、うめえな」
やっぱり腹が減ってたのかもな。嫌においしく感じる。ユウは「よかった」と言って、ひとつをかじった。
……それにしても、なんで。
なんで俺を助けた?
俺はーーお前の人生を無茶苦茶にした張本人なのに。
最も恨まれるべき存在に、最も許されてしまった。
ああ、俺はおまえにひどいことしかしてねえなあ。
疑っちまうよ。ほんとはすげえ恨んでて、突然殺されるんじゃねえかって。
ユウは俺に、にこりと微笑んだ。
「ジライマさん、なに考えてるんですか」
「別に……」
何考えてるかってまあ、いろいろですよね。と言って笑う。そんなユウを、おにぎりをかじりながらぼーっと眺めて。
俺はある違和感に気づく。気づいた途端、その異常性に驚愕し、深く息を。
「おい、ユウ。……ここは、ここは地上だな」
「そうです。いつもの、おうちです」
「そうか……なら、なんで」
ユウ、おまえはなんで。
「なんで……その姿のままなんだ。ユウ」
そうだ……おまえを最後に見た、あの姿。全てが黒く、まるで魔人ーーいや、魔獣のような。
ユウはえへへと笑う。いったじゃないですか。もう人間でも魔人でもないんですよ。と。
「もうわたし、どちらの存在としての姿も捨てた、ただのばけものです。もしくは兵器」
……俺はただ呆然と、目の前の少女を見るしかできなかった。
なんだよそれ。
なんで受け入れてんだよ。
なんで許してんだ!
憎めよ!恨め!
俺の左手がゆっくりと、ユウに向かってのびる。そして細い首を掴んだ。
「ヒヒヒ、てめえ、俺をぶっ殺せるんだろ。いつでも」
この化け物。俺は吐き捨てる。
さらに、こいつを傷つけようとする。
だっておかしいじゃねえか。
なんで憎まないんだよ。
ユウは、首を締められて来るしそうに、それでも笑っていた。
「ジライマ……さん、げほ、なんで」
なんで、信じてくれないんですか。と小さく言った。
そして、刹那、表情を変える。
赤い、怒り。黒い炎。
「いいかげんにしろ……この、DV変態魔人野郎!! ふっざけんじゃねえぞこの、ボケ!!」
前も、言っただろうがてめえ、と俺の左手を突き放す。その勢いで俺は壁にぶっ飛ばされた。
なんて。
なんて力だ。
「勝手に決めんじゃねえぞ。ああーー確かにその気になればぶっ殺せますよジライマさんぐらい!もう赤子の手をひねりつぶすより簡単ですよ!でも、でも……ジライマさんを殺したり、憎んだり、絶対しませんだろうが!」
ジライマさんのことだいすきだけどーーそういうとこ大っ嫌いですもう、大っ嫌い、大っ嫌い!と叫んだ。
そして俺のところに走り寄る、胸ぐらを掴んで。
「……でも愛してます」
ユウの小さな唇が、俺の唇に触れた。
小さな体を抱き寄せる。細い。すべてを背負うにはあまりにも、細くて小さい。
ああ、俺はなんてことしちまったんだろう。
そう思うなら。大切なものだけはせめて信じられるようにならなきゃな。
「ーーそうだな。俺は勝手すぎた」
ごめんな。ありがとな。
大好きだよ。