
この別大国道ですが、かつては駕籠(かご)も通れないほど狭く、大変険しい場所でした。そのため北九州方面に行く豊前道は、大分市生石から挾間北部を通り高崎山裏の銭瓶峠を抜けるルートをとっていました。1811年には伊能忠敬がこのルートを測量し挾間を通過しています。明治時代になるまで豊前道の本線でした。
もう一つ挾間には大分の大動脈が走っています。国道210号線です。現在は大分から久留米までの幹線ルートですが、かつての豊後でも江戸幕府の日田代官所と高松代官所(大分市)を結ぶ政治的に極めて重要な街道でした。ルートは現在の210号とはだいぶ違います。大分市宮苑や東院から古野、赤野、東行、朴木を通り別府へ抜けて由布院に入るルートでした。その中で、赤野には地理的位置から宿泊所が置かれていた記録があります。
挾間は昔から交通の要所でもありました。