染まる、こころ | Flat or Falt.

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Baby my heart beats for U

KとK


 ― 光は消えうせた、残る心は置いていこう



 キッチンに設置されたシンクを抱いて、前のめりに体を倒した。銀色に光るシンクの底ぎりぎりに頭を下げ、蛇口を捻る。見開いた目は確認する。視界に入る色は金色。蛇口から流れ出た水とともに、後頭部から一斉にゴールドの色彩が流れ落ちた。

 声にならない声が喉から出る。薬品の刺激臭を呼吸器官内への侵入を許す。シンクに頭を突っ込んだ状態で激しく咳き込む。やがて目眩を合図にして酸欠が訪れる。がばっと勢いよく顔を上げる。勢いが良すぎたせいか、薬品の刺激臭が脳内への回りが早くなる。ぐるぐる、視界がまわる。どうして、今自分は髪色をゴールドに染めているのだろう。冷静になど考えられるはずもなく、回る視界に胃の中がかき回される。今朝から胃に何もいれていないので、幸いこみ上げてくるものはない。




 「(そろそろ、やばいな)」




 視界が歪み、気持ち悪さも最高潮のなか、喉の奥から警告音が鳴り始めている。勢いよく上げたせいで、蛇口の先端に後頭部を打ち付けた。鈍い痛みが襲う頭を抱えながら部屋へと向かう。ベッドの枕元に置いておいたプラスチックの喘息用吸入器に手を伸ばす。それをぐっと口に突っ込むと、矢継ぎ早に突起を押した。喉の奥で鈍い音がする。噴射口を銜えたまま目を細める。鈍い痛みを発する頭が、視界の歪みを更に助長する。





 「…ああ、回る。」





 冷静になって足元を見る。荒れ果てたシンクから染色薬品が床を這っている。髪の色素を抜いた後、ゴールドにしていた途中だった。この結果は非常に最悪だ。あとでミンソクあたりに叱られるに決まっている。のろのろと洗面所へと向かい、棚からタオルを取り出す。それを手にしたままキッチンへ戻り、シンクに飛散した薬品や水滴をふき取る。綺麗に拭きとったところでタオルを洗濯機に入れる。空になった容器をプラスチックごみの袋に捨てる。

 冷蔵庫に頭を突っ込み、錠剤薬を探す。探し当てた薬袋からシートを取り出し、喘息の発作を併発させないように薬を2錠飲む。コーティングが溶けないうちに、生唾と共に喉の奥へと流し込む。足元に敷かれていたマットところどころゴールドに汚染されていた。片付けることすら億劫になり、それらを一瞥するとベッドに向かった。

 ベッドの中でもぞもぞと何度も寝返りをうつ。まんまとタイミングを逃したことで、薬が効くまでに時間がかかった。呼吸は依然、不安定なまま。ベッドヘッドに置いておいた吸入器を口に含んで顎を上げた。噴射させて、気付く。残量は先ほどので既に尽きていた。空しい音が喉の奥で鳴った。思わず、笑いが漏れた。




 「めんどくさいな」




 両手で口を押さえ付け、目を伏せた。夜明けの気配があるのに、朝が来るのを待ちわびた。目を閉じてみても一向に訪れない眠気。どうしたものかと伏せた目をもう一度きつく閉じると、目じりから一筋涙が流れた。はあ、とため息を枕のなかに吐き出すと、その生暖かさに先ほど収まったはずの気持ち悪さがこみ上げた。眠れないので小説の続きを読もうかと手探りしてみるも見当たらず。閉じた瞳を開けることすら億劫に感じられる。依然、不安定極まりない呼吸。

 長くなってきた片側の前髪が目にかかる。自力で染めたことで、色が斑になっている。大分くすんだゴールドだ。これでは爆笑されること間違いない。スホにはきっと、勝手だと怒られるだろう。はあ、ため息。埋めた顔を上げると、部屋の入り口に佇む一人が目に入る。そいつは、こちらを見て吃驚したような表情を浮かべている。



「ひょん、なにそれ」
「……自分でやったら、失敗した」
「勝手するとスホヒョン怒るよ。それと、ちゃんと髪乾かしたの」
「怒るのは承知済み。まあまあ、乾かした」
「それ多分、乾かしたうちに入らないと思うよ」



 その言葉を残してカイはリビングのほうへと消えた。混乱した頭でもカイが敬語を使っていないことはわかっていたが、注意をするほどの体力も残されていない。眠気は未だに訪れないが、疲労感だけは凄まじい。ぎしり、唸るベッドのスプリング。入りきらない足を折り曲げ、枕に顔を埋めて一向に訪れない眠気を待つ。

 洗面所の方からばたりと扉を閉める音。少しずつ足音が近づいてきている眠気。まどろみ始めたところで、頭を覆う布の存在に気が付く。布で軽く覆われた頭を、ガシガシと布越しにかき回す少しばかり大きい手。それはカイのもので、十分に乾かしていない俺の髪の毛をタオルで豪快に拭いている。拭いているというよりは、髪の毛をこねくり回しているようだ。幼い子どもの頭をふざけて拭くような、そんな感じの。




「ヒョン、やっぱりこの色似合いますね」
「そうか?だいぶ汚くなったけ、ど」
「…もしかして、さっきまで発作出てました?」
「薬飲んだから、大丈夫だ」
「やっぱり…だから勝手に自分でやるなって、スホヒョンも言ったんじゃないですかね。一人しかいないのに何かあったらどうしてたんですか」





 カイがあからさまに怒りの色を含めた言葉を放つ。髪をこねくり回す手は止めず、沈黙。微かに残った染色剤の刺激臭が鼻を掠める。整い始めていた呼吸がまた少し、乱れる。気づかれないように再び顔を枕に押し付けると、カイが手を止めた。





「ヒョン、…それじゃあ拭けないですって」
「…もう、十分だろ」
「黙ってこのまま拭かれるのと、あとでスホヒョンに叱られるの。どっちがいいですか」





 勝手をしたことは認める。キッチンのシンクを汚したし、タオルも一枚ダメにした。それは悪かった。乱れ始めた呼吸を隠そうとするたび、視界が歪み序でに思考も乱れる。もう少し強い薬に変えてもらおうか。そうするときっと、今度はギョンスが怒る。何をしたって、怒られるのだ。




「ヒョン」
「…、は」
「ゆっくり深呼吸、して」
「、、は、あ」
「吸入器どこ」





 空になった吸入器を指さす。カイはそれを手に取ると軽さで勘付いたのか舌打ちを漏らす。カイがうつ伏せの俺のお腹部分に腕を差し入れ、ぐるりと仰向けに見事に転がった。「おきて」と言われ、上体をゆっくりと起こす。

 しばらくすると、呼吸が幾分かましになってきた。ベッド脇に腰かけているカイの肩に額を乗せ、ふう、と大きくゆっくり息を吐く。軽く咳き込むと、痰が喉の方から湧き上がる。飲み込もうと喉に力を入れる。うまく飲み込めず、また咳き込む。こんこん、と繰り返される咳。口の中で転がる痰を吐き出したい。うまく出来ない。なぜだか涙が溢れてくる。





「ヒョン、はい」





 差し出された薄いティッシュペーパーに、口内の痰を吐き出すと気分までもが爽快になった気がした。丸めたティッシュペーパーを通じて、吐き出した痰の生暖かさが伝わってきてとても気持ちが悪い。丸めたそれを勢いよく、ゴミ箱めがけてスローイング。ゴミ箱に届く前に、音もなく床に落ちた。すかさず差し出されたティッシュペーパーを受け取り、それで頬を伝う涙を拭いた。濡れて丸まったそれも、ゴミ箱めがけてスローイングするが見事に届かず。ゴミ箱の前で丸まった、二つのティッシュペーパー。下手くそ。カイが笑いながら小さな声で、そう言った。

 丸まって床に転がる二つのティッシュペーパーが、虚しい俺たちの今に、少しだけ似ていた。




→Fin