annegato | Flat or Falt.

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Baby my heart beats for U

KとK



 部屋で読書をしていたはずのクリスヒョンが、非常にゆったりとした足取りでリビングにやってきた。

 くだらない休日のバラエティを垂れ流しながら、ソファに寝そべって携帯を弄り倒していると、部屋から出てきた兄の様子が少しおかしいことに気が付く。けれど、さして気にも留めずにそれを受け流し、携帯とバラエティに神経を戻した。

 兄は昼飯になるようなものを物色しているのか、冷蔵庫を開け放したまま激しい物音を立てている。今日のお昼ご飯は確か、冷凍庫に入っているもので適当に済ませておいてくれとギョンスヒョンに言われていたのを今時分思い出した。それを伝えようと携帯の電源を落とし、冷蔵庫のなかを物色している兄を見やる。広い背中がくの字に折れ曲がり、その背中から荒い息を繰り返していることがありありと伝わってきた。





「ヒョン、昼飯なら冷凍庫にありますよ」





 背後から兄の広い背中に向けてそう声を掛けると、半分ほど冷蔵庫のなかに突っ込んでいた顔を出した兄の顔色が、とても悪い。冷やされ続けたということを抜かしても、顔に色がないところまで来てしまっている。元から白い肌の色が、それを通り越して最早青白い。もしやと思った時には、口から言葉が滑り落ちていた。





「薬なら、部屋にある机の引き出しって言ってませんでした」
「…あ、そうか」
「大丈夫ですか」
「ああ、まだ平気だ」
「早く飲んだ方がいいんじゃないですか」




 その言葉に小さく「そうだな」と漏らした兄の呼吸が、段々と早いものに変わっていく。薬の袋を取りに行ったのか、兄は部屋の方へと消えていった。

 彼が喘息もちだと判明したのは、つい最近のことだ。雑誌の撮影中に断って席を立った兄が、お手洗いの鏡の前で苦しそうに蹲っているところを発見したのが、そのことを知る切っ掛けだった。後日、酷いほうなのかと密やかに問うと、彼は「普通より少し重い、ぐらい」と柔らかい表現でもって、答えを濁したのだ。

 薬の入っている袋を手にして戻ってくると、キッチンの戸棚からグラスを一つ取り出し、そこに水道水を注いだ。そのまま薬を飲むのかと思いきや、水の入ったグラスを持ったままリビングへと移動して食卓用テーブルの椅子に腰を掛け、ふぅと一息。兄は薬の入った袋からシートを取り出してから、必要な分だけを指で押しだし、それを口に含んだ。シュガーコーティングが溶けないうちに水道水で胃に流し込む。切り取った分のシートを大きい手でぐしゃりと握り潰し、テーブル横に置かれたゴミ箱へ投げ入れた。残りのシートは丁寧に袋にしまい、それを持って兄はまた部屋へと戻っていった。

 再びリビングに戻ってきた兄の呼吸は、未だに荒い。薬を飲む前よりも悪化の一途を辿っているようにも思えるのは、気のせいなのだろうか。





「寝るんですか」
「寝たいけど、まだ無理だな」




 手にしていたグラスに残った水を一息で飲み干したあと、上がっていく息を整えるかのようにして深い息を吐く。それを数度繰り返したあと、顎を上げて小さく舌打ちをした。




「小説の続きを読みたかったんだけどな」
「読めばいいじゃないですか」
「いま読んでも頭に入ってこない」




 依然として荒い息を繰り返しているが、薬は先ほど飲んでいる。以前、タイミングを逃すと効き目が遅くなり、結局は発作が起きるのだと兄は言っていた。これ以上悪化したならば、病院に行くべきなのだろうか。最悪の結末を、思い描き始めていた。

 そんな心配をよそに、兄はどかりとソファに沈み込み、垂れ流していたバラエティを見始める。そんな兄の隣に腰をおろして膝の上に頭を乗せて寝転ぶと、兄はちらりと一瞥しただけでまた視線をテレビに戻した。

 膝の上に頭を預けて拒否されないのをいいことに携帯を弄り始めると、バラエティを見ていた兄が軽い咳をした。その振動が伝わり、危うく携帯が手から滑り落ちそうになった。一度の咳で箍が外れたのか、兄は上体をソファの背もたれに預け、幾度か咳を繰り返した。楽な体制を見いだせないのか、上を向いたまま苦しそうに咳を繰り返す。そろりと膝の上から退くと、途端に上体を折り曲げ、痰が絡んでいて苦しそうな咳を繰り返した。発作は悪化の一途を辿っている。全身で咳き込み、口を右腕で覆う。痰が喉に絡まっているのか、苦しんでいる。

 ソファから立ち上がり、先ほど兄が薬のシートを捨てたゴミ箱を取りに行く。そっとそのゴミ箱を差し出すと、兄はそこに顔を埋めて、何度も淡を吐きだした。



「じょん、いな…、」


 兄は咳込みながらも、独特の低い声で言葉を続ける。


「…た、すけ…てくれ」




 兄はこういう時、物凄い勢いで「生」というものにしがみ付く。その様は普段の舞台上とは正反対に、酷く無様で、そして切ない。

 兄の部屋へと趣き、吸入器を手にリビングへ戻る。吸入器を口に含ませ、突起を押す。兄は目を細め、横目でゴミ箱の中の残骸を一瞥した。ほとんどが痰と混ざった胃液。それにしても、かなり吐き出したなと思う。

 吸入器を口に含んでいる兄は、溺れた魚に似ている気がした。








 あれから膝の上で丸まって眠りにつき、すっかり憔悴しきった様子で整った寝息を静かに立てている。普段であれば兄のしなやかで大きな身体に憧れを抱く。だが、その兄が助けてくれと酷く無様な姿で懇願をする。生と死の狭間で揺蕩う姿を見て、何度も密かに笑う。

 しなやかで、強かで、それでいてあの優しい腕に抱かれてみたいとも思う。兄が生への執着合図を見せる限りは必ず、手を伸ばすのだろう。自分がいて、兄がいる。互いに安堵しあえる関係になれたら、と。そんな甘い白昼夢を見た。

 テレビは未だに、くだらないバラエティを垂れ流していた。




→Fin