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前回のアメ限記事からまたまた空いてしまってお詫び申し上げます。
ボヤキを読んで下さった親愛なる心友の皆様がたにはこの場を借りてお礼申し上げます。
今日はガラッと変わって、ふと大人の美学について書いてみたいと思い今回のテーマに据えました。
いざ大人の定義を考えた時、私自身曖昧にしか定義が出てこなかった。
なので、今更であるが大人とは何ぞや…こう思いながら調べてみた。
大人(おとな)とは、
- 十分に成長した人。成人。
- 考え方や態度が十分に成熟していること。思慮分別があること。
一般に「子供(こども)」という表現と対比されている。
こう出てきた笑。
恐らく文学者の先生でも頭を捻られてこの答えに行き着いたのだろう。
さらには意外と曖昧なのが大人と云うものなのだと分かった。
ならば今回は自分なりに大人について書いてみようと思い立った。
当たり前ですが人生ってなかなか思い通りには進まんモノですね。コレを身を持って体験しておるのが大人なのだと云われそうではありますが、挫折と屈折を繰り返した後に捻じ曲がる人もおれば、うまくいかない事など当たり前といつの頃からか知り尽くしていて謙虚でやさしい人柄になっていく人もいる。この違いは実に大きいと云えるのは間違い無かろう。
後者を大人と呼ぶのは云うまでも無いが、やはり大人になると捻じ曲がったりした性根と呼ばれるものはそうそう変わらん。子供なら思い通りにならんと云ってはその都度泣き喚いたりするのも許されるが大人になるとそう云う訳にも行かん。それどころか見苦しいから始末に悪い。
「ききわけ」これが自然と身に付いておるのも大人なのだろう。
最近よく聞くクレーマーにパワハラ、この二つも厄介なのだが、あまりと云うか殆ど子供の世界には無い。二つとも捻じ曲がった大人によって世間に認知されてきたと云えよう。相手に腹がたてば理性も自制もコントロール出来なくなってしまうのだろう。これでは大人として寂しい。
こう思うに大人の美学とは余裕なのかも知れんと気付く。余裕が無いと相手を責め倒したりさらには相手に嫉妬したり相手を攻撃する事によって己れ自身も自滅への道へ一直線と云う事にもなりかねない。
こうなってしまっては幸せな人生からも遠ざかってしまう。
マトモな人も離れていってしまうだろうから、魅力的な人と付き合える特権までも自然と無くしてしまう。魅力的な人と付き合える特権と云うのは誰にでも持ち得る特権なのですよ。人生重ねると痛感する事でもありますが、なかなか魅力的な人と云うのは少ないのも事実と云えよう。この歳になってつくづく思うのだが、魅力的な人が身近に居る人生とそうで無い人生とは天と地ぐらい違ってくると思う。
驕らず威張らず謙虚。
余裕から来る思いやりを持ち得る。
滅多矢鱈に怒らない。
素直で気さくで誠実な人柄。
自分が悪いと思ったら心から詫びる素直さも持ち合わせている。
図々しい事は云わず自分の云った事には責任を持つ。
約束は必ず守る。
こんな人柄を持つ人こそ大人の美学を持ち得る人なのだと思う。
男性女性問わず、人を魅きつける人には大人の美学が備わっているように思う。見た目においては若さには勝てないのも事実かも知れんが、個人差はあっても大人には大人の妙味が隠されている。歳を重ねて見た目は老いたとしても中身まで老いてしまってはくたびれたオッサン、オバハンに成り果ててしまうだけである。こうなれば異性にモテる筈も無い。大人の美学と嫌らしく無い自分磨きは一生持ち続けたいものだ。
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