飛鳥を翔た女性たち〜♪ | ルリ・はるよのブログ

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ブログを楽しんで アップさせていただいていま~す
皆さんの ブログも楽しく拝見させていただいておりま~す


少しだけ、奈良の文化にふれて

増々奈良に魅了されました



飛鳥寺で貰ったパンフレットを

見て…

日本国の礎を築いた女性たちを

知ることが出来ました







色々な資料を観て…




 推古天皇


在位西暦592年~628年まで…

 日本最初の女帝


国際的に通用する国の基盤制度の

立案や、仏教興隆政策を

聖徳太子.蘇我馬子と共に作り

上げていきました



7世紀はじめに、髄と国交を
結ぶ為、小野妹子を使節として
遣隋使を送っている
中華王朝との外交関係が構築され
た時代でもある。




 斉明(皇極)女帝


 皇極天皇

 在位642年〜 645年


37歳で舒明天皇と結婚

舒明天皇が、次期天皇を指名しないまま崩御したことから、

皇位継承争いが激化します。

自らの意志とは無関係に、

女帝の道を歩み始めます。



ネット拝借

皇極女帝が即位した642年の夏、

飛鳥の地は大干ばつに見舞われ

ました。

当時、天変地異は為政者の不徳、

と考えられていたため、

大臣の職についていた蘇我蝦夷は、大勢の僧を呼んで雨乞いを実施。

4日間に渡って読経させましたが、

小雨が降った程度で断念してしまいました。

その様子を見かねた皇極女帝は、

飛鳥川の川上、女淵付近に櫓を

組み、自ら雨乞いを実施。

すると突如大雨が降り、民は

皇極女帝を「至徳まします天皇なり」と称えたそうです。







 斉明天皇

 在位655年〜 661年


国を大きく変えた大化の改新…


ネット拝借

舒明天皇の死後、王位継承争いを

さけるため、即位した。

 645年、飛鳥板蓋宮(いたぶきの

みや)で蘇我入鹿(そがのいるか)が暗殺された「乙巳(いっし)

の変」後、弟の軽皇子(かるの

おうじ(後の孝徳(こうとく)

天皇)に位を譲ったが、孝徳天皇

の死後再び即位し斉明天皇となった。





 善信尼

6世紀後半(574年)我が国で…

はじめて出家した尼僧


日本史上初めて、百済に留学

迫害を受けながらも仏教を厚く

信仰し仏教を広めた尼僧





 持統女帝

在位690年ー 697年


天武天皇を補佐して天下を定め

様々な政治について助言し有能な

統治者だった事が日本書紀に

記されている。




持統天皇は草壁皇子が天武天皇の

後を嗣ぐことを望み、夫に働きかけて草壁を皇太子に就け、

夫の死後に草壁のライバルであった大津皇子を排除した。

天武天皇の葬礼が終わったあとに

草壁皇子を即位させるつもり

だったが、その実現前に皇子が

死んだために、やむなく自らが

即位する。



天武天皇を補佐して天下を定め

様々な政治について助言し有能な

統治者だった事が日本書紀に

記されている。




日本の歴史で女性が活躍した方は

数多くおられますが…


奈良文化の女性を讃えたいと思い

ました。







パンフレットを観て…

興味にひかれて検索してみました😊