おはようございます。

 

 

本日も、4537次区間車の乗車レポートを投稿してまいります。

 

 

光復を発車後、萬榮までは複線区間となっていますが、列車は右側通行で走ります。

 

 

右側通行で走行し、後続列車に道を譲るのかなと思いきや、抜かれることなくこの先の駅を目指すこととなりました。

 

 

萬榮には17:11の到着。
1914年に「馬里勿」駅として開業後、1918年に「萬里橋」へ、さらに1951年に「萬里」と、それぞれ駅名が改称されました。

 

 

萬榮が現在の駅名となったのは1958年でした。

 

 

花東線は全線複線化に向けて工事が進行中であります。

肥沃な土地が広がる、この地域も、複線化が完成するとどのように変化するのでしょう。

 


鳳林には17:17の到着。
1分間停車するも、ドアが開いた瞬間に駅の発車ベルが鳴りました。

 

 

花東線の各駅停車は、現在はEMU500形がその役を担っています。

しかしながら、意外と朝ラッシュ時間帯も4両のまま運用に就くケースが多いです。

 


南平には17:23の到着。
1915年に「林田」駅として開業後、1962年に現在の南平駅に改称されました。

 

 

南平から先は複線区間。

ここでは左側走行で北を目指します。

 

 

並行して伸びる幹線道路を見ても、高速バスの姿はなかなか見当たりません。

たまたま乗車日が、交通量の少ない日であったのかも。

 

 

豐田には17:32の到着。
停車時間は1分でした。

 

 

豊田を出ると、高架橋の上を走ります。

複線電化に伴い、高架化された区間であります。

 

 

壽豐には17:36の到着。
1910年に「鯉魚尾」駅として開業後、1917年に壽駅となりました。
以前は台湾でも珍しい、一文字の駅名だったのです。

 

 

壽豐を発車後、下り坂を100km/hで駆け下ります。

壽豐駅が現在の駅名となったのは1946年でした。

 

 

幹線道路の真下をくぐると、次の平和駅は目の前です。

 


平和には17:40の到着。
1934年に「池南」駅として開業後、1962年に現在の駅名となりました。

 

 

平和駅は片ホーム式の駅となっています。

 

 

ブドウ畑の真横を通過。

 

 

夕方のラッシュ時間帯となり、花蓮が近づくにつれて利用者の数が増えてきました。

それでも、座席はほぼ全て埋まっていて、通路は歩ける状態です。

 

 

志學には17:44の到着。
1911年に「知伯」駅として開業後、1918年に「賀田」、さらに1948年に「豊年」と、それぞれ駅名が変更されました。

 

 

現在の志學となったのは1952年でした。

 

 

一見、プラットホームのようなオブジェが見えますが、これは1994年に廃止された干城駅のホームです。

駅舎は営業をすでに停止していますが、プラットホームだけは残されたままです。

 

 

吉安の駅周辺には線路やガーダー橋等、保線の資材置き場があります。

これが見えると、もうすぐ吉安です。

 

 

最後の途中停車駅、吉安には17:54の到着。
6分間停車して対向列車との行き違いを行いました。
1914年に「吉野」駅として開業後、1948年に「吉安」へ名称変更され、今日に至ります。

 

 

花蓮が近づいてきました。

線路沿いに多くの高層マンションが見えるようになりました。

 

 

まもなく終点、花蓮。

 

 

終点、花蓮には18:06の到着。
長旅、お疲れ様でした。

 

列車はこの後、車庫へ引き上げて車内清掃を行い、18:40発の区間車として台東へ向けて折り返しました。