おはようございます。

ハルヤ模型店です。

 

 

本日より花東線を全線走破する区間車、4637次の乗車レポートを投稿してまいります。

 

 

始発駅となるのは台東。
折返し列車として運転されるのではなく、14:00頃に車庫線から入線します。

 

 

14:19、台東を定時で出発。
進行方向左側には台東の客車用の側線が見えます。

駅の直線側から出発することもあり、フルノッチで一気に100km/hまで加速します。

 

 

ドア口の上の電光掲示板。
次の停車駅、山里の表示が見えます。
列車は複線電化の際に完成した長いトンネルの中を走行します。

 

 

トンネルを出ると、山里は目の前です。
台東から山里を経由して鹿野までの区間は、これまで何度も新線建設が行われていて、それに伴い途中駅の檳榔、東成、初鹿、嘉豊、中興の5駅が廃止されています。

 

 

最初の停車駅、山里には14:28の到着。
駅前にはカフェがあります。

 

 

山里から先は単線区間。
畑の向こう側には卑南渓が見えます。

 

 

鹿野渓の鉄橋を通過。

進行方向左側からの写真です。

写真右側の場所で、鹿野渓と卑南渓の合流ポイントがあります。

 

 

鹿野には14:35の到着。

列車交換は行わず、すぐに出発しました。

 

 

「鹿野」の地域名称の由来は、2つの説があると言われています。
1つ目は、その昔、鉄道が開業する前の頃、駅周辺の地域に鹿が生息していたため。
もう1つは、日本統治時代に新潟県鹿野から日本人が移民してきた際に地名を「鹿寮」から鹿野へ改称した。
 
どちらが正しいかは、読者の皆様のご想像にお任せいたします。

 

 

鹿寮渓の鉄橋を渡り、列車はさらに北を目指します。

 

 

瑞源には14:42の到着。

1922年4月に「大原」として開業後、1945年に鹿野郷瑞源村の一部とされたため、現在の瑞源と駅名が変更されました。

 

 

7分間停車する間に台東行のプユマ号を待避しました。

 

 

プユマ号の後に、続いて新左営へ向かう自強号もやってきました。

この後、写真左側に見えるキョ光号(団体列車)を先に出発させたため、こちらは定刻より3分遅れて瑞源を発車しました。

 

 

線路と並行して見えるのは瑞景路と呼ばれる道路です。

 

 

どこまでも続く田園地帯。

この周辺地域は、日本統治時代に新潟県と長野県から多くの日本人が移民してきたそうです。

 

 

瑞和には14:53の到着。

1923年に「大埔」駅として開業後、1945年に「瑞豊」駅に名称変更され、さらに1979年に現在の瑞和と駅名が変更されました。
 

 

瑞和を出ると、列車は高架橋の上を走ります。

 

 

コンクリート製の橋は、現在は単線のままですが、将来は複線区間として運用できるよう整備されています。

この高架橋も、複線電化工事に伴うルート変更によってできたものであり、旧ルートに以前設けられていた月美駅が廃止されています。

 

 

關山には15:00の到着。
1922年に「里龍(左側に土偏)」として開業後、1937年に現在の關山に名称変更されました。
現在の駅舎の南側100mの場所には、旧駅舎が保存されています。

 

 

關山から隣の海端までの間には、以前徳高と呼ばれる駅が設けられていましたが、1982年に線路幅を762mmから1,067mmに広げた際に、1982年に廃止されています。

 

 

まもなく海端。

ここは一線スルー構造の駅ではありますが、ホームが設けられているのは片側だけです。

 

 

海端には15:01の到着。
1924年に「新武呂」駅として開業後、1945年に現在の駅名に改称されました。

 

 

海端を出発して右にカーブしながら卑南渓を渡ります。

 

 

国道9号線の道路が見えてくると、池上の駅はもうすぐです。

 

 

池上弁当発祥の地、池上には15:14の到着。

台東縣内、最後の途中駅です。

 

 

どこまでも広がる、緑色の田園地帯。

この先に大坡渓を鉄橋で渡る場所があり、ここが花蓮縣と台東縣の境目と言われています。

 

 

池上から富里までの間も、改軌に伴いルート変更が行われており、三台、富南の2駅が廃止されています。

 

 

冨里には15:22の到着。

1926年に「公埔」駅として開業後、1937年に現在の富里に駅名が変更されました。
同時期に地名も変更されています。

 

明日は、花東線を引続き北上します。

どうぞお楽しみに!