「合理的配慮」は勉強しないと、きっと人に求めていけないし、されないと思います。というのも、人間は「怠け者」にできていますので、「することになった」と言っても、何かと理由をつけて「したがらない」ものだからです。
で、周囲にしてもらうには、自分が理解し「合理的配慮」を障害のある人に自身がしているということがいるんですよね。なので「法律」が決まろうが「制度」ができようが、自分次第だってことです。
学校によくある「悪平等」の考えから、「誰もにできないから、あなたにもしない」とか平気で言われちゃう。必要なものなのに「え〜」って思いますよね、。それでスゴスゴ引き下がるかどうかは、きちんと理解し、主張できるかどうかですよ。
なので「知ってる知っていない」もですが、その後の「しているしていない」で、同じ障害を持つ人やその家族でも、全く違う暮らし方になってしまうということ。待っていたら、勝手にサービスやツールが届くわけではないのです。別に障害の領域だけじゃないですけどね。