ざっと書きました。あーしんど(涙)
【思春期Q&A 50 まえがき】
「自閉症児の思春期は荒れる」私も子どもが小さい頃からずっと聞かされてきました。けれども、実際に子どもが思春期になって、その嵐の渦に巻き込まれるとは思ってもいませんでした。『レイルマン』や『レイルマン2』に綴った幼児学童期。一生懸命やってきたし、楽しかったし。それに、以前の自閉症児とは違い、「スケジュール」や「視覚的支援」「選択活動」もしてきたのだもの。そういう自負もありました。
けれども、自分の期待を見事に裏切り、中学に入った頃から、様子は激変してしまいます。なんとか投薬でしのげた(ように見えた)中学を終え、特別支援学校の高等部へ進学したあたりから、行動障害があらゆるところで起こるようになったのです。
思春期に入った頃、私はおめめどうを起業します。支援グッズを商品化していき、みなさんに知られていくようになります。その一方で、息子の状態には頭を悩ましていました。また、コミュメモを使っているシーンも見てもらいたいということもあって、本来なら息子と離れるべき時期に、余計な提案や関わりをしてしまいます。それが、母子分離を阻害していきました。
高等部をやめて、在宅でいたある日、私は息子に家を追い出されてしまいます。そうなって、初めて「これは、とてつもなくたいへんなことだ」とようやく気がつきました。「母子分離不全」がこれほど深刻に彼を苦しめているとは思わなかったのです。当時、高等部をやめたあと、福祉の資源にはまだ届いていませんでした。周囲には誰もいないのです。孤独でした。
それから、家族や地域の福祉の資源、syunさんやkingstoneさんやスタッフの力を借りながら、別居や入院を経て、19歳になったとき、再び息子と一緒に暮らし始めます。今は、当時のような緊張も、興奮も、私への攻撃性もありません。では、今のようにお互いが自由に楽になるには、どんなことが必要だったのでしょうか。
それが「母子分離」「直接対峙」「予算軸」「自己責任のサイクルで生きる」「表出のコミュニケーション」「スケジュールは本人が立てる」「言うてきたことだけをする」「エスパーしない」「脳みそを同化しない」などなど。わかってしまえば、なるほど!ということばかりですが、私は、苦い経験を経るまでわかりませんでした。
そして、2011年東日本大震災のときに生まれた言葉「仲間はずれにしない」。これが、結局は「すべて」揺るぎのないもの(2011年=息子19歳)。
もちろん「カレンダーやスケジュール」「選択活動」「見えるコム」「杖の役割」などの基本の手立ては、ベースですから、それをした上での話です(してないなら、「まずは、そこから」になります)。それが少なくとも、息子に身についていたので立ち直れた、成人になって自分で暮らしを組み立てることができるわけですから。
いえ、逆から見たら、もっとよくわかるでしょう。思春期、本人にそれらが身についているにも関わらず、自分で暮らしを組み立てる(判断する)ことをさせなかったために、荒れていったというのが正解です。
一番大事なことは「母子分離」です。すべてがリンクしているのです。定型発達の子どもと障害のある子どもの違いは、親を育てる力と言われています。つまり、親が離さないと、子供からは離れないということ。いつまでも「親が親が」「私が私が」とやっていると、一生離れることがないのです。私は、そういう「熱心な親御さんを評価する」この業界のシステムを苦手にしています。だって「子どもは、自分の人生を歩むために生まれてきた」のですから。それをもっとも望む親が、子どもを牛耳ってどうしますか? それに「熱心な親御さんを評価する」から「母子分離」できず苦しんでいる子と親がいるのではありませんか?
『思春期Q&A』50編根底に流れているのは、「子育てをやめるという子育てをする」ということ。ひとえに、親自身にかかっているのです。支援者側はそのことを理解し、本人の年齢と性別という基本的人権を守ってください。
自分と同じ経験をしてほしくない、子も親も傷つきます。
思春期、自閉症・発達障害のお子さんとのことでお悩みになっている人に、また、手立てをしているけれど、今後、どうしていったらいいのかを知りたい人に、ぜひ届いて欲しいと思って書きました。 この冊子でひとりでもふたりでも助かる人がいらしたら、心からシアワセです。
2016年 春 奥平綾子@ハルヤンネ