大河ドラマ「麒麟が来る」第21回「桶狭間の決戦」の関連地図。今回はその3です。

 

前回の投稿 「麒麟が来る。第21回「桶狭間の決戦」関連地図」その2

 

 

の続きになります。引き続き「信長公記」から引いていきます。

さて。善照寺砦から鎌倉街道を東進した信長は大将ヶ根まで駒を進めました。駿河勢は佐々・千秋勢の突撃で前後が離されたまま、暴風雨にさらされます。それを峰の上から確認した信長は嶺をおり、現在の高徳院裏手に出て機会を伺い戦いはクライマックスを迎えます。。

 

空が晴れたのを見て、信長は槍を押っ取り、大音声を上げて「それ、掛かれ、掛かれ!」と叫ぶ。黒煙を立てて打ち掛かるのを見て、敵は水を撒くように後ろへどっと崩れた。弓・槍・鉄砲・幟・指し物、算を乱すとはこのことか。義元の朱塗りの輿さえ打ち捨てて、崩れ逃げた。

「義元の旗本はあれだ。あれにかかれ!」と信長の下知。午後2時ごろ東に向かって攻めかかる。敵は始めは三百騎ほどが丸くなって義元を囲んで退いたが、二、三度、四度、五度と引き返し、打ち合い切り合ううちに、次第次第に人数が減り、ついには五十騎ほどになった。

信長も馬を降り、若武者どもと先を争うように、突き伏せ、突き倒す。頭に血が上った若武者ども、乱れ掛かって鎬を削り、

鍔を割り、火花を散らし、火焔を降らす。乱戦だが、敵味方の区別は旗指し物の色で知れた。ここで信長のお馬廻り、お小姓衆の歴歴、負傷討ち死にしたもの数も知れない。

服部春安(小平太)は義元に打ち掛かり、膝口を切られて倒れ伏す。毛利良勝(新介)は義元を切り伏せ首を取った。後日「これもひとえに先年、清州の城で守護が攻められたとき、毛利十郎が幼君を一人保護して助けた、その冥加がここに現れて、義元の首を取れたのだ」と人々は噂した。

 

桶狭間の合戦。信長突撃図(想像)

桶狭間の戦い義元敗死の地

桶狭間エリアの詳細地図へ

 

 

 

 

突撃のあと、どこで義元が打ち取られたのかはいくつか説があるのではっきりとわかりません。沓掛方面へ行こうとしたのか。大高方面に逃走しようとしたのか。いずれにせよ乱戦に討ち減らされ、討ち取られたことは確かなようです。ここでも信長は「大音声を上げて」と書かれています。彼が非常に大声だったことはこれまで何回か書きましたが、雨上がりの静寂の中、鬼柴田をもひるませた大声で、山上から打って出てこられたら敵も相当狼狽したことでしょう。信長も鬼神の働き。文章を読んでいるだけで戦の臨場感が伝わってきます。「麒麟が来る」で義元を見事なワイヤーアクションで討ち取った毛利良勝(新介)は、本能寺の変のあと信長の嫡男信忠と一緒に二条城で討死します(麒麟ではここまでやるかな?)。この描写を見る限り、義元も頑張って最後まで戦ったのでしょう。義元本陣は500程度。信長本軍が2000程度なら十分討ち取れたでしょうし、信長なら「この方向に追い込め」くらいの指示はあって不思議はありません。となると沓掛ではなく、桶狭間方面に追い込んでいったかもしれません。そこには泥田。沼が広がっています。。そうして今川軍は死地に追い込まれた。

 

今川勢は運の尽きた証拠だろうか。桶狭間というところは深く入り組んで深田に足を取られ、草木が高く低く茂り、この上もなく難所であった。深い泥田に逃げ込んだ敵は、そこを抜け出せずに這いずり回るのを、若者どもが追いかけ追い着き、二つ、三つと手に手に首を取り持って、信長の前へ持参した。「首はどれも清州で検分する」と信長は言い、義元の首だけはここで見て、満足この上もなかった。

 

以下はこの時間帯の各軍配置と行動の想像図です。

桶狭間の戦い。松井宗信、井伊直盛

私は井伊直盛松井宗信など、この桶狭間エリアに布陣していた将兵が多く討ち死にしているのが気になっていました。なぜ兵数が上回るとされた今川軍がそれほどまでに多く討たれたのか?私は現地に何回か足を運びました。そして改めて布陣を確認していると、織田勢はわざとこの桶狭間という地に追い込んだのかな?と思えてきました。大軍に不利で身動きのとりずらい難所のこのあたりは「死地」です。三国志龐統(ホウ統落鳳坡という谷間で待ち伏せにあって命を落としますが、桶狭間義元にとっての落鳳のような場所だったのかもしれません。桶狭間に追い込み、事前に中島から出た別動隊(前田利家毛利十郎たち?)と、優性を確認して追撃に出た中島砦方面からの守備兵たちも加わり。もしかしたら水野信元軍も加わったかもしれない。挟撃と深田。逃げ場もなくただただ討ち取られるばかりの残存兵。。無残な映像が浮かびます。

 

出陣してきた道を通って清州に帰陣した。(中略)

信長は。馬の先へ今川義元の首を掲げさせ、急いで帰陣したので、まだ日のあるうちに清州についた。翌日、首実検をした。首の数は三千余りあった。

 

首の数だけで3000!コロナで騒いでいる現代人がみたら。ひっくり返って失神しそうですね。。

そういう時代があって今があるということ。

先人、祖先の守ってきた日本を。もっと大事にしないといけませんね。

 

以上、本陣位置が「桶狭間古戦場伝説地にあった」仮定での進軍図でした。

※本陣位置を桶狭間公園東の「おけはざま山」とすると別の展開になります。。。

時間があればこれも書きたいと思っています。

 

「麒麟が来る」の再開。楽しみに待っています!