でも、自分の中でその定義は成り立っているかなって考えてみると、
そうじゃないかもしれないんですよね。
というのも、
私が思っている最小単位という意味は
何を基準にしているかってことなので。
自分の過去を振り返ってみると、
生まれた時は泣いたり暴れたり笑ったり、
それこそ自分の思ったままを表現している、
ありのままの状態です。
このとき、判断基準は自分ですよね。
だから、自分の世界の最小単位は明らかに自分です。
そこに自我みたいなものができてくると、
だんだん自分の周りの事を意識するようになります。
自分は自分でその他は違うもの、
というように差別化が始まりますよね。
そのころから、最小単位は自分だけではなくなっていたことに
気付いたんです~
ある環境の中での自分。
ある集団の中での自分。
つまり、自分を取り巻く環境とか集団が
判断基準に関わってくるということです。
その中での自分の役割や、
どんな立ち位置に居るのかということを
自然に考えていると思うんです。
例えば、親の存在を認識したら、
自分は親の子供になります。
兄弟ができたり、祖父母や親戚の存在を認識すると、
家族や親族の中の自分になりますよね。
当たり前のことなんですけど、
それを、必要以上に自分の中で大きくする必要はないと思うんです。
同じ感じで、
友達の中での自分、
学校の中での自分、
部活の中での自分、
勤め先の中での自分、
日本国民の自分、
もっと広げてみると、、、
地球にいるの自分、
宇宙にいる自分、、、
まぁ、なかなかここまで考える人はいないかもしれないんですけど笑
結局、今の自分って何かに属しているんですよね。
確かに社会はそうゆう仕組みになっているし、
日本にいれば、必ず集団の中の自分というものを
意識せざるを得ない環境があるし、
そうゆう教育もされてきました。
だから、集団の中にいるということを
必要以上に意識してしまうんですよね。
んなこと考えなくても、本当は自分の好きでいいのに~
そう考えてみると、
自分の世界の最小単位が自分ではないことに気づくんですよね。
私の場合は、
家族に所属している自分、
会社に所属している自分、
この二つが大きく影響していて、
自分が見えなくなっていました。
この場合、最小単位は家族の中の自分です。
パターンは人によって違うと思いますが、
とにかく、最小単位が自分だということを
意識していないんですよね。
つまり、
判断基準が自分じゃないから
自分の判断に自信がない、、、
判断基準が自分じゃないから
ガマンばかりして苦しくなってしまう、、、
でも、自然にそれをしてきたから、
自分ではわからないんです。
それはしょうがないことなんですよね~
だから、自分が自分らしく在るために、
それに気づこうと意識したほうがいいんです。
この場所でこれをするのが自分の役割だ!
とか、
この人たちのためにこれをするのが自分の役割だ!
って本当に思っているならば、
それが自分の役割だし、自分の居場所だと思うんです。
自分の判断基準で選んだ環境とか集団の中にいるなら、
その中でもいつでも最小単位は自分であることができますよね。
そんな感覚です。
そうゆうものがないのであれば、
好きなように遊び回ればいいし、
集団にとらわれないでやりたいことをやればいいと思うんです。
とにかく!
自分の世界の最小単位はちゃんと自分かなー?
っていうことを意識してみること。
本当にそれが大事だと思うんです。
判断基準が自分であれば、
何かを誰かのせいにすることもありませんよね。
自分の世界は自分で作っているんだから、
本当はいつでも最小単位は自分です。
それを意識していれば、
いつでも自由な気持ちで、
幸せな気持ちでいることができると思うのです♪(´ε` )
結局は、なんでも自分次第ってことに行き着きますね笑