しゃぼん玉の日 | かみさまのでしのでしのブログ

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小学生の男子2人の母です。
また、お空の上に2人の子どもがいる天使ママでもあります。
胎内記憶やかみさまのお話しを中心に書いてます。ちょっと不思議なお話しが好きな方へ。
必要な人に届きますように。

こんばんはニコニコ

はるるんです照れ

今日は冬至ですね雪の結晶

みなさん、お元気でお過ごしでしょうか❓

クリスマスが近づき、冬の匂いと共に1年がもうすぐ終わるこの頃、私にはいつも思い出す歌があります。

「しゃぼん玉」

しゃぼん玉飛んだ
屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで
こわれて消えた

シャボン玉消えた
飛ばずに消えた
生まれてすぐに
こわれて消えた

風、風、吹くな
しゃぼん玉飛ばそ


みなさんご存知の童謡ですニコニコ

作詞の野口雨情が、夭逝した子どもを思って書いた詩だと聞いた事があります

※実際にはそれを裏付ける正確な資料はないそうで、歌詞の解釈については諸説あるそうですがあせる

今日は約20年ほど前、

私が最初の子を中絶でお空に還した日のお話をしてみようと思います

だいぶ長くなりますあせるあせる

今はそういうお話はしんどいなぁあせるという方は、どうぞ遠慮なくブログを閉じて下さいねニコニコ


約20年ほど前の12月21日。

私は1人、とある産婦人科に向かっていました。

数週間前に判明した妊娠。

でも、当時、様々な事情から、
産むかどうかを散々迷い、産めないのならと、
命を絶とうとしたものの、生きてしまいました。

それからも悩んで悩んで、泣いて泣いて、
結局、産まない選択をしたのでした。

街は、冬の冷たい風が吹いていましたが、
どこもかしこもクリスマス一色で、
ショーウィンドウにはキラキラのクリスマスツリー🎄
にぎやかなクリスマスソングがあちこちで流れていて、1年で1番華やいだ雰囲気でしたクリスマスベル

私はそんな風景を、
今日、生まれることなくこの世を去るわが子に見せてやりながら歩いていきました。

12月21日は、
この子の誕生日であり、命日なのです。

産婦人科に着いて受付をし、中絶手術のため、
処置室に入りました。

全て淡々と進んでいき、全身麻酔で意識がなくなりました。

終わりがけに麻酔が切れてきたのか、
下腹部がひどく痛くなりました。

ぼんやりした意識の中で、手術が終わり、
安静のため個室に移されたようでした。

どれくらい経ったでしょう、、、。

だんだんと意識が戻ってくると、

廊下から色々な声が聞こえてきます。

妊婦さんや、産婦さんでしょうか。

女の人たちの話し声。笑い声。

赤ちゃんが泣く声。

まだぼんやりとしながら、でもそのたくさんの声に、
胸がえぐられるような感じがして、

涙が溢れて溢れて仕方がなくなりました。

下腹部が鈍く痛みます。

でも、そんな体の痛みよりも、

耳を塞ぎたくなるたくさんの声。声。声。


「私は産んでやれなかった。

誰にも祝福されなかったあの子は、何と思っただろう。

私は自らわが子を葬ってしまった。

少なくとも母親であったのに。

自分だけ生きている。

最低で最悪の人間だ。

生きている価値などない。」

ベッドの上で耳を塞いだまま、一体どれだけの罵声を自分で自分に浴びせたでしょうか。

そして何よりも、

「あの子に申し訳ない。ごめんなさい。ごめんなさい。」

と、、、。

気が狂いそうでした。

私は自分の体が動かせるのを確認すると、
急いで服を着替え、病室から出ました。

看護師さんに、「まだ安静に!」と止められましたが、もう1分1秒もこの場にはいられないと、

「もう大丈夫です」

と逃げるように病院を飛び出しました。


病院を出て、アパートへの道をとぼとぼと歩きました。

クリスマスソングが流れ、
イルミネーションが輝く街を、

私はただ下を向いて歩きました。
世界が灰色に見えました。

目には涙が勝手に溢れてきます。
涙がこぼれないよう空を見上げた時、

ふと、あるメロディが頭に浮かびました。


しゃぼん玉 とんだ

屋根まで とんだ

屋根まで とんで

こわれて 消えた


しゃぼん玉 消えた

とばずに 消えた

生まれて すぐに 

こわれて 消えた

風 風 ふくな

しゃぼん玉 とばそ


お空にかえったあの子の歌だ、、と思いました。

私はその歌を小さな小さな声で歌いながら、
1人暮らしのアパートに帰っていきました。




もう、20年少し経つので、詳細はおぼろげですが、あの日の感情は昨日の事のように覚えています。
毎年、この頃の空気に触れると、
しゃぼん玉のメロディと、胸の奥の痛みを思い出します雪の結晶

当時は、本当にごく親しい友人にしか話せなかった出来事です。

でもその友人にさえ、本当の心の内を話し、
泣くことはできませんでした。

手術後、翌々日には普通に仕事をし、

友達にも平気な顔をして「大丈夫」と言っていました。

悲しみを押し込めて、
泣くことも許さず、
自分をひたすら責め続け、
体を休めることもしませんでした。

今、グリーフケアを学んで、
それこそが心の回復を長引かせ、こじらせる原因だと知りました

ただ、当時の私には、そうするしかなった。
そうある事しか出来なかったのです。

20年と少し経った今日、
私は本当に幸せに生きていますクローバー

あの日、泣きながら歌った歌は、
小さかった息子たちとよく歌いました音譜


あの日、泣きながら見たイルミネーションは、
今は可愛い息子たちと「キレイだね❣️」と笑顔で眺めています。

生きていてはいけないと、
生きる価値などないと思った私は、

今、自分と同じように辛い思いをされている方に寄り添うことをはじめています。

今日、晴れた空を見上げて、
「しゃぼん玉」を歌った私は、

あの日の私の肩を抱いています。


「大丈夫だよ。
未来の私はちゃんと笑っているよ。
幸せになっているよ。
可愛い息子が二人もいるんだよ。

だから生きてね!

今は辛いけど、必ず生きてね!

未来で待ってるよ!」


一緒に泣きながら、

一緒に歩きながら、

今日はあの日の私に寄り添おうと思います黄色い花

そして、お空に還ったあの子に、

「ごめんなさい」

ではなく、

「ありがとうハート

と伝えたいと思います。

もしも今、あの日の私と同じような、深い悲しみの中にある人がいるなら、

どうか、生きてください黄色い花

悲しみをちゃんと悲しんで、
苦しみをちゃんと苦しんで、
泣けるだけ泣いてください。

誰かに話せるなら話してみてください。

まだまだ少ないですが、全国に、自助グループもあります。

誰にも話せないなら、こちらにコメントしてみてください。

あなたは決して1人ではありませんクローバー

大丈夫おねがい

あなたの大切なわが子も、あなたを決して責めてはいません黄色い花

きっと笑顔で、あなたを応援していますハート

これは胎内記憶を持つ、私の地上の息子に聞いたお話です。

※絵本「ママへの手紙」にも描きました。


もちろん、中絶をすすめているわけではありません。
心も身体も傷つく、本当に本当に辛い選択です。

ですが、様々な事情で、そうするしかない女性たちがいるのも事実です。

やむを得ず、その選択をされた方に、

私はただ寄り添うことをしたいと思っています黄色い花


そして近い将来、

わが子を亡くした天使ママ、天使パパの、
身体だけでなく、心のケアが当たり前にあるような世の中にしていきたいと思いますおねがい


お空の上の子の誕生日でもあり、命日でもある今日、今の私の思いを綴ってみました。


大変長くなりましたが、
最後までお読みいただき、ありがとうございました照れ


かぼちゃと柚湯で体を温めて、どうか元気でこの冬を過ごせますようにウインク



お空に還った赤ちゃんから、ママに贈るメッセージブック
ママへの手紙』
 
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