2004年、私が中学生の時に「世界の中心で、愛をさけぶ」が、本や映画やドラマで大ブームを起こしました。

物語は1980年代の高校生の朔太郎(さくちゃん)と亜紀の純愛ストーリーです。

しかし、亜紀は白血病になり帰らぬ人となります。

朔太郎は、入院中の亜紀を病室から連れ出し、亜紀が行けなかった修学旅行のオーストラリアへ行くために空港へ向かいます。

しかし、空港で倒れた亜紀を抱え、朔太郎が「助けてください!!」と叫ぶ声が空港中に響き渡るのは名シーンです。

 

当時、文字を読むのが苦手で全く読書に興味がなかった私も、物語にぐいぐい引き込まれ2日で読み終わりました。

楽しみにしていた映画は、仲が良かった友達と観に行く約束していたのに、友達が別の友達と見に行ってしまい、私は仕方なく父と観に行きました。

「助けてください!!」の名シーンで号泣する私の横で、父が爆睡していたのも今では良い思い出です。(笑)
今でも映画やドラマの主題歌「瞳を閉じて」や「かたちあるもの」を聴くと、朔ちゃんと亜紀のことを思い出して心がギューッと切ない気持ちになります。

そんな私の青春時代の思い出の1つである「世界の中心で、愛をさけぶ」ですが、私はドラマの本編ではない“あるシーン”に鳥肌がたったことを覚えています。

それは、ドラマのエンディングの最後に映し出されるこのフレーズです。

「1987年 僕はたった1人の大好きな人の命を救うことが出来ませんでした。1991年 日本骨髄バンク設立」

ドラマで亜紀の病状がどんどん悪くなる中、最後に映し出されたこのフレーズが毎週私を打ちのめしました。
「もし、亜紀があと4年後に発症していれば、少なくとも数年先に発症していれば亜紀を救えたのかもしれない。」と。
ドラマにどっぷりはまっていた当時の私は、心底悔しく思いました。(もちろん物語はフィクションですが。)

ドラマから15年経ちますが、今でもときどき献血に行くとこの本を、ドラマの最後に映し出されたこのフレーズを思い出します。

そして、亜紀のことを思い出し、おこがましいかもしれませんが、私の血液で誰かが1日でも長く大切な人と生きられると良いなと思います。

 

私が献血を始めたのは大学生の頃でした。

子どもの頃から、母がショッピングセンターでよく献血をしているのを見ていました。

母は「お母さん元気やけん。いつ人の血液に助けられるか分からんやろ?元気なうちにできることをね。」といつも言っていました。

そんな母の言葉もあり、私も大学生になってから献血に行くようになりました。

日本では、1日あたり約3000人の患者さんが輸血を受けていると言われていて、そのために必要な献血者数は1日あたり13000人だそうです。

1人の患者さんに必要な血液は約4人分という計算になります。

輸血は白血病だけでなく、手術や交通事故、出産で大量に出血した時、がんや感染症の合併症などで血小板や凝固因子が急速に消費するときにも使われます。

血液は人工的に造ることができず、さらに長期保存ができないため安定した供給が必要です。

今は、コロナ禍で献血をする人が少なく、血液の不足がニュースでも取り上げられています。

個人的な考えですが、今こそ「世界の中心で、愛をさけぶ」のドラマや映画をテレビ放映して、献血に協力してくれる人を募ることができたら良いのになぁ~と思います。

特に若い人にはニュースよりも恋愛ものの映画やドラマのほうが届くと思うのです。

 

私は最近、亜紀の闘病に間に合わなかった「骨髄バンク」にも登録しました。

骨髄バンクのことは知っていたのですが、骨髄バンクではもし自分の白血球の型が患者さんと適合した場合、提供するには10日程度の入院が必要になります。

私には10日間も「仕事を休む」ということがハードルが高かったので、いつかと思いながら登録はしていませんでした。

しかし、競泳日本代表の池江璃花子さんのSNSで苦しい闘病生活を送りながら、献血の必要性について発信される姿を見て、私の血液が誰かの役に立てるのならと思い登録しました。

願うなら、育児休暇のように骨髄提供による入院が世間一般に認められて、休みやすい時代になったらいいなと思います。

きっと私のように仕事を長期間休むことにためらいがある人などが骨髄バンクに登録して、登録者数も増えるのではないでしょうか。

そうすれば、患者さん側も白血球の型が適合する人が増え、もっと助かる患者さんがいるのではないかなと思います。

 

あまり知られていないかもしれませんが、骨髄バンクの他に「さい帯血バンク」というものがあります。

1991年の骨髄バンク設立の8年後、1999年に公的さい帯血バンクが始まりました。

お母さんと赤ちゃんを結ぶへその緒を「さい帯」と言い、そのさい帯と胎盤の中に含まれる血液を「さい帯血」と言います。

さい帯血は赤ちゃんが産まれると、へその緒や胎盤と一緒に処分するのが通常の流れですが、このさい帯血には血液を造る細胞(造血幹細胞)がたくさん入っていて、白血病などの患者さんの治療に使うことができます。

白血病などで正常に血液を造れなくなった患者さんは、健康な人から造血幹細胞を分けてもらう必要があり、さい帯血を移植することで、血液を造る力を回復させることができます。

さい帯血を提供できる病院や産院は限られていますが、もし自分が出産することがあれば提供したいなと思っています。

 

亜紀は本の中の主人公ですが、現実には多くの患者さんが白血病と闘病されています。

抗がん剤による治療や、骨髄移植の前処置や副作用はとても辛いと聞きます。

どうか献血や骨髄バンクなどの現代の治療により、多くの方が救われますように。

★レインツリーの国が私にとって「大切な1冊」になる日

 

この本を最初に読んだのは5年前でした。その時の読んだ感想は「あ~面白かったな!」でした。

しかし、この本が私にとって「大切な1冊」になる日がやってきます。

2017年9月29日、私が誕生日の次に大切にしている「記念日」です。

私はこの日に聴神経腫瘍という脳腫瘍の手術をして、この日を境に右耳が聴こえなくなりました。

 

「右耳が聴こえるという当たり前」を失った日です。

 

でも、悲しい記念日にするのではなく、概ね支障なく生活できているという

「今ある当たり前」に感謝する日にしています。

★1冊の本がきっかけで始める恋

この本は聴覚障害を持つひとみと健聴者の伸行が、ブログで書いた本の記事をきっかけに

恋が始まる恋愛小説です。
ある日、伸行は中学生の時に好きだった本のラストの感想が気になりネットで検索します。

そして聴覚障害を持つひとみが運営していた「レインツリーの国」というブログにたどり着きます。

伸行はひとみが書いた本の感想に惹かれ、メールのやりとりから始まり、

1冊の本がきっかけで恋が始まります。
しかし、聴覚障害のあるひとみと健聴者の伸行には乗り越える壁が多く、

ひとみは自分の難聴の程度や感情、コミュニケーションのフォローが上手くできない伸行に

当たってしまいます。

 

小説の中にあるこの言葉は、誰にでも当てはまるものがあるのではないでしょうか。

痛みにも悩みにも貴賎はない。周りにどれだけ陳腐に見えようと、苦しむ本人にはそれが世界で一番重大な悩みだ。救急車で病院に担ぎ込まれるような重病人が近くにいても、自分が指を切ったことが一番痛くて辛い、それが人間だ。

障害に限らず、人はいろいろなことを抱えています。

仕事や家庭、障害や病気、人間関係や性について、自分の過去など、

人の数だけ抱えているものがあります。

苦しいときや悩みがあるときは、周りの人を気遣う余裕がなく、

自分でいっぱいいっぱいになってしまいます。

 

ひとみのように、「どうせ他人には分からない、この痛みは分からない」と。


私たちが抱える問題は、伸行が言うように本人じゃない限り

「本当の意味では慰められない」のだと思います。

どんなに同じ境遇であっても、性格や考え方まで全く同じというわけではありません。

★あとがきと解説にある、これからの私たちの課題

あとがきと解説を真剣に読んだのもこの本が初めてでした。
山本弘さんの解説の中にこのようなことが書かれています。

近年では、そもそも作中に障害者を登場させることすら避けるような風潮が存在します。

図書館戦争がアニメ化されるとき、小牧と聴覚障害のある毬江のエピソードはテレビでは

放映できないということがあったそうです。メディアでは自主規制があるために、障害者を正しく好意的に描くことが出来ない。この話を知って、僕は本当に腹が立ちました。難聴者の出てくるエピソードをテレビで放映することの何が悪いというのでしょう。

作者の有川さんもあとがきでこのように書かれています。

私が書きたかったのは「障害者の話」ではなく、「恋の話」です。

ただヒロインが聴覚のハンデを持っているだけの。

私も障害を取り扱うのは難しいと思わないで欲しいと思います。

障害や病気について本やドラマなどで描かれた時に、実際に闘病されている方から、

「そんなに簡単にはいかない」「もっと大変だ」「きちんと理解していない」等の批判もあるかもしれません。

しかし、人それぞれ症状や程度、捉え方や性格は違うので批判があって当然だと思います。

だって、障害の有無に関わらず、本やドラマで主人公がいつも自分に当てはまるかというと、

そうではないはずです。

人に個性があるように、障害やそれぞれが抱えている問題にも個性はあると思います。

それよりも「世の中にこんな病気や障害やハンデで困っている人がいる」とたくさんの人に

知ってもらうことが、少しでも生活しやすい社会を作るために大切だと思います。

 

この本の中で、ひとみが人混みでゆっくり歩いていると

カップルにわざと突き飛ばされるシーンがあります。

聴覚障害は外見からは分かりにくいので、ひとみが耳が聴こえないために

ゆっくり慎重になって歩いているという事情がカップルには分からず、

モタモタ歩いていると思いこみわざと突き飛ばしたのです。

 

実は、私にも似たような経験があります。

歩道を歩いていた時に、後ろから来た自転車にベルを鳴らされました。

私は「避けなきゃ!」と思ったのですが、片耳が聴こえないということは脳の機能上、

音の方向が全く分からないのです。

後ろを確認して避けようと振り返った時には自転車のほうが早く、私のすぐ後ろに来ていて、

ぶつかりそうになってしまいました。

自転車に乗っているおばちゃんとしては、

 

「ベルを鳴らしたんだけら自転車が来てない方向に避けて!」というのが言い分です。

 

おばちゃんは私に文句を言いながら、おまけにちょっと私を睨んで、さっさと行ってしまいました。

私はとても悲しい気持ちになり、こう思いました。


「私だって、片耳が聴こえないのは、なりたくてなったわけじゃない」と。
 

でも冷静になって、もし立場が逆だったとき私は「この人は片耳が聴こえない」なんて、

想像できなかったと思います。

やはり、おばちゃんと同じように自分の思い通りに動いてくれないことに不機嫌になっていたでしょう。

だから、多くの人に世の中には病気や障害で「気遣いが必要な人がいること」を知ってもらうことが、

大切なのではないかと思います。

★これからも大切にしたい1冊

私は右耳が聴こえなくなってから、この本にどれだけ支えられただろうと思います。

右耳が聴こえなくなってからこの本を再読すると、

難聴者のコミュニケーションの難しさや悩みに共感するところが多くありました。

右耳が聴こえていた時は、「聴こえることが当たり前」だったので、気付くことができませんでした。

 

大阪出身の伸行は関西弁で、ひとみに対して間違っていると思うことはストレートに指摘するけれど、

きちんと相手の気持ちも気遣える、そして冗談を言って笑わせてくれる、

人間が出来ているめちゃめちゃ優しい彼です。


私もひとみのように、病気のことや片耳が聴こえないことを受け入れよう、

前向きに生きて行こうとは思っても、どうしても悪く考えてしまったり、病気を理由に甘えてしまったり、

どうして自分なんだろうと卑屈になったり、気持ちがささくれ立つ時があります。

そんな時、この本はいつも私を肯定してくれて、たまに反省させてくれるのです。

 

★レインツリーの国は私にとってのシミルボン

私はシミルボンという書評サイトで本のレビューを書いています。(https://shimirubon.jp/users/480

難聴者のひとみにとって難聴というハンデを気にせず、好きなことを「言葉」で語れる場所が、

この本のタイトルであり、ひとみが運営しているブログ「レインツリーの国」でした。

 

私はこの本を再読したとき、私にとっての「レインツリーの国」はシミルボンだと思いました。

私はリアルでは片耳が聞こえないので、にぎやかな場所は話しかけられても気付かなかったり、

相手の声が聞きづらくて話が噛み合わなかったり、聞き返したりしないといけないので、

人と会話するのが苦手です。

おまけに、恥ずかしがり屋で、いつも自分の思うことや伝えたいことをきちんと伝えきれません。
シミルボンは私がハンデやコンプレックスを気にせず、好きな本について好きなだけ語れる、

見せたくない自分を相手に見せずに、自分が好きな自分でいられる場所です。

シミルボンというひとつの居場所に私は感謝しています。

 

★図書館シリーズが好きな方は必見!

レインツリーの国は、図書館戦争シリーズ第2作「図書館内乱」の中で出てくる「恋の障害」という

エピソードの中で、架空の小説が実際の小説として発売されました。

小牧教官が聴覚障害のある毬江ちゃんにこの本を勧めます。

図書館戦争を読んだことがある方はより楽しめると思います!

 

これは、ささやかな私の希望ですが、私のこのブログやレインツリーの国を読んで、

外見からは分かりにくい聴覚障害や聴神経腫瘍という珍しい病気にも、

興味を持っていただけたら嬉しいです。

 

シミルボンという書評サイトで本のレビュー&コラムを書いています。

良かったらご覧ください♪

https://shimirubon.jp/users/480

★自分の思いを伝えたい

自分の気持ちや考えを伝えるのがとにかく下手な私。

自分の想いはまるで伝わらないし、言葉足らずで誤解を招くころもしばしば。

仕事では周りの人が補足説明をしてくれて、やっと伝わるということがしょっちゅうあります。
口下手な上になおかつ人見知り。さらに話をするときに緊張してしまうので、もう伝え方は0割です。
例えば、仕事で電話をかけるときは相手にお願いすること、聞くことを箇条書きにしてメモしておかないと、とても不安になります。

にかける時は台本のような文章まで作って電話することもあります。

その度に時間がかかって、時間の無駄!ポンコツやん!と自己嫌悪になります。

社会人にもなって(ちなみにもうすぐ30歳…)、こんなにコミュニケーションで悩むのか…と落ち込みます。そんな時、本棚を見ていたら「これだ!」と思い再読しました。

 

★人生の節目で失敗する私

この本の中にこんな言葉があります。

伝え方は人生の重要なシーンで成否をわけることなのに、誰も鍛えていない

私は人生の節目節目で失敗しているのです。

高校の推薦入試の面接。大学は志望校不合格。就職や転職は落ちまくり。

おそらく今の私が分析するに、うまくいかなかったのは「伝えること」が重要視される面接です。
面接での私の「伝える能力の低さ」が結果を決めていたと思います。

就職・転職活動ではいつも履歴書やエントリーシートは通ります。

1次試験も「伝えたいこと」を事前にまとめて、「覚えて面接に挑む」ので通ります。

2次試験もかろうじて通るのですが、最終面接でいつも落ちます。

臨機応変に答えられないうえに、伝えたいことを「覚えている」ので、

自分の思いや考えがまるで伝わらず、伝えきれず最終面接で落とされていました。
そして、1番致命的なのは、当時は自分の伝える能力の低さに気づいていなかったことです。

 

就職活動から6年近く経つのに、私は全然成長してない…!泣

 

★伝え方のシンプルな技術とは?

さて、この本は「伝え方にはシンプルな技術がある」がコンセプトになっています。ポイントは3つ!


1.自分の頭の中をそのままコトバにしない
2.相手の頭の中を想像する
3.相手のメリットと一致するお願いを作る

 

例えば、気になっている人に「デートしてほしい」と自分の頭の中の言葉をそのままストレートに言うのではなく、相手が好きなものを考えて、「驚くほど旨いパスタの店があるんだけど、行かない?」というように、相手のメリットと合致させて伝えたほうがYESの確率はあがるということ。

確かに、誘われた方も後者のほうが行きやすい。(食べ物に弱い私はなおさらだ。)

 

私はというと、いつも人と話す時は自分の頭の中をそのまま口にしていしまいます。

メール等は文脈もよか考えて、迷った言葉は「○○ 言い回し」などと

検索をしてぴったりくる言葉を探すのですが…。

特に苦手なのは会議です。上手く伝えることができない恥ずかしさから会議での発言もしづらく、

考えや思っていることがあっても言い出せず…ということがあります。

しかし、突然話を振られた時には、緊張でおどおどしてしまい、

考えが上手くまとめられずダラダラしゃべってしまい、内容が伝わらないという感じです。

 

★スマートフォンの弊害

最近、私は自分の考える力が弱ってるなとも感じています。

大学の頃からスマートフォンが出始めて、疑問に思ったことは自分の頭で考える前に、検索してしまう癖がついてしまいました。

Yahoo!ニュースを見ていても、自分で解釈する前に「人はどう考えているんだろう」とコメント欄が気になります。この考えない癖がついてしまったことが、「伝えることが苦手」に拍車をかけています。

 

★さぁ、これから実践!

久しぶりに再読をした「伝え方が9割」。

この本を買った当時も悩んでいたから買ったはずなのに、読み返すと全然頭に残っていない。

それは私が「読んだだけ」だったからです。

これから私に必要なのは練習、実戦です。

 

びっくりしたのが、この本の著者の佐々木圭一さんもコミュニケーションが苦手だったこと。

社会人になって、こんなにコミュニケーションで悩むのは自分だけじゃないんだとも思いました。

出来なかった人が出来たんだから自分もできるかもしれない。と少し前向きになれました。

 

たくさん練習して、ちゃんと思いや考えをきちんと伝えられる人になりたい!

 

シミルボンという書評サイトで本のレビュー&コラムを書いています。

良かったらご覧ください♪

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