★レインツリーの国が私にとって「大切な1冊」になる日
この本を最初に読んだのは5年前でした。その時の読んだ感想は「あ~面白かったな!」でした。
しかし、この本が私にとって「大切な1冊」になる日がやってきます。
2017年9月29日、私が誕生日の次に大切にしている「記念日」です。
私はこの日に聴神経腫瘍という脳腫瘍の手術をして、この日を境に右耳が聴こえなくなりました。
「右耳が聴こえるという当たり前」を失った日です。
でも、悲しい記念日にするのではなく、概ね支障なく生活できているという
「今ある当たり前」に感謝する日にしています。
★1冊の本がきっかけで始める恋
この本は聴覚障害を持つひとみと健聴者の伸行が、ブログで書いた本の記事をきっかけに
恋が始まる恋愛小説です。
ある日、伸行は中学生の時に好きだった本のラストの感想が気になりネットで検索します。
そして聴覚障害を持つひとみが運営していた「レインツリーの国」というブログにたどり着きます。
伸行はひとみが書いた本の感想に惹かれ、メールのやりとりから始まり、
1冊の本がきっかけで恋が始まります。
しかし、聴覚障害のあるひとみと健聴者の伸行には乗り越える壁が多く、
ひとみは自分の難聴の程度や感情、コミュニケーションのフォローが上手くできない伸行に
当たってしまいます。
小説の中にあるこの言葉は、誰にでも当てはまるものがあるのではないでしょうか。
痛みにも悩みにも貴賎はない。周りにどれだけ陳腐に見えようと、苦しむ本人にはそれが世界で一番重大な悩みだ。救急車で病院に担ぎ込まれるような重病人が近くにいても、自分が指を切ったことが一番痛くて辛い、それが人間だ。
障害に限らず、人はいろいろなことを抱えています。
仕事や家庭、障害や病気、人間関係や性について、自分の過去など、
人の数だけ抱えているものがあります。
苦しいときや悩みがあるときは、周りの人を気遣う余裕がなく、
自分でいっぱいいっぱいになってしまいます。
ひとみのように、「どうせ他人には分からない、この痛みは分からない」と。
私たちが抱える問題は、伸行が言うように本人じゃない限り
「本当の意味では慰められない」のだと思います。
どんなに同じ境遇であっても、性格や考え方まで全く同じというわけではありません。
★あとがきと解説にある、これからの私たちの課題
あとがきと解説を真剣に読んだのもこの本が初めてでした。
山本弘さんの解説の中にこのようなことが書かれています。
近年では、そもそも作中に障害者を登場させることすら避けるような風潮が存在します。
図書館戦争がアニメ化されるとき、小牧と聴覚障害のある毬江のエピソードはテレビでは
放映できないということがあったそうです。メディアでは自主規制があるために、障害者を正しく好意的に描くことが出来ない。この話を知って、僕は本当に腹が立ちました。難聴者の出てくるエピソードをテレビで放映することの何が悪いというのでしょう。
作者の有川さんもあとがきでこのように書かれています。
私が書きたかったのは「障害者の話」ではなく、「恋の話」です。
ただヒロインが聴覚のハンデを持っているだけの。
私も障害を取り扱うのは難しいと思わないで欲しいと思います。
障害や病気について本やドラマなどで描かれた時に、実際に闘病されている方から、
「そんなに簡単にはいかない」「もっと大変だ」「きちんと理解していない」等の批判もあるかもしれません。
しかし、人それぞれ症状や程度、捉え方や性格は違うので批判があって当然だと思います。
だって、障害の有無に関わらず、本やドラマで主人公がいつも自分に当てはまるかというと、
そうではないはずです。
人に個性があるように、障害やそれぞれが抱えている問題にも個性はあると思います。
それよりも「世の中にこんな病気や障害やハンデで困っている人がいる」とたくさんの人に
知ってもらうことが、少しでも生活しやすい社会を作るために大切だと思います。
この本の中で、ひとみが人混みでゆっくり歩いていると
カップルにわざと突き飛ばされるシーンがあります。
聴覚障害は外見からは分かりにくいので、ひとみが耳が聴こえないために
ゆっくり慎重になって歩いているという事情がカップルには分からず、
モタモタ歩いていると思いこみわざと突き飛ばしたのです。
実は、私にも似たような経験があります。
歩道を歩いていた時に、後ろから来た自転車にベルを鳴らされました。
私は「避けなきゃ!」と思ったのですが、片耳が聴こえないということは脳の機能上、
音の方向が全く分からないのです。
後ろを確認して避けようと振り返った時には自転車のほうが早く、私のすぐ後ろに来ていて、
ぶつかりそうになってしまいました。
自転車に乗っているおばちゃんとしては、
「ベルを鳴らしたんだけら自転車が来てない方向に避けて!」というのが言い分です。
おばちゃんは私に文句を言いながら、おまけにちょっと私を睨んで、さっさと行ってしまいました。
私はとても悲しい気持ちになり、こう思いました。
「私だって、片耳が聴こえないのは、なりたくてなったわけじゃない」と。
でも冷静になって、もし立場が逆だったとき私は「この人は片耳が聴こえない」なんて、
想像できなかったと思います。
やはり、おばちゃんと同じように自分の思い通りに動いてくれないことに不機嫌になっていたでしょう。
だから、多くの人に世の中には病気や障害で「気遣いが必要な人がいること」を知ってもらうことが、
大切なのではないかと思います。
★これからも大切にしたい1冊
私は右耳が聴こえなくなってから、この本にどれだけ支えられただろうと思います。
右耳が聴こえなくなってからこの本を再読すると、
難聴者のコミュニケーションの難しさや悩みに共感するところが多くありました。
右耳が聴こえていた時は、「聴こえることが当たり前」だったので、気付くことができませんでした。
大阪出身の伸行は関西弁で、ひとみに対して間違っていると思うことはストレートに指摘するけれど、
きちんと相手の気持ちも気遣える、そして冗談を言って笑わせてくれる、
人間が出来ているめちゃめちゃ優しい彼です。
私もひとみのように、病気のことや片耳が聴こえないことを受け入れよう、
前向きに生きて行こうとは思っても、どうしても悪く考えてしまったり、病気を理由に甘えてしまったり、
どうして自分なんだろうと卑屈になったり、気持ちがささくれ立つ時があります。
そんな時、この本はいつも私を肯定してくれて、たまに反省させてくれるのです。
★レインツリーの国は私にとってのシミルボン
私はシミルボンという書評サイトで本のレビューを書いています。(https://shimirubon.jp/users/480)
難聴者のひとみにとって難聴というハンデを気にせず、好きなことを「言葉」で語れる場所が、
この本のタイトルであり、ひとみが運営しているブログ「レインツリーの国」でした。
私はこの本を再読したとき、私にとっての「レインツリーの国」はシミルボンだと思いました。
私はリアルでは片耳が聞こえないので、にぎやかな場所は話しかけられても気付かなかったり、
相手の声が聞きづらくて話が噛み合わなかったり、聞き返したりしないといけないので、
人と会話するのが苦手です。
おまけに、恥ずかしがり屋で、いつも自分の思うことや伝えたいことをきちんと伝えきれません。
シミルボンは私がハンデやコンプレックスを気にせず、好きな本について好きなだけ語れる、
見せたくない自分を相手に見せずに、自分が好きな自分でいられる場所です。
シミルボンというひとつの居場所に私は感謝しています。
★図書館シリーズが好きな方は必見!
レインツリーの国は、図書館戦争シリーズ第2作「図書館内乱」の中で出てくる「恋の障害」という
エピソードの中で、架空の小説が実際の小説として発売されました。
小牧教官が聴覚障害のある毬江ちゃんにこの本を勧めます。
図書館戦争を読んだことがある方はより楽しめると思います!
これは、ささやかな私の希望ですが、私のこのブログやレインツリーの国を読んで、
外見からは分かりにくい聴覚障害や聴神経腫瘍という珍しい病気にも、
興味を持っていただけたら嬉しいです。
シミルボンという書評サイトで本のレビュー&コラムを書いています。
良かったらご覧ください♪