子どもの頃の約束を覚えていますか?
今はもう無いあの原っぱでした約束を。
奈良橋広斗は午前中にアポイントメントを取った顧客3件を全て周り、4件目を周った街で買ったあったかい缶コーヒーを持ち帰ると広場の横に停めたバンに戻った。
広場は中途半端に整備されていて公園という名前にはなっているものの、草ぼうぼうで荒れ果てている。
遊んでいる子どもはいない。
よく車をここに停めている。
缶コーヒーのプルタブを開ける。
美味くないコーヒーなのに高い。
でもここは落ち着く。
いつも人が居ないし、何より昔の思い出に浸れるから。
俺と川村涼は幼稚園から小学5年生までずっと、そう、一度もクラス替えすることなく進級した友達だ。
彼は二重瞼で目のぱっちりした優しそうな眉の男の子だ。
何事にもなぁなぁでいい加減な俺とは違って勉強だって運動だって地道にこなす優等生の涼君。
でも2年生までは心臓が悪くて思い切って手術をしたそうだ。
そして元気になった涼君はそれまで我慢していた運動を思いっきり楽しめるまでになった。
そんな涼君が父親の転勤で5年の夏休みに突然いなくなった。
先生の話ではまた病気が悪くなったので病院の近くに引っ越したらしい。
その頃の会話を思い出した。
「ヒロ君は大人になったら何になりたい?」
「え~、なんでも良いよ」と言ったが涼が不満そうなのは自分語りがしたいからだと察して「お金持ち」と答えた。
「ヒロ君、夢が無いなぁ」
小学5年の友達から「夢」と言う言葉が出てきて俺は何だか子ども扱いされているようで「悪かったな」と言い放つ。
「そういう涼君は・・・」と言いかけた時に急にサッカーボールをドリブルしだし、一周回って戻って来た。
「僕はレストランの・・・コックさん」と息を切らせて言う。
そう、まだこの時は元気だった。
「どうしてコックなんだよ」
「うちのお父さんが色んなホテルでシェフをしているんだけどね、今度遠くの街にあるレストランで専属シェフっていうのをするんだ」
どうもこの頃の俺はひねくれていたのだろう。
自分に自信も無く、将来の夢どころか日々だらだらとしていた。
勉強も遊びも中途半端でやる気のないところは今も続いている。
「ちぇ、なんだよそれ。親の自慢か?」
「ううん。そうじゃないよ」
「じゃあなんだよ」
「自分の作った料理がさ、いろんな人に美味しいって言ってもらえるなんて凄くない?」
「そうかな」
「そうだよ。凄いしカッコいいよ」
「俺には分からないね。なりたいものなんか無いし」
僕は原っぱに寝転んで空を見上げた。
「大人になったらか・・・」
その隣に涼君も寝転んだ。
「そうだ!僕がレストランを始めたらヒロ君を招待するから食べに来てよね」
「え、涼君のレストラン?」
「そう。僕のレストランでとびっきりの料理をご馳走するから」
「食べ放題にしてくれるのか?」
「うん。いいよ」
「やった。絶対行くからな」
「うん。その代わり・・・」
「ん?」
「いつも元気でいてくれよな。僕は明るい元気なヒロ君と一緒にいたんだ」
俺、そんなに元気なさそうに見えてたんだと思った。
「さてと、現実に戻りますか」
缶コーヒーを飲み干すと自販機横の青い廃棄ボックスの「缶・びん」の穴に空き缶を放り込む。
午後の外回りの前に駅前のハンバーガーショップに行こう。
俺は元原っぱだった中途半端公園から車を走らせた。
俺はなんでも中途半端が似合うなと思った。
大人になった俺はやっぱり惰性で生きていて、二流大学を卒業したあと2回も職を変わった。
そのうちの一つの会社の事務員の女の子と結婚して郊外の賃貸マンションで親子三人で暮らしている。
娘は幼稚園に通いだし、それは可愛くて仕方ない娘だ。
妻から急かされて2年前に大手浄水器メーカーの営業職に就いた。
ノルマがきつくて毎晩遅くまで外回りだの会議だのをやっていたが、精神を壊して半年休んだ。
上司のパワハラが原因だった。
「お前こんな成績で良く恥ずかしくもなく会社に出てこれるな!」
「今月の営業成績びりっかすの奈良橋君にみんな拍手~!」
「給料泥棒って言葉知ってるかな?あ、すまん。本人に聞いちゃったよぉ~!」
外回りをしているときは気持ちが楽だ。
帰社するのが怖い。
10件回って成約は無く、それはいつもの事で嫌味を言われるのも慣れているがやはり辛い。
今日の最後は新装したてのレストランに行った。
浄水器を勧めると好感触があった。
涼君も今頃どこかでレストランをやってるんだろうな。
ガキの頃の約束覚えてるだろうか。
いや、ご馳走してくれなくていいからさ、浄水器買ってくんないかな?と考えている自分のいやらしさに笑えて来た。
そうして数日後、あの新装レストランからの返事を待っていたが答えはノーだった。
別の安いメーカーので良いよと言われたのだ。
「馬鹿野郎!お前の推しが弱いからみすみす他所に取られるんだよ!今からそこに行って来い!少々値引きして良いから契約取ってこい!」
「はい・・・」
俺は夜の9時に訪問したがオープン前のレストランに当然誰も居ない。
どうしよう。
いや、どうにもならねぇよな。
もう嫌になったなぁ。
ハンドルに突っ伏して泣いた。
なんで俺の人生ってこんななんだよ。
その時、コンコンと営業車の窓をノックする音。
「こんばんは」
俺はびくっとして顔を上げる。
見知らぬ男性が立っている。
「あ、やっぱりそうだ」とその人は言う。
「僕ですよ。ほら、小学5年の時引っ越した・・・」
「え?」
その体つきは大きくて立派になっていたが優しそうな二重瞼とにっこり笑った顔に見覚えがある。
「涼君?」
「久しぶりだね、ヒロ君。助手席良いかい?」
俺は背広姿の涼君を助手席に乗せた。
「懐かしいね。えっと18年ぶり?」
「涼君どうしてこんなところでこんな時間に?」
「ヒロ君が元気ない時ならいつだって来るさ」と言って笑う。
答えになっていないのに俺は納得して、やっぱりこいつはカッコいい男だと思った。
「で?なんで泣いてたの?」
「泣いてないよ。ちょっと疲れてただけだ」
「そう・・・。時間ある?」
「え?」
「ちょっと行きたいところがあるんだ」
俺は運転しながら色々聞いた。
涼君は都会で成功したあと、この地元に戻って来て新しい店を構えたそうだ。
「こんなところでレストラン開いても儲からないんじゃない?」
「そこがいいんだよ。あ、そこの角左ね」
走らせながら予感があった。
子どもの時に良く遊んだあの広場のあった公園に向かっていると。
やっぱりついた。
夜9時20分。
公園の一角に白い平屋建てのレストランが金色に光る装飾をキラキラさせている。
「あれが僕のレストランさ」
「え?いつの間に?」
「トラットリアHIRO」と書かれた看板。
中は広くてテーブル席が10席とカウンター。
「ようこそ、僕の城へ」
従業員は誰もいなくてがらんとしているが、真ん中の席には「奈良橋様」と書かれている。
「約束を果たしに来たんだ」とカッコいい台詞を吐く涼君。
「じゃあ、もしかして食べ放題?」
「もちろん」
一旦消えてから厨房に戻って来た時にはコック帽をしたカッコいいシェフが。
「奈良橋様、18年間お待ちしておりました」
「お招きありがとうございます」
俺はおどけて言った。
「これ、ほんとに良いの?」
「マジだよ。君が元気出せるように腕によりを尽くすよ」
俺はその一言で泣けてきた。
料理はどれもとびっきり美味しくて、静かすぎることを除いては大満足だった。
「元気になった?」
「あぁ、こんな美味い料理を作る料理人になってたなんて・・・凄いな涼君は」
「いや、僕はたいしたことないよ。それよりヒロ君、無理しないでね」
「無理なんか・・・」と言いかけて涙が溢れ、喉が詰まって喋れなくなった。
「ヒロ君は優しすぎるんだよ。時には爆発してもいいんだよ。自分を守れるのは自分しかないんだ」
白いスカーフを首から外して俺に手渡し、涙を拭けと言う涼君。
「それに、君には大事な家族がいる」
「涼君は・・・今幸せじゃないのか?こんな立派なシェフになってるのに・・・」
それには答えず「あの頃は毎日が幸せだったよ。ヒロ君と遊んだこの原っぱには思い出がいっぱい埋まってるんだよ」
「涼君・・・」
「約束・・・果たしたよ」
俺が礼を言って帰宅したころには11時を回っていた。
お腹も心も満たされて俺はぐっすり眠れた。
明日は休日だ。
娘と妻と一緒にあの原っぱだった公園にピクニックに行こう。
隣にある涼君のレストランも紹介しよう。
次の日の朝、妻が郵便受けに葉書が入っていたよと言って俺に手渡した。
俺はその手紙を見て驚いた。
「川村早紀」と言う知らない女性からだった。
そこには父の涼が3日前に心臓発作で急死したと書いてあった。
父の手帳を見て奈良橋様のご住所に連絡させていただきましたとある。
そんな・・・。
俺は自家用車を走らせると公園に行った。
だって、昨日の夜・・・。
だかそこにはレストランなんて何も無くて、いつもの荒れ果てた公園だけがあった。
「いつも元気でいてくれよな。僕は明るい元気なヒロ君と一緒にいたんだ」
何処からか懐かしい声が聞こえた。
完
読み切り小説も第100話となりました。
長らく桜子の小説ブログを読んでいただいてありがとうございました。
もし宜しければ長編でも短編でも読み切りでも構いません。
気持ちの向いたときに私の過去の小説を読んでいただいて私の事を思い出してもらえたら嬉しいです。
皆さまお元気でお過ごしください。
桜子