悲しみは泉のように心の奥深くからいくらでも湧き出てくる。
つむぎとアキト。
二人の泉は枯れることが無いのか?
私、アキトさんを信じたい。
そう思ったつむぎは手術前日、最後の面会時間となる12時までに間に合うようにメメに言葉を飛ばした。
〈メメちゃん、私のところに来て。お話したいことがあるの〉
昼前になってやっとメメがやってきた。
黒髪がバサバサなのはいつも通りだが黒のワンピースと薄手のベージュのコートと言う地味な格好だった。
間に合った。
けれど時間が無い。
「なんですか?私に話って」
「昨日アキトさんが来たの。私にお別れを言ったのよ」
「え?なんで?」
「アルバイト先に好きな女の子が出来たって。その子の方が自分に合っていて気楽なんだって・・・」
そこまで言ってうつむいてしまうつむぎ。
「でもね、それは嘘かもしれないって・・・私の願望なのかもしれないけど・・・そう感じたの」
涙が落ちている。
そう言えば病院から帰って来たアキトさんはふさぎこんでいた。
「どうしてそう感じたんですか?」
ちょっと酷だと思ったが聞いてしまうメメ。
「アキトさん、私に似合う人間じゃないって言うの。きっと新堂先生から言われてた事を気にしてるのかも」
以前廊下で会った新堂医師。
ちょっとおかしなところもあったなぁと思い出す。
「その・・・つむぎさんは新堂さんのこと、どう思っているんですか?」
「主治医の良い先生です。でも、ただそれだけなんです。私が好きなのは・・・アキトさんだけです」
メメの表情が曇ったのをつむぎは見逃さなかった。
「どうしてそんな顔をするの?」
「変な顔していました?」
メメははぐらかすように笑ったが顔が引きつっていた。
つむぎはもしかしたらと思った。
「メメちゃんは・・・アキトさんをどう思ってるの?」
「どうって?」
「男性として」
「あはは、アキトさんはつむぎさんの事が好きなんですよ、私はただの飼い猫です」
小声で顔が赤くなるメメ。
「あなたもアキトさんのことを・・・」
「いいえ、違いますって。それよりバイト先に女の子なんていません。安心してください。アキトさん、嘘ついてるんですよ」
早口に喋るメメ。
そんなメメを優しい目で見つめるつむぎ。
ドアがノックされて新堂拓郎が入って来た。
「おはようございます」
「いよいよ明日だね」
「宜しくお願いします」とつむぎとメメ。
「名嘉村君の妹さんも一緒だったんだ」
メメは拓郎を見据えてこう言った。
「兄はつむぎさんとの交際を諦めましたよ」
「そ、そうかい」と苦笑いする拓郎。
「さぞご満足でしょうね」
「お兄さんに宜しく」
プイと横を向くメメ。
「新堂先生、私今でもアキトさんのこと諦めていませんよ。好きなんです」
新堂は目を見開きそして口を噛み顔を伏せる。
メメはつむぎを見れなくて顔をそむける。
メメは病院の中庭に出て上を見上げた。
あの医者の顔が忘れられない。
そして同時に何か分からないどす黒い予感に不安になった。
新堂の診察が終わってすぐに最後の見舞いが来た。
つむぎの両親だった。
「あ、新堂先生、明日は宜しくお願いします」
宮元氏とその妻が挨拶をする。
夫婦は歳を取ってから生まれたつむぎが可愛くてならない。
そのつむぎを託すのは新堂医師だ。
「任せておいてください。つむぎさんを救えるのは私しかいません。天才と呼ばれた私しか」
その言葉に眉をひそめる宮元氏。
「快復した暁には正式に結婚を前提としたお付き合いをさせてもらおうと・・・」
「お父様、先生の言う事は聞かなくていいわ。私には好きな人が居るの」
ぎょっとする新堂。
「あぁ、いつも話してくれる名嘉村さんだね。猫つながりの」
それを聞いて焦る新堂。
「彼はアルバイトの青年ですよ、両親だっていないんですよ、僕と比べ物にならないぐらいのちんけな男ですよ」
それを聞いて宮元氏はあからさまに不快な顔をした。
「君、娘の彼氏を悪く言うのはやめてくれないか」
新堂の顔は歪み、唇を固く嚙み握りこぶしは震えていた。
「私にこれ以上の侮辱を与えないでください。手が震えて手術が上手く行かないじゃないですか」
その言葉に今度は宮元氏が噛みついた。
「娘に相応しいかどうかは娘が決める事だ。明日娘に何かあったらわしは君を許さんぞ!」
「午後から検査なので退室お願いします!失礼します!」
新堂は足早に立ち去った。
「何という男だ」
呆れる夫。
「あんなになって、あの医者、不安だわ」と妻。
「大丈夫よ、お父さん、お母さん。私は元気になって退院します。みんなでご飯食べに行きましょう。もちろんミミも一緒に」
「そうね、楽しみにしてるわね」
「何を食べるか考えておいてくれ」
「もう考えてあります。小さな食堂で定食を食べるのよ」
アキトの食堂の事だ。
家に帰ったメメはベッドで塞ぎこんでいるアキトを見つけた。
「嘘をつくのは人間の証拠ね」
「何の話だよ」
「つむぎさんの事よ」
「もう関係ないよ」
「本当に諦めてしまうの?」
メメはアキトとそして自分の心に言っていた。
続く