今日の記事はグチです。
もう限界きてるので記録です。
朝バイトの最古参は、
わたしが、
いいです、
それやらなくていい、
わざわざ分けてもらわなくてもいいから、
わたしじゃなくて娘さんにあげてくださいよ、
と拒否で言ってるのを「遠慮」だと解釈して、
うちでは誰も食べないから、
庭でたくさん咲いてるから、
友だちにもあげてるから、
いいの、いいの、
うちでは、誰も喜んでくれないから、
いらなかったら捨ててくれたらいいから、
と、
わたしが遠慮で言ってると思い込んでて
断ってもまったく話が通じない。
結構強めに断って、顔もイヤがってるのに
押し付けがましい、とか、
食い下がる、という迷惑な行動だとは思いもしない。
最初にくれたのは温泉たまご。
「毎月たまごを買っていて、
たくさんあるから温泉たまごにしたの」
と、5個くれた。
わたしは、てっきり
届いた新鮮なたまごを温泉たまごにしてくれてる
と思ってたら、なんと、
残った古いたまごを温泉たまごにしてくれていた。
つまり、1ヶ月前のたまごよ
その他も、
手作り惣菜をくれたとき、
傷んでるところは捨てて、
大丈夫なところで作ったから、
とか、
賞味期限当日のヤクルト
とか、
娘家族が食べたオレンジの皮で作ったお菓子
とか、
捨てるのはもったいない、
まだ食べれるからと言いながら、
自分では食べずに、
典型的な「いらないもの」をひとに押し付けてくる。
先日から
あじさいを持される攻防にイラつく。
ドノーマルな青とピンクのあじさい。
家の庭でたくさん咲いてるから、
また、持ってきてあげるわ、と言われたとき
「花瓶を割っちゃったし、
せっかく咲いたあじさいを切るのは
かわいそうだから、もういいですよ」
と、言ったら、
「切らないと木が大きくなりすぎるのよ、
切ったのを捨てるのはもったいないから、
誰かにあげたほうがいいのよ」、と
大きな瓶に入れて、持ってきた。
いらなかったら捨てて、と言うが、
それは建前で、
前にあげたあじさいは、
ちゃんと水切りしたらもっと持つはずだ、とか、
本心は「世話をして大事にして」と言っている。
しつこすぎる
無自覚にもほどがある。
ありがたい、あることが希少である、ではなく、
ありがた迷惑でしかない。
わたしの心の健康に害が出始めてる。
もらいもの恐怖症、トラウマになりそうだ。
あじさいに罪はないけど、
部屋の中に飾ってまで見たくもない。
でもそうやって、
罪のない花を無下にするのが痛い。
食べるものを捨てるのは自分が傷つく。
古いものだとわかっていても気分悪い。
最古参こそが捨てる罪悪感を回避してるのを、
わたしに押し付けて、
ほんとうにやり場のない怒りに腹が立つ。
うかつに、あじさい好き、と言ったのを後悔。
好きな食べ物とか言おうものなら、
それを作って持ってこられるのも迷惑。
だから、彼女たちには、
わたしのこと知られたくない。
ひとにものをあげるなら、
ほんとうに価値のあるものを、
稀にすることだな。
親しき中にも礼儀あり、だわ