Case02
「今日の献立は、誰が考えたんだろう。」
午後四時三十分。
冷蔵庫の扉が開く。
ボクはいつものように、その音で目を覚ました。
また、この時間だ。
人間は夕方になると、みんな冷蔵庫を開ける。
何か大切な秘密でも入っているのかな。
そう思って見ているけど。
毎日、少し困った顔をしている。
「何にしようかなぁ……。」
冷蔵庫を開けたまま、小さくつぶやく。
卵。
豆腐。
昨日の残りの野菜。
少しだけしんなりしたほうれん草。
ボクには全部おいしそうに見える。
でも、人間は違うらしい。
ただ食べられればいいわけじゃない。
栄養も。
家族の好みも。
財布の中身も。
全部考えている。
扉を閉める。
また開ける。
また閉める。
また開ける。
さっきから三回目だ。
冷蔵庫も少し困っているように見える。
スマホを開く。
「簡単レシピ」
「節約ごはん」
「冷蔵庫 残り物」
いろんな文字が並んでいる。
ボクは思う。
人間って、ごはんを作る前に、こんなに
考えるんだ。
「カレーかな……。」
そう言ったかと思えば。
「いや、この前食べたし。」
今度は首を振る。
「パスタ?」
また首を振る。
「うーん……。」
答えはまだ見つからない。
ボクだったら簡単だ。
「いつもの。」
それで終わる。
毎日同じでも、結構幸せだ。
でも人間は違う。
昨日と同じじゃつまらない。
栄養も考えたい。
子どもは野菜が苦手。
今日は帰りが遅い人もいる。
いろんなことを考えている。
スーパーへ出かける。
ボクは窓際から見送る。
三十分後。
両手いっぱいの買い物袋を抱えて帰ってきた。
「高くなったなぁ。」
誰に言うでもなく、小さく笑う。
その笑顔は、少しだけ困っていた。
キッチンから音が聞こえる。
トントントン。
包丁の音。
ジュワッ。
フライパンの音。
味見をして。
少し首をかしげる。
もう一度、味見をする。
ほんの少しだけ調味料を足す。
その繰り返し。
その間にも。
洗濯機が止まる。
宅配便が届く。
子どもが帰ってくる。
電話が鳴る。
手は止まる。
でも。
料理は止められない。
「今日のごはんなに?」
子どもの声が聞こえた。
「今日はね。」
笑いながら答える。
さっきまで悩んでいたことなんて、もう話さない。
夜。
食卓に料理が並ぶ。
「いただきます。」
家族が箸を伸ばす。
「おいしい。」
その一言で、少しだけ笑顔になる。
でも。
誰も知らない。
その一時間前。
冷蔵庫の前で立ち止まっていたことを。
スマホを何度も見ていたことを。
スーパーで値札を見比べていたことを。
「今日のごはん、おいしかった。」
その言葉は聞こえた。
でも。
「今日の献立、考えるの大変だったね。」
その言葉は聞こえなかった。
ボクは椅子の下で丸くなる。
人間って不思議だ。
料理は三十分で食べ終わる。
でも。
その三十分のために、一時間も二時間も考えている。
それなのに。
その時間には、名前がない。
夜になった。
食器も片付いた。
キッチンはまた静かになる。
明日になれば。
また冷蔵庫の扉が開く。
また同じように悩む。
誰にも気づかれないまま。
ボクは思う。
人間は毎日、ごはんを作っているんじゃない。
毎日、
「今日は何を食べたら、みんなが笑顔になる
だろう。」
そんなことを考えている。
その時間まで含めて、
きっと「ごはん」なんだ。
今日も誰も言わなかった。
「献立を考えてくれて、ありがとう。」
でも。
ボクは見ていた。
冷蔵庫の前で立ち止まる時間も。
買い物袋を持つ手も。
味見をして首をかしげる横顔も。
全部。
ちゃんと見ていた。
人間って。
料理をしているようで。
本当は、
誰かの「今日」を作っているのかもしれない。
