前回記事
の続きです。






20時半。
寝る前にトイレに行こう。
っとランプを持ちトイレに座っていると、
1階から父の声がしました。




「ついたぞ!!」




っと。



トイレに入っていたので、
よく聞こえず。




オリがそれを聞きつけて、
ブレーカーを上げると、
一気に電気がつきました。
トイレの電気も!!




わぁーーーーーーお願い





便座に座りながら感動しました。
明るいってなんて安心するんだろう。
逆に明るすぎる灯りに、目がくらみました。
私たちは電気に頼りすぎた生活をしていると実感しました。


そして、
ウォッシュレットのありがたみを再認識。




トイレから出ると、
オリがテレビをつけて情報を得ようとしていました。



そして、外を見ると....



さぞかし明るくなっただろうという私たちの予想は裏切られました。
うちのお向かえの区画の家々はまだ真っ暗。



そして、まさかのうちのお隣の家も!


どうして!?
なんでうちだけ!?



お隣さんが、
うちの街灯がついた事に驚きやってきました。



やっぱり、うちと、うちの裏の2軒しか復旧していないと。



てっきり、区画ごとに復旧していくのかと思っていましたが、
まさかの隣の家との境目もあってなんて。
申し訳ない気持ちになりました。
充電など必要なものを受け取ってみんなで充電しました。



この日の夜は、
何もする気が起きなくて、
そのまま眠りにつきました。





9月7日地震の翌朝、
うちが夜復旧したのでその後続々と復旧していくのかと予測していましたが、
友人たちに復旧状況の確認すると、
なんと復旧したのはうちだけでした。
清田区厚別区の一部は、水も電気も止まったまま。
もちろん、震源地に近い被災地も。





そして、
私は今産休中なので仕事の心配はしなくて良いのですが、
私の友人の8割近くが病院勤め。
みんな家のことも心配なのに、
出勤しなければなりませんでした。
夫の方が自宅待機が多く、
子供を夫に任せて仕事に行ってました。


私が心配だったのが清田区に住む友人でした。
電気も水も止まり1歳と3歳の子供がいる。
さぞかしストレスフルな環境だろうと。



連絡をとり、
うちから車で20分の距離なので、
せめてお風呂に入りにおいでと伝えました。
充電もして、水も出来るだけ持って行きなと。
そして、子供たちの服が溜まっていると思ったので、洗濯もして行きなと伝えました。



彼女の旦那さんは今日は仕事に出て行ったそうです。
こういう時、日本人ってそうなるよね...
働きに行くんですよ。
実はうちの父も行きました。



オリはトコトンびっくりしてました。



電力会社とか警察とか病院とか絶対働かなきゃいけない関係の仕事じゃないけど、
行ける人はいく。
逆に、働かなきゃいけない環境の人たちの事が心配です。



とにかく、
夫もいない中子供二人と、
まだ続く地震の中にいるのは不安だと思うし!っと伝えて、
うちに来てもらいました。



1歳の子供はまだ何にも分からず遊んでいました。
3歳のお兄ちゃんは、良くは分からないけどみんなの緊張感が伝わっているのか、
いつもよりかなり大人しく、
シャイになっていて私とのお話も顔を背けていました。
友人の妹も不安で彼女の家にいたようで、
一緒に来ました。
彼女は看護師で、地震が起きてから病院までの地下鉄が止まっていたので、
家から病院まで自転車で1時間半かけて出勤したそうです。
看護師魂を感じました。



お風呂に入り、洗濯をし、充電をし、水を汲み、うちで作っていた氷を持ってもらい、炊いておいたご飯をおにぎりにして持って帰ってもらいました。

もし、明日も電気、水が復旧していなかったらまた来ていいからねと伝えました。
子供達は何も分からない分、
いつもは観れるアニメも見れなくてストレスが溜まっていたと思います。




この時点で、
また大きな本震が来るかもしれないリスクはまだたっぷりあって、
私たちもまたこの電気を失うかもしれない可能性に怯えていました。
もちろん今でも。
なので、お風呂にお湯は貯めたままにしておいたり、
色々入れておいたお水もまだ捨てていません。




地震から1日半が経っている中、

"九州の地震は余震から3日後に本震があった"
とか、
"2日間は強い地震が来る可能性がある"
とか、
"最低でも1週間は本震に備えて"
という情報が行き交い、
身体に感じる小さな余震も何十回と感じました。
ドンっと大きく揺れた後に、
そのまま消えて無くなるような地震もありました。
その都度、
一度動きを止めては、
着替えた方がいいか?
など頭に巡らせ、
収まってはまた日常に戻ろうと努力しました。


それでも、
携帯は充電できるし、
テレビも情報が見たいときにはつけてみる事が出来る。
なんて有難い事なんだろうと思いました。





そして、
その日の夜、
うちが復旧してから24時間経過してから、
隣の家や向かえの家の区画の復旧となりました。
外を見ていたら、
急に周りの民家の灯りが灯っていき、
感動しました。
とにかくうちだけ電気が通っている罪悪感が強かったので、
ホットしました。



不眠不休で働いていた北電の方々に感謝の気持ちしかありません。