【なぜ「どうしてわたしだけ」と思っちゃうのか】

 

社会に出てから、

「なんでアナタたちだけそんなに何かを抱えているのか?」

と思う場面に、多々出くわす

 

2011年の震災後、引っ越し先で入ったボランティア団体でのこと・・・

 

「ひとが良い」のをイイ事に?メンバーの二人だけが

次のイベントのもろもろ引き受けているのを見つけた

 

なんなら、かかる経費までその二人が被りそうだった・・・

 

そのことを彼女たちにいうと

「でも、他の人たちはやりたくなさそうで」

と、苦笑いする・・・

 

いやいや、笑っとる場合か?

 

「周りを巻き込み~」

「それが無理ならこの団体では力量不足と諦めよう」

と彼女らには言いつつ、

 

他の人たちには

「この二人だけに、これを全部負担させる気じゃあるまいね?」

「話し合うから集まって」

と一斉メールを送ったりした

 

ボランティアの正しい意味は

「慈善行為をするひと」

ではない

 

自ら進んで何かをする ”志願者”

である

 

動かないのにボランティア団体にいる意味ないっしょ?

 

「空気を読む」とは・・・

「場」を読み、より良くするためにある能力、

だと思っている。

 

誰かが困っているのに「なぁなぁにする」のは、

空気を読む、ではない。

 

それは「放置」だYO

 

放置は空気を読めなくても出来るYO

 

一部の人たちだけに抱え込ませたら結局は不満が積もる

 

結果、

「良い人がそこから抜けていく」

という損失が生まれる

 

周りは

「やってくれて楽ちん」

と思ってる場合か?

 

この団体、ひいては自分へのデメリットに気付かんかいな、

と思ったのだ

 

そして抱え込む人は

「抱え込めるほど、ひとが良く、また能力がある

ことに気付いてほしい、と切に願う

 

あなたは「抱え込むほど能力がある」のだ

 

「自分が嫌になって抜けたらこの場の損失だ」

 

と気付いてますか?

 

「なんで自分だけ」

と思うほど、抱え込まないで人を巻き込んだ方が、

 

「結局は周りの為になる」

 

事が多い、

 

。。。。。というのが個人的見解である。

 

ま~ケースバイケースですけどね

 

ご本人がひとを巻き込みたくないなら

「いち抜けた」

もぜんぜんありです。

 

それは、

自分がどこまで周りの人たちと関わりたいか、で

決めればよいかと

 

なので、

「どうしてわたしだけ」

と思った時は、

 

「自分はどうしたいのか?」

と自分に聞いてください

 

素直に「したい方向」に向う

というのが最適解だと思ってます

 

 

「どうしてわたしだけ」と思っちゃうのは

アナタがそれを

選択してない・したくない

から、ではないだろうか?

 

 

もっと素直になって良いんだよ

 

抱え込み ”それもよし”、と選択するか、

 

抱え込みすぎた、と荷物を下すことを選択するか、

 

周りの人を巻き込むことを選択するか、

 

いち抜けた、とちゃっちゃと居心地よい場所を探すと選択するか、

 

本当の気持ちであなたの意思で

在りたい自分

を目指せば良いのです

 

自分は今、どう在りたいですか?

そして

未来の自分は、どう在りたいですか?

 

この質問が次の行動へのキーです

 

。。。。。。。。。。。。。。。。

 

☆我が家の話し☆

わたしは三兄弟で、末っ子が高校に行く頃には、

姉の役目だけではなく親の役目もしていた。

 

一応、長女だが

「おねえちゃんだから」

と何かを我慢させられたことはない

 

むしろ「おねえちゃんだから」と

優遇されていた、と思ふ

 

その分、

言われなくとも下の子の面倒は見たが、

それはわたしの自由意思だった。

 

「役に立たなきゃ」

とも思ってない

 

自分より小さく弱いものは、守る存在、と自然に思っていた。

 

~しなければならない、と思って面倒見てないけど

「姉としての役割を果たしているので多少の優遇は同然だ」

と思っていた節もある

 

だがそのうち、

「姉」の役割を超えて、

親の役割もしなければならなくなった

 

父親の ”クズっぷり” は、年々磨きがかかった

 

ほぼ口をきいてなかった父に

「下の子が、せめて高校を卒業するまでは、父親の役目を果たしてくれ」

と訴えても無駄だった(。-_-。)

 

例えば末っ子の高校でかかる費用はわたしが出したし、

 

その子の高校の3者面談

(「教師・保護者・本人の3人」で面談する進路指導)

は、母ではなくわたしが行った、

 

それらさえ、

~しなければならない、

と思ってやっていたわけではない

 

3者面談などは、頼まれた、というのもあるが、

進んで行った、とも言える。

 

「どんなヤツ (担任) か、顔を拝んだる」

<(`^´)>

とか思った記憶がある

 

末っ子は高校3年生の時の担任を毛嫌いしており

「とにかく関わりたくない、世話になりたくない」

と言っていた

 

その担任は、

「常に責め口調で話してくる人」

だと聞いていた

 

また、母はメンタルが弱いので

「他人の悪意の矢面にできない」

というのが共通認識だった

(この頃は身体も壊し、入院する事もあった)

 

責め口調の担任に、保護者として、大人しく、

「この子は、学校の世話にならずに、自力で就職先を決めます」

と伝えなければならなかった

 

担任的には

「進路が決まってない生徒がクラスに居る」

のが困る事だったんでしょうけど

 

それで責められても、ねえ?

それはそっちの事情やし

 

「お姉ちゃんに来てほしい」

と言われた時は、少し考えて

・・・

「キレたらそのまま職員室まで行き、教頭や校長に訴えるのあり?」

と聞いたら、

 

「大人しく、穏便に、何事もなく済ませて!」

却下されました( ´艸`)

 

なので 面談中、

”大人しく” 穏やかに、
無駄にエラソーで責め口調の先生に対し

 

「アンタの世話にはならんので、うちの子には構わんとって~」

 

と主張し続けねばならんかった、わけです。

 

そのエラソー先生と話したあと

「モヤモヤする」

ということもない

 

「今日は末っ子の手前、勘弁してやった」

と思っていた。

 

それくらいの事、なんでもなかったのである。

 

こんな感じで、育った家で

「なんで自分だけ」

と思ったことはない
 

わたしは、

自分の親に代わって「親の役割」をする必要はなかった、

とは思っている。

 

必要はないが、

そのポジションを選んだのは、

わたしの自由意思である。

 

わたしにとっては「大したことない」役割であった。

 

わたしも自由、あなたも自由、です。

 

 

 

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