人生において目標を決めずに生きて行くのは愚かである。旅ならフラッと気の向くまま行き先を決めずに旅しても面白いだろう。

人生はいつか終わる。死なない人間はいない。

終わるときに後悔しないように生きることが良いと思いませんか?そのためには、ダラダラと生きていてはダメだ。

よく若い頃に戻ってやり直したいという人がいる。それはとても恥ずかしいことだ。

俺は二度と同じ年齢を繰り返したくはない。その時その時を全力で生きてきたから、同じことをやりたくはないのだ。それくらいの気持ちで生きたらどうだ!

世の中には物事がうまくいかないときがある。ちょっとうまくいかないというなら、危機とは呼ばないが、本当に追い込まれてしまい、にっちもさっちもいかなくなる危機的状況というものがある。物事がうまくいっていたときにあった自信も失い、気力も失い、悲観的なことばかりを考えてしまう。

多くの人はここであきらめる。

あきらめない人はこの危機的状況を打開するために、一生懸命考え始める。この考えるという行為が重要である。

「解決策は必ずある。自分は必ずそれを見つける」と自分で決断する。

自分の中に存在する「もう一人の自分」を見つけるために考えなければならない。

 

世の中には自分がコントロールできることとコントロールできないことがある。

自分の考えの焦点を「自分がコントロールできること」に集中しよう。もし、自分の考えを「自分がコントロールできないこと」に集中させると、フラストレーションがたまる。そうすると幸せを感じることができなくなる。

例えば過去は「自分がコントロールできないこと」である。だから、過去の失敗などをくよくよ考えてもしょうがない。過去の失敗はなぜ失敗したのかのレッスンを学んで、これから「自分がコントロールできること」に役に立たせればいいだけだ。

より難しくなるけれども、他人の思考や行動を変えようとするのも、「自分がコントロールできないこと」になるので、ストレスがたまることになる。自分がどう感じるかと自分の今後の行動は「自分がコントロールできること」である。だから、そちらに自分の神経を集中させるのが得策だ。

 

何事もやり遂げる人間になってほしい。

そのためには信念が大事だ。宗教の意味ではない。努力は必ず報われるという信念だ。

そのためには自己肯定感が高くないといけない。自分に自信がないとだめだ。

そのうえで、失敗を恐れずに何度でも挑戦する気概を持ってほしい。

失敗というのは一時的なものだ。失敗してもあきらめなければ敗北ではない。

そして、結果にこだわらずに過程を楽しみなさい。

父は結果が気にならないくらいの努力を知っている。

本当に自分の持てる力をすべて出し尽くしたら、結果は気にならなくなる。

そこまでやり切っている人間は少ないので、多くは結果を気にする。

これ以上はできないくらいプロセスをやり切りなさい。

 

そして、何をやるのか、ということだけど。

自分の頭で考えて行動しなさい。他人に言われたことをやる人間ではダメだ。

主体的に自分で選んでいきなさい。人間に与えられた力は考える力だ。

やることはすべて本物を目指しなさい。

そして、本物になるためには教養を身につけなさい。

ゲームやったり、くだらないテレビ番組を見たりする時間は人生にはない。

人間に平等に与えられているのは時間だけだ。それを有効に使うかどうかは自分で選べることだ。本を読んだり、友達と議論したり、芸術を楽しんだり、やることはいくらでもある。なるべく良質なものに触れるように意識しておきなさい。

 

どうやるかというと、なるべく仲間を見つけてみんなで協力してやれるようになりなさい。

ひとりだけでできることと、複数の人間で協力してできることとでは、達成できる事柄の大きさが変わる。そのためには、常に感謝の気持ちを忘れないで、礼儀正しく、そして、他人の悪口を決して言わないで、正々堂々と生きていきなさい。

 

父は息子にそのように生きてほしいと考えている。

 

何かやるなら徹底的にやり抜こう!

何事もやると決めたらやり抜くことが大切だ。

 

何をやると決めるのかについてはまた今度別のときに書こう。

 

やると決めてからはやり抜くまであきらめてはいけない。

諦めたらそこでおわる。

あきらめない限りやり抜ける。

 

やり抜くための原動力は自分に対する自信である。

以前FAITHについて書いたけど、FAITHがあれば自信もある。

自分に自信があればFAITHも沸き起こる。

自信とFAITHは車の両輪みたいなものだ。

 

自分に対する自信はどうやって身につくのだろうか?

 

親として、自分の子どもに自信をつけるためには、

心から愛してやればいい。

 

無条件の愛情を与えれば、子どもは、「自分はこれでいいんだ!」

と自然と思える。

 

そして、小さな努力をこつこつと続けて結果を出していくことが大事だね。

努力する、失敗する、でも努力する、結果につながる。

努力する、失敗する、でも努力する、失敗する、でも努力する、結果につながる。

努力する、失敗する、でも努力する、失敗する、でも努力する、失敗する、でも努力する、結果につながる。

 

人生はこれの繰り返しだ。

失敗しても結果につながるまで何度でも努力しなおせばいい。

 

もしも、失敗が続くならば、それはもしかしたら最初の目的・目標設定が

間違っているのかもしれない。

 

目標の決め方はまた別のときに話そう。

はるくん

 

父さんは君に自分の頭で考えることができる人間になってほしい。

他人の命令を無批判で聞くような人間にはなってほしくない。

たしかに社会の秩序のためにある程度のマナーは必要だ。

電車の中で奇声を大きな声で発するのは正常な人間ならマナー違反だと思うだろう。

しかし、マナーの範囲というのはものすごく微妙に決められる。

例えば、今の日本では医学的、科学的に間違ったマナーを

大衆が信じているふしがある。

例えばそれは、公共の場で健康な人でもマスクをつけるということだ。

このことをマナーだと勘違いしている大人が多いのではないだろうか?

 

まず、法律上ではマスクをつけなければならないということはない。

次に、医学的にも科学的にも健康な人がマスクをつけるということで何かが防げるわけではない。

むしろ、科学的にはマスクは人の健康に害をもたらすことも分かっている。

 

そのうえで、別に自分が何かをおそれてマスクをしている人がいるのはそれはかまわない。

僕個人としては、みんながマスクをし続けるとそれが社会的に他人にマスクを強制するような暗黙の力が働くので、気づいている人はなるべくマスクはずしたほうがいいとは思うけど、その価値観を押し付けることはできない。

同じように、他人にマスクをしなさいということも価値観の押し付けだからおかしい。

 

電車で奇声を発する人がいたら、「やめろ」とは言えないから、それが嫌な人は別の車両に移ればいい。

マスクもしない人がいて、それが気持ち悪いと思うならその人から遠ざかればいいだけの話。

今、「身体を持って次の次元へ行く」っていう本を読んでいる。

その中で夢に名前をつけようというのがあった。

僕の夢は何だろうか?

 

今回の疫病騒動の前は僕は日本のリーダーになりたいという夢があった。

政治家は嫌いだから、国会議員や総理大臣というのではない。

日本の制度を変えて大統領制にしてその大統領になりたいな、と漠然と思っていた。

 

今回の騒ぎで、僕は気づいてしまった。

 

政府もマスコミもとんでもないところからコントロールされている。

あきらかに論理的におかしいことや科学的におかしいことがまかり通ってしまう。

 

もっと恐ろしいのは日本人の大多数があまりにも思慮深くないことがわかったことだ。

 

少しでも論理的に考えればわかるようなことが今の大多数にはわからない。

 

ちょっとでも自分の仕事や興味のないことには調べてみようともしない。

 

このような人たちのリーダーになるのは難しい。

だから今の僕の夢はリーダーになることではない。

じゃあ僕の夢は何だろうか?

息子のハルくんは笑顔が素敵だ。その笑顔を守ることが今の僕の夢だ。

日本の社会が今のオーストラリアやカナダのような変な社会にならないように、僕ができることを考えていかなければならない。

まずは新型コロナウイルスってどんなものかを知ることが

大切で、新型コロナは日本では風邪みたいなものであるという

主張は結構信頼のある学者さんから発信されています。

大阪市立大学名誉教授の井上正康先生は以下の本を出されています。

 

 

 

そして、かつて一度削除されて復活したYoutubeの動画もあります。

 

 

このYoutube では井上先生の2021年6月時点でのお話を聞くことができます。

 

 

 

息子よ

今の世界はちょっと変なんだ。

今2021年の6月中旬だけど、昨年から新型のコロナウイルス感染症が世界中ではやっていて多くの人が亡くなり、今はその感染症のワクチン接種が進んでいる。

僕が変だと言っているのは、病気のことではなくて、社会の風潮のことだよ。

 

ここ1,2年の間で世の中では言論統制が進んでいるように見える。

また、私権の制限が「コロナ対策」というキーワードで簡単に行われている。

 

ワクチンパスポートなんて憲法違反だよ。

僕ら日本人には基本的人権があって、移動の自由や発言の自由、

職業選択の自由などは保証されているはずだ。

確かに公共の福祉に反しない限りでの基本的人権だけれども、

今回のワクチンを打たないことが「公共の福祉」に反する行為かというと

絶対にそれはないだろう。

 

僕は学者だから、真実を追求したい人間だ。

だから噂話のような陰謀論なんて興味がない。

 

これから新型コロナに関していくつか事実と思われることを僕は調べてまとめていきたい。

将来、もっといろいろなことが明らかになったときに、どれが正しくてどれが間違っていたかを

キミは判断してくれると、父としてはうれしい。

 

はるくん

英語でFaithという言葉がある。

日本語で訳すと「信念」という訳語が出てくるかな。

もともとは宗教的な意味合いもある言葉だよ。

神様を信じているみたいな意味かな。

僕はこの言葉を次のように考えているよ。

「僕が努力することには意味がある。」

「かみさまはきっと努力を見ていてくれる。」

僕自身は特定の宗教に帰依しているわけではないけど、

スピリチュアルではあると思う。

人間の力を超えたものを信じているということかな。

それを僕は「かみさま」と呼ぶことにする。

最後はね、努力が実を結ぶときもあれば、そうでないときもある。

だけど、Faithがなぜ大事かというと、人間は努力する過程、プロセス自体に

意味があるんだ。努力するためにはFaithがあったほうがいい。

そして、努力というのは徹底的にやらなくちゃダメなんだ。

「人事を尽くして天命を待つ」という言葉があるけど、

結果が分かった時に、「まだまだ努力が足りなかったな」という

程度ではまだ努力は足りないんだよ。

本当に死ぬほど努力したら、結果が気にならなくなる領域というのが

あるんだよ。父さんはこれまでに何度かそういう努力をしてきた。

だから僕にはFaithがある。

はるくんもFaithを持てるようになれるといいね。