前回の続きです。
私は、なぜ、兄に聞く勇気が出なかったのか。
兄が言うには、
当時5歳の私の行動のせいで、兄は父に殴られたそうです。
『お前が妹をしっかり見ていなかった。』
と。
兄は、私の命を守ったのに、
殴られた。
本来、褒められるところなのに。
なぜ、このようなことが起きたのか。
フラクタル心理学では、勘違いをとるポイントを4つあげています。
その中の1つが、
当時5歳の私の状況にあてはまります。
その1つとは、
【自分は無関係な犠牲者だと思える状況】
一つは自分の姿の投影で、もう一つは自分の望んだ現実化だと認める。
殴る父親は自分の暴君の姿の投影。
殴られてかわいそうな兄は「かわいそうな自分」の投影。また、殴られる兄は、暴君の自分が罰したいと望んだことの現実化。
本来、妹を助けてくれてありがとう!と言われる場面で、父に殴られた兄。
なぜこんなことが起きたのか。
その現実を私が望んだからなのです。
私は兄にいじめられていると勘違いしたことから、かわいそうな兄(自分)を作り出し、兄を殴る父親(自分)を現実化させたのです。
それともう一つ。
【されたことはしたこと。】
5歳の私が兄にしたことは、
時間と空間を超えて、
元夫にされることになるのです。
次回に続く。