今までたくさんの痛い目を経験してきた私。
痛い目はみたくないから、慎重に行動をするかというと、時と場合によりけり。
やはり痛い目をみた方が、より慎重になる。なぜなら学習するからだ。頭では分かっていても、理性より本能が勝る事があるのが人間…動物だからか?
痛い目を繰り返しながら、人は学習していく。
朝寝坊して、朝食も取らず、髪を振り乱しながら出かけていった子供を見て、思ったことだ。

走っても危ない。車や自転車に轢かれる可能性があるからだ。
自転車でも危ない。飛び出してきた人、自転車、車とぶつかる可能性があるからだ。
車はもっとも危ない。人からしたら爆弾を走らせているようなものだ。
間に合うかどうか分からないほどの切迫した時間なら、一言、遅れるかもしれない旨を電話で伝えた方がいい。そうすれば、あとは安全に辿り着けばいいだけである。それを何とか間に合わせようと必死になるから、心拍数も上がれば、危ないことも平気でするようになる。
私も今までヒヤッとしたことはあるが、たまたま何も起こらなかったのはラッキーなだけで、こんな思いをするなら、今日からは早く寝よう!、と反省したものだ。

子供たちよ、気付いて欲しい。修正可能な痛い目なら糧になろうけど、人生が一変するような痛い目をわざわざみることはない。
たった一本、電話するだけの勇気を持って欲しい。その一本の電話だけで心が楽になるということ。15分の遅刻を取って謝罪するか、一生悔いて生きていく人生になるかは、自分の選択次第である。