久しぶりに泣いた日。自分に悔しくて。 | 白杖ウーマンharukoのブログ

白杖ウーマンharukoのブログ

視覚障害(網膜色素変性)、弱視、白杖使用。手帳2級。視覚障害について日々感じる、うれしいこと、悲しいこと、悔しいこと、そして好きなこと、やってみたいこと、などあれこれ書き留めて行こうと思います。よろしくお願いします。

ご訪問いただきありがとうございます。

はじじめましての方、見つけていただきありがとうございます。

白杖ウーマンharukoです。

 

タイトルとおり、

久しぶりに泣きました。

気持ちに負けないつもりで過ごしていますが

今日は負けました。

 

素直に泣く、ということも

いいのかも、と

泣くことに自分がOK出しました。

 

親しい友たちのお祝いで

人が集まる場に参加しました。

 

以前は、準備する側にいて

できることでお手伝いができましたが、

今回は、

参加した、という感じでした。

 

それでも、一緒にお祝いできるということは

うれしいことです。

 

たくさんの人が集まるところではありましたが、

白杖を使ったら、

お客さまたちがびっくりしたらどうしよう、とか

主役の友だちのお祝いの場を

いわゆる、普通の場、にしようと思いました。

 

私の状況を知ってる友だち数人が

かわるがわる、サポートをしてくれたので、

いつもながら、ありがたいな、

と思いながら楽しませていただきました。

 

会場までは、

スタッフになっている友だちが送迎してくれたので

お祝いの場の準備と

お客さまたちが帰った後のお片付け、

の間も私は会場にいました。

 

その時ですね。

自分が動けない悔しさをとても感じたのは。

 

そこで座っててね、

と言ってくれて、

準備をするみんなを「感じて」いるしかなくて。

 

あと片付けもそうです。

みんなの邪魔にならないように

「立ってる」ことだけしかできませんでした。

 

その時間が

すごく長く感じました。

 

手伝いたくても、

みんなのように動けないし、

見えない、見えにくい、

ので

 

「そこにいる」

 

しかできないんです。

 

お食事の時とか

少し余裕があると、

友だちが気遣って声をかけにきてくれていましたが、

 

準備、片付けの間は

慌ただしくあれこれ動いているから、

 

忘れられてる

というわけではなくても、

 

何もしない私

 

がずっとそこにいるだけでした。

 

悲しいというより、

やっぱり悔しいんです。

 

やることがないので、

動いているみんなを見ながら

悔しさがこみあげて

泣きたくなりました。

 

でも、せっかくのお祝いの場で

泣いたらいけないと

こらえました。

 

みんなが悪いわけでもなく

何か言われたわけでもなく

むしろ、

みんなは自分の担当の仕事をしながら

合間合間に気遣ってくれて

ありがとう、って思っています。

 

自分がこうなってしまったことが

とっても、

とっても、

悔しいんですよね。

 

見えていたら、

手伝えるのに、って。

 

帰りも家まで送ってもらって、

落ち着いてから

お風呂に入ったら

 

涙腺ゆるめる許可をだして

 

悔しいなあ

悔しいねえ

って

久しぶりに泣いてました。

 

こんな思いは

できれば経験したくないけれど、

 

経験したから

次に進める気持ちができてきますよね。

 

それから、

誰かが同じ思いをしたら

気持ちが分かることができますね。

 

私の好きなコピーライターの

ひすいこたろうさん

の本で、

 

泣く、という字は

さんずいへんに立つと書きます。

涙のあとに立ち上がるんだよ

 

みたいなことが書いてありました。

 

ただ泣くのはもったいないんです。

そして

泣くから次に進めるのだろうし、

 

もしかしたら

泣かないと進めないのかも?

とも思います。

 

できればうれしい涙のほうを

たくさん流していきたいですが、

 

悔しい気持ちは

きっと、ずっと、

これからも一緒だと思うので、

 

上手にお付き合いしていこうと思いました。