今回のテーマは"中学校の部活動地域移行に協力したいと外部指導者になったものの、結局やりがい搾取の対象になってしまった、テイカーとの戦い”です。

 

 

 

 

 

全員初心者の合唱部を3年で地区大会代表、県大会へ導いたこと

これは私が従来の長い年月をかけて育てる発声法をやめ、短期間で声量を増やし、声を響かせるオリジナル発声法を指導し始めてすぐに出た結果でした。

 

 

 

私は自分自身は「音楽は得意だし歌も好きだけれど声が小さくて戦力にならない合唱部員」でした。

演奏会で一人だけソロがもらえない、そんな悔しい思いもしましたが、音大受験でプロの声楽家に習い始めたことをきっかけに、それ以降多くのボイストレーナーに習う機会に恵まれました。

 

 

 

その中で「この先生の指導はよくわからないな」「この先生の指導だと声が出るな」と自分に取り入れられる方法を選択できるようになっていったのです。

中でも効果があったのは、元々歌の才能を持っている音大の先生方よりも、苦労して劇団四季に入団した先生の、奇想天外な指導でした。

 

 

 

「従来の発声法では中学校3年間のうちに響く声を出すところまで行けない。何とか短期間で大きなホールに響く声を出させてあげられないだろうか。」そう考えた時に、これまで習って効果があったことだけをすべて組み合わせ、やってみようと思ったのです。

 

 

 

はじめは戸惑っていた部員たちが、1人2人と声が変わってきたことに気付き、私の「オリジナル発声法」を真剣に毎日取り組んでくれました。その結果、少人数でもホール中に声が響き、ハミングのロングトーンは安定して長く、しかも大きなホールの最後部の座席までピアニッシモの美しいハミングが届くという奇跡が起きました。

 

 

コンクールの結果発表で銀賞までに校名が呼ばれなかった時、例年だったら「あぁ、参加賞か……」と諦めていた部員たちが「金賞だ!」と確信した、本当に嬉しい瞬間でした。

 

 

 

 

介護のために離職し、中学校の部活動から離れてからも、部活動の地域移行にはずっと関心を持っていました。コロナ期に合唱部はほとんど壊滅状態になってしまい、金賞を共に喜び合った中学校の合唱部は廃部となってしまいました。

 

 

 

それでも歌いたい子はいるはず。響く声を手に入れて卒業していった子たちは、ずっと自分の声に自信を持って歌や音楽を好きでいてくれるはず。そんな子たちを増やしたい。」

 

 

 

8年の介護が終わったタイミングで、私は地域移行対応の合唱クラブを作るアイデアを温め、中学校や自治体に働きかけ、よい感触を得ました。

担当者からは「他のクラブも保険に入り、場所代や指導料を集めて運営しているので、ボランティアでしないでくださいね。」と念を押され、計画を練っていきました。

 

 

 

そんな時にたまたま既知の近隣中学校に勤める音楽の先生に会いました。少し話をしていくと、彼女も自校で合唱部の顧問をしながら、休日は地域の合唱クラブを作って活動するための計画を立てていると言います。

「別々にクラブを作るより、一緒にやりましょう!」と声をかけられ、意気投合しました。

 

 

 

私はサブ的な立場でと思っていましたが、コンクールに出ることや、対等な立場で指揮や伴奏も分担しましょうと提案され、2時間くらい盛り上がった最後に「でも、生徒から集める費用は会場代くらいなので、謝礼はお出しできないの。」という一言。

 

またそのパターンか⁉滝汗

 

 

 

自分で計画していたクラブではきちんと活動費をいただく予定だったので、私は内心とてもがっかりしたし、迷いました。

でも介護が終わってからというもの音楽の仕事に就くことができていなかったので、「これをきっかけに他でも指導できるかもしれない。活動が広がっていくかもしれない。何よりここまで盛り上がっておいて『やっぱり辞めます』とはすごく言いづらいガーン」そんなわけで、引き受けてしまった私……。

 

 

 

テイカーに奪われる日々。そして戦いの結末は次回に続きますグー