心が死なないために | 山本春王のブログ

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明けましておめでとうございます。

もう2月の5日です。
でも俺にとっては、ようやく明けましておめでとうと言える心境になりました。

今年の1月をもって、今までやっていた演劇の仕事を辞めることになりました。

理由は、簡単に言うと、俺が会社の規則を守らなかった故にクレームとなってしまったからです。

自分のせいです、自分が悪いのです。
それでも色々あって心が疲弊して病んで、1ヶ月以上ひきこもりのような生活をしていました。
本当に心を許せる人以外には関わりたくない。
外に出たくない、外が怖い、人が怖い。

でも、最近ようやく、心も落ち着いて、自分のこと、人のこと、色々と考えて、外に出て行くことが出来そうになってきたので、まずはブログから始めてみようかと思い、久々にブログを書いております。

上手くいかなければまたしばらく引っ込むかもしれないけど、何かキッカケをつくっていかないとずっとひきこもりのようになってしまい、何も出来なくなってしまい、心が死んでしまいそうなので、上手くいってキッカケになればいいなと。

応援のメッセージとかが欲しいわけではない。
もちろんそんなのがもらえたら嬉しいけど、本当に自分の巻いた種なので申し訳ない気もする。
ただ、今は攻撃的な悪意を感じるようなものは見たくはない。
もしも、わざわざ攻撃的な悪意のあるような書き込みがあれば、それはきっと余程俺のことが気になる俺を攻撃するのが好きな人なんだな、と思うことにする、という予防線を張っておく、これでも来るならもうすごいなぁと思う。

規則は絶対守らなければならないもの。
そう思ってる人にとってはこの先はきっと不快になると思うので見るのはここまでにしておいてください。
ここから先はほとんど言い訳になるでしょう。

12月のクリスマス前くらいに問題は発覚し、心の負担を減らす為に元気に振る舞おうおしていたがそれも叶わず、それから1ヶ月以上、ひきこもりのような生活をしていた。
そろそろ立ち上がりたくてする言い訳。
別に読んでもらわなくてもいいような、自分が何かを吐き出して軽くなって歩きたいという為だけのもの。

規則は基本的には守るもの。
それは理解した上での話。

俺は色々な人の相談を受けていた。
本当はその人たちとは個別でやりとりしてはいけなかっただ、会社の規則的には。

でもずっとそれを続けてきた。
ひとりひとり個人個人と向き合いたかった。
仕事としてではなく、ひとりの人として。

ひとりの人として向き合うのであれば、仕事を通じて知り合うこと自体が間違いかもしれないが、俺のような存在を必要と思ってくれそうな人を探し出すには、キッカケにしてもらうには、すごく効果的だったのだ。

俺は昔、周りに相談が出来る人がいなくてすごく辛いという時期があった。
とても内気で自分から人に話せなかった。
そんな時に声を掛けてくれる人がいたら、上手く喋れなくても諦めずに聞いてくれる人がいたら、寄り添ってくれる人がいたら、どんなに気持ちが楽になれただろうか、そんな風に思って、自分がそんな存在になりたいと思った。

しかし、それを煩わしいと思ったり、それに嫌悪感を抱く人もいる。
それはそうだ、合う合わないは絶対にある。
今回、仕事を辞めるキッカケになったクレームも、それに嫌悪感を抱いてしまった人がキッカケとなっていた。
それも仕方のないことだ。
全ては俺の言動の招いた結果。
俺のせいである。

ただ悲しいのは、相談のやりとりをしている中では嫌悪を伝えてくれていなかったことだ。

俺は基本的に何でも聞く。
相手にとって嫌ではないか、望んでいるか、嫌なことは出来るだけしたくないし望んでいることを出来るだけしてあげたいし、察したりしてもそれに自信がないから必ず確認するようにしている、情けなく小さい男かもしれないが。
でもそれが嘘だと、俺にはもうわかりようがなくなってしまう。
だから、わからなかったんだ、嫌悪感を抱いていたなんて。
まだ、自信がなくても察することが出来る範囲であれば別の対処をすることも出来た。
けど、表面ではとても好意的にしてくれていたから全然気が付けなかったんだ。

でも、そんな人もいる。
きっと正面からぶつかったり嫌な態度を取るのが苦手なんだ。
それをわかってやれなかった自分にも足りないところがたくさんあったんだ。
そう思うようにしている。
相手を責めてもなんにもならない。
責める気はない。
今はただ吐き出して軽くなろうとしてるだけだ。


とにかく、その時に色々と考えた、考えれば考えるほどにハッキリしていったのは、自分がいかに子供かということ、いわゆる大人の社会の中で生きていくことは極めて難しいであろうということ、それでも自分は気持ちに嘘は付きたくない、その上で救える人を救いたい、俺のやり方だからこそ救える人を少しでも救えればいい、他の人に救いを求められる人はそれはそれでいい、今回のことも俺でない人に頼れているのだからそれでいい、ということ、もっと見極めて言動に注意すれば自分の立場も守れたし会社への迷惑もかけることなく済んだのでその言動をして大丈夫かどうかの見極めをもっと慎重に気を付けた方がよかった、という反省はあれど、この方法で救える人を救えなくなることを考えたら、見極めを気を付ければよかったなという反省のみでそれ以上の反省が思い付かないということ、このことからも、一線を退くべきであろうという考え、客観的に見ても会社という組織の中にこんな人間を置いていては、会社を危険に晒す可能性も高くなるような存在であり、会社を守ることを優先的に考えたら、置いておくべきではない存在であろう、という考え、生活のことを考えたら、一線は退くにしても、危険を及ぼす可能性が低い範囲で使ってもらえたらありがたいが、生活のためとはいえ、これ以上自分を偽って誤魔化して生きていくことはおそらく耐えられない気がするので、会社のためにも自分のためにも、退職すべきであろうという考え。


俺の意図がどんなものであろうと、相手からそう伝わっていて、相手がそのように感じたのであれば、それが相手からしたら紛れも無い事実なのだろう。意図や気持ちのすれ違い等はあれど、相手の言うことに間違いはなく、俺は、そのようなやりとりを、俺の意思で、した。

会社のルールを守らずに、俺個人の意思で。

会社としては、このようなルール違反をした者を置いておけないので、解雇処分という形で処置をすると相手側に伝えてもらえれば、相手側もある程度は納得してもらえるだろうと思った。

浅はかな考えかもしれないが自分なりに考えてみた結果だった。


ひとつ前のブログは、その時にグルグルと考えていた、結論も答えも何もない、ただの俺の内面的な、考え、気持ち、そういったものになるが、もし知りたい人がいれば知って欲しい気持ちもある。

俺という人間がどんなことを考えている人間かを知った上で好きになってくれる人を今は求めているから。