介護をしているときなど、

相手は「病気だから」と、自分に言いきかせることはありませんか?

私はありましたし、それで、冷静になれるなら悪いことではないと思います。

 

けれど、精神疾患や認知症の症状が、一般的に、病気だからですまされてしまうことが多いのには歯がゆさを覚えます。

 

かつては多重人格と言われていた解離性同一性障害。

 

実際に、自分はそうなのだという方の話を聞いた記憶はなく、聞きかじった知識から、幼児期の虐待など、つらい状況を耐えぬくために別人格が作り出され、それが統合されず一人の中に複数の人格が存在する状態だと思ってきました。

 

突然、全く違う人格があらわれるといったドラマに出てくるようなケースばかりではないようですが、一人の人の中に複数の人格が存在するって、本当に不思議なことだと思いませんか?

 

解離性同一性障害でも主人格はあるようですが、自分という人格が嫌なら全く違う人格を作り出せる可能性もあるのではないかと、浅はかにも考えてしまいます。


そもそも、人格ってなんなのでしょうか?

 

もし、解離性同一性障害で苦しんでいる方がこの記事を見て不快に思われたならごめんなさい。

 

ただ、もし、私が解離性同一性障害で苦しんでいるとしたら、もっと深くなぜ複数の人格が一人の人間の中に存在し続けるのか解明してほしいと願うだろうと思うのです。

 

検索で見つけた、母体が25年の歴史をもつ精神科クリニックだというmeden(ミーデン)という会社の「解離性同一性障害」というコラム。

 

そこには、1973年に発表され、日本でも翻訳された「シビル」の記録が、2011年に捏造だったと暴露されたと書かれていました。

 

幼児期の親からの虐待により16の人格をもつ「シビル」が、精神分析治療により人格が統合されていったという記録がです。

 

 

詳しくは上記のコラムを読んでみて下さい。

 

また、幼児期の虐待などにより人格が解離してしまうということは、実際にあるのでしょう。

 

でも、上記コラムにも、

解離性同一性障害は、シビルで強調された虐待やトラウマがないケースもたくさんあります。

 

【解離性同一性障害の原因】から引用

と、書かれています。


そして、記事の最後には、「憑依」という言葉も出てきますが、通説にとらわれず、様々な角度から、もっと深く探求がなされたなら、それが、この障害を持たない多くの人の健康維持にも役立つように思うのです

 

強迫性障害の症状の一つとされる恐怖症も、病気だからで終わらせないで、

 

なぜ、全く理由のわからない特定の恐怖にとらわれてしまうのか?

 

そして、ひっくり返せば、なぜ、テレビからは恐怖が煽られるようなニュースばかりが流れてくるのに、殆どの人が、恐怖にとらわれずに日常を送れているのか?


これらも、通説に縛られず解明しようとする仲間が増えてくれたら嬉しいです。

 

また、私の書いたお話の主人公のように、魂の救済を心から求めている人がいることも受け入れてもらえたら有難いです。

 突然の死や取り返しのつかない過失に怯えることのない人たちは、火の元確認を繰りかえす私たちに、病院にいったほうがいいと言うだろう。
 
 でも、たとえ強迫行為をぴたりと止めてくれたとしても、医者が、理不尽な事故の起こるわけを説明してはくれないし、ましてや、こうこうこうだからあなたの人生に、あなたの恐れているようなことは絶対に起きないと断言してくれたりはしない。

 医者から離れた私たちが宗教に救いを求めるのはごく自然な流れ。

『また開く花のように』6章より

 

 

 

 

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