32歳で仕事を止め実家に出戻り母の認知症に気づいたとき、ともかく恐かったです。
その進行を想像すると居ても立っても居られませんでした。
33歳、髄膜炎で入院した姉を見舞いにいき、宙を見つめ廊下を往復する彼女の姿を見てしまった日は、完全に打ちのめされて大泣きしました。
精神障害者の通所施設で職員をしていたときは、全く気づいていませんでしたが、私は、頭の病に対して、おそらくは他の人以上に強い恐れや偏見を抱いていました。
その原因が、10代で発症した強迫神経症(強迫性障害)のせいかといえば、そうではないのでしょう。
なぜなら、おかしいとわかっているのに確認行為を止められなくなり、自分の頭がおかしくなってしまったとわかったとき、すでに、これは誰にも知られてはいけない恥ずべきことだと感じ、とても恐ろしかったからです。
社会の概念、両親の概念、そして、もしかしたら幼いときの何らかの体験が関係しているのかもしれませんし、違う何らかの理由があるのかもしれません。
何は、ともあれ、9年前には、もう一人の姉の頭に大きな髄膜腫が見つかって、10時間以上かけての摘出手術の後では再び恐れに直面させられてました。
けれど幸いにして、リハビリの問題を解きながら、
「11の次の数は何?
早く教えてよ!
13⁉︎」
と、言っていた姉の頭は、ほぼ一人で我が家の家事をこなすほど回復しました。
これでさすがに、自分の、頭の病に対する恐れは過去のものになったと思っていました。
でも、違いました。
その後もずっと頭の病を恐れ偏見を抱き続けてきたことに、ようやく気づきました。
私は、強迫性障害や強すぎる恐れの原因を探し求めながら、「脳」という部位だけを避け続けてきたのです。
ボディーワークを受けて、自分の体がひどい状態だと初めて気づいてからは、全身の問題だったのだと思ってきました。
そう、脳は全てを支配する絶対的なものではなく肉体の一部なのです。
けれど私は、その一部である脳を除外しつづけてきたのです。
ポリヴェーガル理論に出会ったときは、原因は迷走神経だったのだと舞い上がりました。
でも、5月に、津田真人先生の中身の濃い勉強会に参加させて頂き、ますます迷走神経に関心を持つとともに、それだけを原因とすることには無理があると認めざるをえなくなりました。
そして、ようやく自分が、強迫性障害や強すぎる恐れの原因から、脳だけを除外しようとし続けてきたことに気づいたのです。
私が頭の病を恐れてきた理由の一つに、脳は一度壊れたら元に戻らないという思い込みがありました。
けれど、もし本当にそうであれば、私は未だに手を洗い続け、誰かの命を奪ってしまうかもしれないトゲを落としたのではないかと、座っていたベンチを撫で回しているはずなのです。
肉体の一部である脳に関心をもち始めたら、いろいろなことが見えてきました。
遠まわりしすぎなようでもありますが、これがベストなタイミングと信じて新しいステージに進んでいきたいと思います。
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