だれかを応援するとき

 

その声援のコトバは、

 

いろいろ選べるのがいい。

 

無理をしたいときもあれば

 

無理をしなくていいときとか。

 

 

がんばるときや

 

がんばらないとき

 

自分にきびしいときや

 

自分にやさしいとき

 

他人にきびしいときや

 

他人にやさしいとき。

 

そういうときどきに

 

あらわれていく言葉。

 

それってもしかしたら

 

人によって異なるように見えて

 

優柔不断と思えたり

 

八方美人に感じたりして

 

他人からいろいろ言われたり

 

自分で自分を詰ったりもするかも。

 

でもほんとは

 

言葉は人それぞれに合わせて

 

かえていいものだと思います。

 


TPOみたいに。

 

だから、

 

矛盾した言葉があっても

 

ぜんぜんOKなんです、きっと。

 

がんばって!

 

って言うときもあれば

 

がんばらないで。。。

 

って言うときがあるのは

 

無責任だったり

 

統一性がなかったり

 

支離滅裂だったり

 

本気じゃないから

 

とかではないと思うんです。

 

矛盾してるかのように思えるのは、

 

それは、2色でしか見てないから、

 

かもしれません。

 

裏か表か、

 

ってだけで考えると

 

やっぱりそれは

 

どちらかが裏になれば

 

どちらかが表になるもの。


だけど別に、

 

100円玉をもらうとして

 

裏か表かどうかを気にするより

 

100円かどうかが大切。

 

平たいところだけを

 

偏って眺めていたら

 

裏と表があるわけですが

 

側面に目を向けることができたら

 

裏と表はつながっていて

 

そして、どちらも

 

ひとつの100円玉だということを

 

思い出せるのかもしれません。

 

正しい言葉、

 

使っていきたいけど

 

その正しさは

 

どんな場面でどんな時間に

 

どんな相手に伝えるかによって

 

正しくないものにもなりえちゃいます。

 

だから

 

自分がいまいる場所から

 

それがいいと思えた言葉を

 

いつも自然に選んでいるはず。

 

そしてそれは

 

自分だけじゃなくて

 

相手も同じ。

 

正しかったり

 

優しかったり

 

嬉しかったり

 

愛しかったり

 

何かしらの想いがあって

 

それはまぎれもない想いで

 

それを言葉にしたときに

 

たまたま平たい角度から

 

その言葉を差し出したのかもしれません。

 

 

それによって

 

たしかに裏に感じたり

 

表に感じたりすることがあるかもしれないけれど

 

どうせならその言葉の

 

平たくない角度から眺めて

 

もとがなんなのか。

 

100円なのか10円なのか

 

応援しようとしてるのか

 

邪魔しようとしてるのか

 

助けようとしてるのか

 

足ひっぱろうとしてるのか

 

喜んでもらおうと思ってなのか

 

傷つけようと思ってなのか

 

コトバの表し方として

 

裏とか表のちがいはあれど、

 

その根っこにあるものは、

 

きっと、もっと、

 

「愛されてる」という前提で

 

うけとる選択肢を想像してもいい。

 

 

 

差し出すものも

 

受け取るものも

 

どちらもジブン次第で

 

自分のまなざしの向け具合で

 

何通りにも意味を成すし、

 

何通りにも循環できるから。