ミニーヘア | ©猫と春風の花慈しみ愛で。心。

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猫たちと暮らす穏やかでささやかな日常。
当たり前だけど、当たり前じゃない、
がかけがえない特別な宝物の瞬間瞬間。
一日一日大切に丁寧に重ねています。
(旧ブログ「神様がくれた宝物2007〜」より)




どちらもあまりに酷い写真ですが、おーばーさーんのミニーヘア。

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上の2013年の写真は未使用。個人メールで知り合いに送っただけ。


下はこちらのblogの休日の寝起きシリーズ。

自虐的に酷いほど面白いシリーズ。



中学で体操部に三年間所属していて、体操部では大概この髪型をしていて。


これの三つ編みバージョン。

中国の人形みたいな、三つ編みを両サイドにお団子にした頭。

それで試合にも出ていました。


今思えば不思議。

インパクトはあったかも知れない。



先日藤さんが「飛びます」でやっていて。


今日癌blogが抱いていたのがミニーのように見えたから。


あんな顔で睨みつけられたら気持ち悪くて最悪。


美人じゃなくても心美人目指しています。

そうこうしているうちに、やがて老婆になってしまう。


(ToT)。


あったかくて優しい笑顔の無垢なお婆さんになりたい。


そう想っています。


頑張らないで頑張りたいです。



そう、何かでちらりと拝見しましたが。

何やら著名そうな。知らない方でしたが。


「人は依存と甘えをやめた時に初めて、心が自由に解放される」というようなことが見出しに書いてあり。


確かに依存して何かに甘えているうちは、依存と甘えのその対象に縛られているものなのかも知れない。

それがなくなってしまった時には、恐らく身動きできなくなるから。


旧blogにも描き、こちらにも再アップしていますが、家族が全て旅立ち、精神的に頼る者が全て居なくなった時。

自立心は結構ある方なので、頼っているという意識は全くなくても、いざ全て旅立った時に、


「自由という不自由さ」を感じたこと。

それは、独りになり、あまりに全てが自由過ぎて、当初どうして良いか分からなくなるという「不自由」という心理に陥ったこと。


頼って甘えているつもりはなくとも、人は存命の身内やまた誰かに、例え離れていても精神的にはとても支えられ助けられているものだなぁと思い。

そのこと自体が、既に甘えていたということ。

今でも姿は見えなくとも、心の中の家族に問い掛けます。