こんな | ©猫と春風の花慈しみ愛で。心。

©猫と春風の花慈しみ愛で。心。

猫たちと暮らす穏やかでささやかな日常。
当たり前だけど、当たり前じゃない、
がかけがえない特別な宝物の瞬間瞬間。
一日一日大切に丁寧に重ねています。
(旧ブログ「神様がくれた宝物2007〜」より)




こんな色々な色があったなんて。


飛騨高山さるぼぼさん


可愛い。


ヽ(´δ`;)ノ。



「羨ましい」は決して「妬心」ではなくて。「憧れ」


どんなに頑張ってもなれない「憧れ」もあるけれど、それは決して「妬心」にはならず「尊敬」に変える。

自分がなれなくて悔しいことも勿論あるけれど、私は私でしかなく、他の誰でもないことを大切にして、

自分ができること、自分がしていること、自分にしかできないことを目標にしていたい。

その気持ちはずっと変わらない。

比較もしない。つつがなく何もなければ、自分と違うことを思い切り認めて敬い尊ぶ。

また自分が人と違うことも認めて最も自分らしい自分という個性に変える。

それもずっと変わらない。

人との闘いではなく常に自分との闘いであるということ。

大切に想って生きてる。

それらの心や、またあらゆることはみんな、そこからまた何かを得る学びであり、敬うことの謙虚さと慎ましさはまた美徳に変わる。

損をすることも多いし、何でかなと思うことも沢山あるけれど、自分以外の何かを利用して得を得るより、真っ直ぐにいて損をしても、その方がやがてはずっと心が平和でいられる。

やましさを持たないということ。

いつも同じ話しばかりだけれど、本当の自由はやましさの無い中にしかないと想っていて。

やましさを持ち続けたら、もうその「やましさ」に既に縛られているということだから。

それは心が一番可哀想で、とても苦しいことだと思う。

心が本当に自由に解き放たれる為には、それらを持たないことのように思う。


損をして得を取るという言葉もあながち間違いではないのかも知れない。

損したって真っ直ぐ正直な方がいいに決まってる。

勤務先で先日の件。まだ相手は私が悪いという感覚みたいで。

腑に落ちないこともあるけれど、私一番下っ端だから。

色々適わないことの方が多いから。

適わないことを「敬い」に変えようとしている。

変えようとしている。

変えようとしているのね。

(*^o^*)。


どうかな。



ゆっくり休まれて、改めておやすみなさい☆


春風



23:18

子供の時に自ら学んだ。色々あるけれど。何か壊したら一刻も早く「謝罪」すること。