記憶の雀 | ©猫と春風の花慈しみ愛で。心。

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猫たちと暮らす穏やかでささやかな日常。
当たり前だけど、当たり前じゃない、
がかけがえない特別な宝物の瞬間瞬間。
一日一日大切に丁寧に重ねています。
(旧ブログ「神様がくれた宝物2007〜」より)




いつものベンチには別の人。

約束の可愛い子には今日も逢えませんでした。

少し寂しい。

でもこの森の小鳥たちは気さくで。

人に懐いているのか、ベンチに座ると寄ってきます。

いつもと違うベンチで。

丁度大好きなメロンパンの残りがあったので、白い所だけ少し千切ってあげてみたら、ピョンピョン近付いて嬉しそうに食べてくれました。


可愛いの?いい子ねぇ。


私いい子。
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おばちゃん。ありがとちゅん。
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可愛い。


2013年の以前のtwitterにも描きましたが。

昔、故郷雪国で、父が冬になり雪が積もると、朝お米を持って外へ。

何してるの?と尋ねると。

雪に埋もれて雀の餌がなくなるだろう?と。

背が高くてがっちりした背中。

優しいんだけれど知らない人が見ると一見威厳のある父。

背中は嘘をつかない。

温かい背中だなぁと思ったこと。


そして、直ぐ上の兄は、高校生の頃、巣から落ちていたまだ目も開かない雀の雛を拾い、

ペットショップで買った粟をすり潰して、毎日餌をあげて一生懸命育てていて。

凄く懐いた立派な手乗り雀に育てあげたこと。

自由の空に逃がしてあげる時、家族で「恩返しがきっとあるかもねぇ」と言って笑って。

少し寂しそうな兄の横顔と。

そんなことを思い出したりしました。

小さな頃から絶えず誰かが何か連れてきて、動物が耐えることがなかった我が家。

一番上の兄は、何かの卵を拾い、温めて孵ったら蛇だったことも。

みんな逃げました。

メス猫が二匹、同時期に赤ちゃんを三匹ずつ産み、家に八匹猫がいたことも。

私が高校の頃可愛がっていたチャッピーという猫だけ残して、結局両親が話し合いみんなよその家へ手放してしまいましたが。

日曜の夜には動物のドキュメンタリーを必ず父と視て、色んな話しをし。

「命」の在り方みたいなこと。

父が沢山のことを教えてくれました。

そんなことを懐かしく思い出したり。


記憶の雀。



続く



19:09

長い。悪い癖。つい瞬間瞬間を思い出しては浸ってしまう。