続き | ©猫と春風の花慈しみ愛で。心。

©猫と春風の花慈しみ愛で。心。

猫たちと暮らす穏やかでささやかな日常。
当たり前だけど、当たり前じゃない、
がかけがえない特別な宝物の瞬間瞬間。
一日一日大切に丁寧に重ねています。
(旧ブログ「神様がくれた宝物2007〜」より)




そう。不思議なことはそれだけではなく、旧blogや数々あるtwitter、今blogに、願いやずっと心にある大切な想い、今現実に発展や進化の裏側にある心の退廃や荒みや冷却、何故そうなったのかなど、これまであふれるほど描いてきた想いが、その本の今読み進めている中に次々と出てくる。

今日読んだ頁に、「キリストは民を救い幸福と愛の空へと導く『道』である」と描かれていて。

鳥肌が立ち、ドキドキが止まらない。

以前旧blogで「報道について」という記事を描きましたが、あまりに毎日毎日続く悲惨で冷酷な事件。それを毎日毎日視続けている子供たちは、その現実にどれほど悪影響を受けるか。

だからどうしたら良いのかという導きはそこになく。

心に悪の連鎖が毎日毎日眼から入り続けて、脳に刷り込まれ続ける。

報道やテレビはもっと前向きに、優しい未来を導くものであって欲しい。

そのようなことを描いて。

先日読んだ頁に、そのままのことがそっくりそのまま描いてあり。

如何に脳や心に与える影響が重要なことであるかが記されていました。

最近毎日我が子をあやめる報道や。

それを耳にする度に如何に心の荒んだ時代であるかが判り。

そういう人間が一人いたら、確率から言えば裏ではもっといる計算になる。

以前、地元駅近くの派出所で、お酒に酔った若い男性が警察官と辺りに響き渡るような大声で揉めて暴れていて。

側でまだ幼稚園くらいの男の子が「やめてー!やめてー!やめてー!もうやめてー!」と大声で泣き喚いている。

その状況と子供の様子から、常習的な出来事なのではないかなと思った。

その子が父親見て育ち、傷ついた心でどのように成長していくのか、逆に賢い優しい大人になって欲しいとか、いらぬ余計なことを考えてみたり。

子供を毎日毎日ボロボロに傷つけ続けて育てた親の、その子供は、いくら理性で判っていても、また結果自分の子供を傷つけてしまうと言われていて。

正に悪の連鎖が今の現実社会に起こっている。

ただ優しい時代がくるといい。小さな頃から染み付いた父の言葉や想いの影響で、私はそれしか頭にない。

今、この瞬間に、大切な我が子の頭を撫で、抱き締める。

ずっと今一番大切なことのように想っている。

未来の為に。


そんなことをずっと考えて描いてきたりして。

勿論一番の理想だから、全く同じことが聖書に書いてあっても不思議ではなく