再・Face「個人」という「顔」 | ©猫と春風の花慈しみ愛で。心。

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猫たちと暮らす穏やかでささやかな日常。
当たり前だけど、当たり前じゃない、
がかけがえない特別な宝物の瞬間瞬間。
一日一日大切に丁寧に重ねています。
(旧ブログ「神様がくれた宝物2007〜」より)




私、美人でも何でもないですが。

いくら若いつもりでいても、やがておばあさんになりますし。

よく旧blogやtwitterにも描きましたが、子供の頃、母によくからかわれて「カンボジアの子みたい」とか「インドネシアの子みたい」とか言われていましたし。

小さい頃から父と動物もののドキュメンタリーなど視るのが大好きで、日曜の「野生の王国」は欠かさず視ていて。

しまいにはオラウータンが出ると母が「似てる」って。ずっとそんな感じで家族にからかわれて育ちましたから。

段々自信なくなり、コンプレックスの塊で。

父には「小さな頃は可愛かった」と言われたり。

ほら、写真なんかいくらでもちょっとはマシに撮れたりしますし。

若い頃は若いというだけで、それなりだったりするし。

私、現実には今でも正直鏡を視ると確かに一瞬オラウータンに似てるとか思ってしまいますから。

トラウマですかね。

だから、それなりの写真ばかりですが。

顔ではなく【表情】。微妙なそれなり。

でも自分では誰にも似ていない一種独特な?憎めない顔と思ったりしてる。


何もなければ悪い思考一切持ちませんから。

罪のない。

Face-全く罪ない全く無関係の一般人「個人」という「顔」-

アピールでは一切ありません。

有り得ないことが毎日毎日延々あり過ぎて。

私個人であるという意味でやむを得ずアップしました。

顔出しはほとんどそういう意味。

「この個人に決して何ら危害を加えてはならない」

ネット上であれ。

そういう意味です。

Face①②③④もお読み下さい。

blog記事の中の【瞬間表現の鏡写真】たちは、毎日毎日続く悪質異常な有り得ない日々の気分転換。

気持ちの切り替え。

殻を破り、自己表現に目覚めて段々楽しくなってハマったもの。



※20160324
この記事は過去記事にリンクを貼ったもの。その元記事をアップした時点で再びリンクを貼り直します。

予め記事順次整理アップまで。