エレミヤ牧師が解説するイザヤ書の勧め。20章。しるしと不思議のリバイバル、裸と恥を現すリバイバル | 恐れずに ただ 信じていなさい(自分の十字架とはキリストの弟子としての歩み)

エレミヤ牧師が解説するイザヤ書の勧め。20章。しるしと不思議のリバイバル、裸と恥を現すリバイバル

アモス 3:6-7

町で角笛が鳴ったら、民は驚かないだろうか。

町にわざわいが起これば、それは【主】が下されるのではないだろうか。

まことに、神である主は、そのはかりごとを、

ご自分のしもべ、預言者たちに示さないでは、何事もなさらない。

 

以上を心に留めて。

 

 

今回は、イザヤ書20章です。

聖書は70人訳で解説されています。

動画の概要ランに70人訳がありますので、

先ず、お読みください。

その後で、動画をご覧ください。

 

「しるしと不思議のリバイバル、裸と恥を現すリバイバル」

 

聖書は「たとえ」を用いて書いてある。

 

エジプト=この世、この世に付いたクリスチャンのたとえ。

エチオピア=クシュ=「黒」、

黒=罪がある。

白=罪がない。

エジプト化したクリスチャン=この世に付いたクリスチャン。

 

モーセ、イスラエルは、エジプトから出て来た。

出エジプト記=この世から教会が出て来る型。

 

アッシリア=カトリックのたとえ

カトリックはこの世に付いたクリスチャン。

カトリックはスキャンダルが多く、裸と裸足の恥がある。

 

カトリックには、悪霊のしるしと不思議がある。

聖霊による、しるし、不思議は

罪ある教会には起きない。

 

 

信仰の基本中の基本

神に従う時、はじめて恵みがあり祝福がある。

 

その悪霊はプロテスタントにも及んでいる。

しるしと不思議の悪霊のリバイバルが

プロテスタントに起きている。

 

日本の教会でスキャンダルが多いのは

ペンテコステ派である。

つまり霊に関係している。

聖霊、聖霊と言って悪霊を掴んでいる。

 

・裸、裸足について・

 

黙示録 16:12-16

第六の天使が、その鉢の中身を大きな川、ユーフラテスに注ぐと、

川の水がかれて、日の出る方角から来る王たちの道ができた。

わたしはまた、竜の口から、獣の口から、そして、偽預言者の口から、

蛙のような汚れた三つの霊が出て来るのを見た。

これはしるしを行う悪霊どもの霊であって、

全世界の王たちのところへ出て行った。

それは、全能者である神の大いなる日の戦いに備えて、

彼らを集めるためである。

――見よ、わたしは盗人のように来る。

裸で歩くのを見られて恥をかかないように、

目を覚まし、衣を身に着けている人は幸いである。――

汚れた霊どもは、

ヘブライ語で「ハルマゲドン」と呼ばれる所に、王たちを集めた。

 

 

神の義の衣を脱いで、

悪霊の衣を着ている裸のクリスチャン。

 

エペソ 16:14-15 

では、しっかりと立ちなさい。

腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、

足には平和の福音の備えをはきなさい。

 

足には、福音の伝道の奉仕を履く。

裸足ではいけない。

 

ローマ 10:15

遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。

次のように書かれているとおりです。

「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」

 

弟子には、

「義の衣」である「信仰」と、

「神の御心」である、「宣教の行いの履物」、

この二つが絶対に必要であり、

「聖霊の助け」「聖霊の言葉に聞き従う」

事により伴うようになる。

 

聖霊=助け主、助言者、導き手、神の霊

 

初めから完璧な弟子はいない。

この世でも、石の上に3年と言う。

しかし、

いつまでも実を結ばない木には

切り倒され、塀の外に捨てられる。

だから、祈り求める事が大切である。

 

そして、

神の前に正しい祈りには、聖霊の答えがある。

しかし、

正しくない祈り(偽教理)には、悪霊が答える。

 

神は聖なる・聖なる・聖なる方である事を

よく覚えておく必要がある。

聖なる神は、

悪、闇、穢れ、不正、偽り、あらゆる罪とは、

無関係な方である。

 

 

 

 

 

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*:イザヤ書20章

 

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