エレミヤ牧師が解説するエゼキエル書の勧め。30章。終末、この世の霊(人)が基督教団に入ってくる。 | 恐れずに ただ 信じていなさい(自分の十字架とはキリストの弟子としての歩み)

エレミヤ牧師が解説するエゼキエル書の勧め。30章。終末、この世の霊(人)が基督教団に入ってくる。

アモス 3:6-7

町で角笛が鳴ったら、民は驚かないだろうか。

町にわざわいが起これば、それは【主】が下されるのではないだろうか。

まことに、神である主は、そのはかりごとを、

ご自分のしもべ、預言者たちに示さないでは、何事もなさらない。

 

以上を心に留めて。

 

 

今回は、エゼキエル書の30章です。

動画の概要ランに70人訳がありますので

まず、御自分でお読みください。

その後で、動画をご覧ください。

 

 

この世についた人々が、

いろんな基督教団の中に入って行く、終末。

 

 

混血=神の言葉とこの世の言葉が混ざり合う。

 

新約の神の子ら=キリストの血による

            永遠の命の契約を受けいる。

 

クリスチャン=神の養子、ある条件で解消可能。

 

契約=ある条件で解消が可能。

 

神のとの契約解消条件=姦淫。

 

神とクリスチャンの契約も解消可能である。

 

「救いは取り消されない」と言う教義は嘘。

 

「患難前携挙」、「救いは取り消されない」と

信じているクリスチャンは、

「祝福」「呪い(災い)」も神から来る事を

正しく理解していない。

彼らの集会に、災い(妨害)が臨むと

サタンの攻撃と思い込み、

自分達の内に罪を見いだす事ができない。

逆に、サタンの攻撃だと思う事で

自分達は神の御前に正しいと更に思い込む。

傲慢であり謙虚さがない。

 

神の御前に完全に正しければ

いかなる災いも望まない。

これは真理である。

 

しかし、

災いが来るのは、

神が、神の子としてその人を

扱っておられる証拠である。

 

あの使徒ペトロですら、ふるいに掛けられ、

災いの中にペトロが置かれると、

ペトロの中に罪が見出されている。

 

イエスを3回しらないと言い、呪いの言葉を口にした。

 

そして、ペトロは悔い改め激しく泣いた。

神は、その涙を見られペトロを憐れまれ、

固く使徒として立てられている。

 

多くのクリスチャンが救われていると信じているのに、

病や苦難に遭うのは、その為である。

外ではなく、自分の内を見る必要がある。

 

私を含め、

信仰を吟味する必要があるクリスチャンが多い。