エレミヤ牧師が解説するエゼキエル書の勧め。6章。神の激怒は偶像(器)崇拝に向けられる | 恐れずに ただ 信じていなさい(自分の十字架とはキリストの弟子としての歩み)

エレミヤ牧師が解説するエゼキエル書の勧め。6章。神の激怒は偶像(器)崇拝に向けられる

アモス 3:6-7

町で角笛が鳴ったら、民は驚かないだろうか。

町にわざわいが起これば、それは【主】が下されるのではないだろうか。

まことに、神である主は、そのはかりごとを、

ご自分のしもべ、預言者たちに示さないでは、何事もなさらない。

 

以上を心に留めて。

 

 

今回は、エゼキエル書の6章です。

動画の概要ランに70人訳が

ありますのでご覧ください。

 

 

偶像崇拝とは、器崇拝を指す。

例えば、

「ある者が、「この像に祈れば願いが叶う。」

と、あなたに言った。

あなたは、信じてそのように行った。」

 

これが器崇拝、偶像崇拝である。

 

間違ってはいけない。

 

像に祈る事が偶像崇拝ではなく、

その事を教えた人物が語った事、

つまり、

その人(器)を信じ行う事が器崇拝です。

人(被造物)を神のように崇めてはいけません。

像には何も意味がなく、命もありません。

 

最初の器崇拝者はエバであり、

最初の偶像、器(像)は蛇、サタンである。

つまり、エバは最初の悪魔崇拝者である。

エバが食べた実に意味はい。

 

 

黙示録には、その器崇拝が警告されています。

 

黙示録 13:15

それから、その獣の像に息を吹き込んで、

獣の像がもの言うことさえもできるようにし、

また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。

 

獣の像とは、銅像、木像の像ではなく、

獣のイメージを指します。

つまり、サタンのイメージである人。

反キリストを指します。

 

この反キリストが神のように語ります。

そして、人々は反キリストを信じ行い、

礼拝します。