安息日に関する聖書の教えとは? 神のなさるわざに信頼する。 | 恐れずに ただ 信じていなさい(自分の十字架とはキリストの弟子としての歩み)

安息日に関する聖書の教えとは? 神のなさるわざに信頼する。

安息日に関する聖書の教えとは?

それは、我々が仕事、行いをなさず、

神のなさるわざに信頼することを語るもの。

土曜日に仕事を休めなどとのことがらを

命じたものではない。

 

以下、聖書箇所。

 

ヘブル 3:11-4:11

わたしは、怒りをもって誓ったように、

決して彼らをわたしの安息に入らせない。」

兄弟たち。あなたがたの中では、

だれも悪い不信仰の心になって

生ける神から離れる者がないように気をつけなさい。 

「きょう」と言われている間に、日々互いに励まし合って、

だれも罪に惑わされてかたくなにならないようにしなさい。 

もし最初の確信を終わりまでしっかり保ちさえすれば、

私たちは、キリストにあずかる者となるのです。

「きょう、もし御声を聞くならば、御怒りを引き起こしたときのように、

心をかたくなにしてはならない。」と言われているからです。 

聞いていながら、御怒りを引き起こしたのはだれでしたか。

モーセに率いられてエジプトを出た人々の全部ではありませんか。 

神は四十年の間だれを怒っておられたのですか。

罪を犯した人々、しかばねを荒野にさらした、

あの人たちをではありませんか。 

また、わたしの安息に入らせないと神が誓われたのは、

ほかでもない、従おうとしなかった人たちのことではありませんか。

それゆえ、彼らが安息に入れなかったのは、

不信仰のためであったことがわかります。 

こういうわけで、神の安息に入るための約束はまだ残っているのですから、

あなたがたのうちのひとりでも、

万が一にもこれに入れないようなことのないように、

私たちは恐れる心を持とうではありませんか。

福音を説き聞かされていることは、私たちも彼らと同じなのです。

ところが、その聞いたみことばも、彼らには益になりませんでした。

みことばが、それを聞いた人たちに、

信仰によって、結びつけられなかったからです。

信じた私たちは安息に入るのです。

「わたしは、怒りをもって誓ったように、

決して彼らをわたしの安息に入らせない。」と神が言われたとおりです。

みわざは創世の初めから、もう終わっているのです。

というのは、神は七日目について、

ある個所で、「そして、神は

、すべてのみわざを終えて七日目に休まれた」と言われました。

そして、ここでは、

「決して彼らをわたしの安息に入らせない」と言われたのです。

こういうわけで、その安息に入る人々がまだ残っており、

前に福音を説き聞かされた人々は、

不従順のゆえに入れなかったのですから、

神は再びある日を「きょう」と定めて、長い年月の後に、

前に言われたと同じように、

ダビデを通して、

「きょう、もし御声を聞くならば、

あなたがたの心をかたくなにしてはならない。」と語られたのです。

もしヨシュアが彼らに安息を与えたのであったら、

神はそのあとで別の日のことを話されることはなかったでしょう。

したがって、安息日の休みは、神の民のためにまだ残っているのです。

神の安息に入った者ならば、神がご自分のわざを終えて休まれたように、

自分のわざを終えて休んだはずです。

ですから、私たちは、この安息に入るよう力を尽くして努め、

あの不従順の例にならって落後する者が、

ひとりもいないようにしようではありませんか。

 

 

出エジプト 20:8

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

 

 

私も、信仰に入った時には、

色々な教えに捕らわれて惑わされました。

7デイズの安息日の教えもその一つです。

 

今の時代、信仰に入る人は

色んなサタンの惑わしの霊が教会の教義に

入っているので必ず惑わされます。

 

自分で真理を祈り求める事が必要です。

 

安息日を守るとは、

神への信頼を覚える事です。

 

また、

「聖霊の内住」の言葉も惑わしです。

「洗礼を受けなければ聖霊の内住がない」とか、

「聖霊を受けると異言を話す」とかも惑わしです。

 

神は、求める者に聖霊を下さる。

これが真理です。

そして聖霊は聖書の真理を悟らせて下さる。

これが真理です。

 

神の言葉、聖書を正しく理解するように

自分を引くして神に求める者には、

聖霊の働きがある。

 

多くの者は、傲慢にも、

自分の考えに聖書を合わせようとして祈る。

そこには、聖霊の働きはない。

かえって悪霊が働く。

この事を覚えなければならない。

 

患難前携挙を信じる者は、

患難前の真理を求めるが、

真理ではないので悪霊が働く。

よって、自分では真理、悟りを得たつもりでも

殆どの牧師が黙示録を正しく悟る事が出来ていない。

 

神に祈り求める時には、真理でなければならない。

分からない時には、

「分からないので教えて下さい」と祈らなければならない。

自分に神を合わせようとしてはならない。

その時には、聖霊ではなく悪霊が働く。

 

主なる神は、聖なる 聖なる 聖なる方である。

光と闇、善と悪、義と不義が、

互いに関わりがないように、

神への祈りも、正しい祈りでなければならい。

正しい祈りのは、聖霊が働かれる。

これが祈りの真理である。

 

この事が理解できるのであれば、

不正な祈りには、

悪霊が働く事が理解できると思います。