2024年6月5週目・エレミヤ牧師の聖書解説動画の紹介です。是非ご覧ください。 | 恐れずに ただ 信じていなさい(自分の十字架とはキリストの弟子としての歩み)

2024年6月5週目・エレミヤ牧師の聖書解説動画の紹介です。是非ご覧ください。

紹介動画は2本になります。

是非御覧ください。

そして、拡散して下さい。

 

 

 

<ポイント>

 

<キリストを信じたものは永遠の命を持つ>

我々のこの世の命、人生は有限である。

大事なことは、今この生の間に永遠の命への 道を獲得すること

 

<私は命のパン>

パンは一度食べれば一生満腹というわけでなく、

生きていくには毎日食べる必要がある。

我々は命のパンであるキリストのことばを毎日 受ける習慣を持ち、

そのように生活習慣をつけるべきである。

 

<マナを食べ死にました>

パウロがロマ書で語ったように、命に導くはずの律法が

かえって死に至らしめる、という、ことはある。

我々は文字に書かれた教えでなく、

心に記された 律法に従って生きる、ということを体得すべきである。

 

<キリストは天から下ってきたパン、食べるとき、死なない>

人が何を食べるかということは体の健康の基本である。

添加物や、毒素のある食べ物はその人を病においやる。

同じ意味合いでクリスチャンの基本は何を霊的な食べ物、常食とするかということ。 キリストのことば、パンを食べ続けるとき、

それは 信仰を与え、我々をこの世的な常識から脱却させ、

ついには永遠の命へと導く。

 

<人の子の血を飲む>

血は聖餐式のぶどう酒に通じ、それは聖霊のたとえ。

聖霊こそ、我々が受けるべき、真の飲み物。

 

<人の子の肉、血>

人間は肉体と血からできている。

そして、キリストは その肉体も血も我々のために犠牲にし、

ささげたことが 書かれている。

すなわち、自分の命を犠牲にして我々を助け、 道を開いた。

我々もそれに応じて、自分の身をささげてこの方に仕えていくことに ポイントがある。

 

 

 

 

<ポイント>

 

<全焼のいけにえ、なだめの供え物>

70人訳では、全焼のいけにえは、

甘いにおいのささげものであることが書かれている。

我々自身を全焼のいけにえ、肉が聖霊の 火で焼かれたものとしてささげるなら、

それこそ、 主に喜ばれる主にとって甘いかおりの ささげものである。

そして、この全焼のいけにえを ささげることが

礼拝の中心であることを知るべきである。

 

<油を混ぜた小麦>

小麦はパンの材料であり、みことばに かかわる奉仕のささげもののたとえ。

主のみことばの奉仕は神が望むものだが、しかし、 そのパン、メッセージは油、

すなわち、聖霊から 来たメッセージであるべきである。

 

<イスラエル人にとっても在留異国人にとっても一つのおきて>

神のことばは、人により、内容が変わるわけではなく、

イスラエル人も 異邦人も等しくモーセの十戒を守るべきである。

従って殺すなとの十戒を破り、ガザ殺戮を繰り返す

イスラエルに正義も神のみことばへの尊重も無い。

クリスチャンは戒めを破る彼らを叱責、悔い改めるよう 語るべきであり、

殺人に迎合、賛同するべきでない。

盲目な 愚かなものになるべきではない。

 

<祭司は民が気づかずに犯した罪に関してあがないをなす>

罪の中でも意図的に犯した罪とそれと知らずに犯してしまった 罪とがある。

かつての日、民は律方学者、パリサイ人などの煽動により、

何も知らず、キリストをそれと知らず、十字架につけて殺した。

その民に関して、キリストが

「父よかれらを許してください、彼らを何をしているのか知らないからです。」と

祈られたことはまさにその知らないで犯す罪への あがないをなす祭司の姿である。

 

<安息日にたきぎを集める>

安息日は7日目であり、7つ目のミレニアム、今のミレニアムの型。

その日には火をたくことをすべきでなく、そのたきぎを集めるべきでない。

火は霊的なことのたとえであり、7つ目のミレニアムに悪霊の火、

悪霊の リバイバルを教会にもたらす人々への警告。

 

<青いふさを見て律法を思い起こす>

青は天的な色であり、それは聖霊のたとえ。

ヨハネ14章で言われているように、聖霊がきたとき、

すべてのことを 我々に思い起こさせる。

時や機会に応じて必要なみことばを 我々の心に浮かべさせ、

思い起こさせてくださる。