クリスチャンに滅びをもたらす偽教義。「造語・患難時代のクリスチャン」追加1 | 恐れずに ただ 信じていなさい(自分の十字架とはキリストの弟子としての歩み)

クリスチャンに滅びをもたらす偽教義。「造語・患難時代のクリスチャン」追加1

現在、「患難前携挙」を教える教会では、

黙示録に出て来るクリスチャンを

「患難時代のクリスチャン」として、

自分達と区別しています。

 

「患難時代のクリスチャン」とは、

黙示録には、一言も出て来ない言葉であり

惑わしの言葉、造語であり、

聖書に付け加えられた偽りの言葉です。

 

黙示録 22:18

この書物の預言の言葉を聞くすべての者に、わたしは証しする。

これに付け加える者があれば、

神はこの書物に書いてある災いをその者に加えられる。

 

主イエスは明確に宣言され、

災いを下すと言われています。

造語は、この御言葉に違反しています。

 

造語の目的は、「患難前携挙説」に

信憑性を持たせる事であり、

先の御言葉通りに、

信じた者に、神の災いが下るようにするためです。

つまりクリスチャンの滅びです。

これが目的です。

つまりサタンの業です。

 

患難前携挙は、ユダヤ人が持ち込んだ

ディスペンテーション主義に基づいています。

第六の時代、つまり教会時代が終わり、

第七の時代、ユダヤ人の時代が始まる。

そして、第七の時代、ユダヤ人と異邦人は

患難時代を通り悔い改める。

罪が贖われた教会はその前に天に挙げられる。

これが患難前携挙説が作られた本質である。

 

ですが、これらは嘘である。

聖書は教会の背教、そして裁きが記されてある。

患難時代とは、その背教の教会に

キリストの弟子が迫害に遭う。

それが患難時代である。

 

つまり、天的なクリスチャンを

地的なクリスチャンが迫害するのである。

神の民が神の民を迫害する。

初降臨の時に、主イエスと弟子たちが、

神の民であるユダヤ人に迫害されたのと同じである。

同じ事が繰り返される。

 

また、他にも、

「エゼキエル戦争」、「第三神殿の建設」は造語であり

その目的は同じ、

「患難前携挙説」の補完と、

クリスチャンの滅び。

 

患難前を信じるクリスチャンには

次の言葉が成就しています。

2テモテ 4:3-4

だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。

そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、

好き勝手に教師たちを寄せ集め、

真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります。

 

ですが、これらのクリスチャンが

信仰に入った時から、

「患難前携挙」は教義とされているのですから

信じてしまうのも、ある意味、無理もありません。

私もそうでした。

抜け出すのに7年掛かりました。

 

また、この事で分かるように、

教会は、既に神の御言葉に逆らっており、

神に背信し、背教へ向かっている事が分かります。

よって、神はさらに惑わす霊を送られるのです。

 

2テサロニケ 2:9-12

不法の者は、サタンの働きによって現れ、

あらゆる偽りの奇跡としるしと不思議な業とを行い、

そして、あらゆる不義を用いて、滅びていく人々を欺くのです。

彼らが滅びるのは、

自分たちの救いとなる真理を愛そうとしなかったからです。

それで、神は彼らに惑わす力を送られ、

その人たちは偽りを信じるようになります。

こうして、真理を信じないで不義を喜んでいた者は皆、裁かれるのです。

 

まだ、「不法の者」は現われてはいませんが、

「不法の秘密の力」は働いています。

真理を求めない者に、

神は惑わす力、惑わしの霊を送られます。

そして、真理を求めない者、、

自分に都合が良い事を喜ぶ者の、

滅びが宣言されています。

 

「不法の秘密の力」は、

2000年前から働いています。

正に、「患難前携挙説」がそうであり、

それを補完、補強するためのあらゆる造語、

偽教義が作られ教義とされています。

また、悪霊による、しるし、不思議が

教会で行われ、受け入れられています。

 

これからさらに悪くなります。

それは、同性愛を受け入れる教会が

出て来ているからです。

神は、同性愛を罪としておられます。

ソドムは同性愛の罪で火で滅ぼされ、

後の世代の見せしめとされています。

 

ローマ 1:25-28

神の真理を偽りに替え、

造り主の代わりに造られた物を拝んでこれに仕えたのです。

造り主こそ、永遠にほめたたえられるべき方です、アーメン。 

それで、神は彼らを恥ずべき情欲にまかせられました。

女は自然の関係を自然にもとるものに変え、

同じく男も、女との自然の関係を捨てて、互いに情欲を燃やし、

男どうしで恥ずべきことを行い、

その迷った行いの当然の報いを身に受けています。 

彼らは神を認めようとしなかったので、神は彼らを無価値な思いに渡され、

そのため、彼らはしてはならないことをするようになりました。

 

ユダ 1:7

ソドムやゴモラ、またその周辺の町は、この天使たちと同じく、

みだらな行いにふけり、不自然な肉の欲の満足を追い求めたので、

永遠の火の刑罰を受け、見せしめにされています。

 

と書いてある通りです。

 

いずれ、これらの書簡は、

米国、獣の国により、偽書とされ否定されます。

パウロは偽使徒とされるでしょう。

 

既に、ローマ書の著者である

パウロには偽使徒と噂が流されています。

*:本当の著者は神御自身。

 

 

しかし、真理を求める者には

聖霊の助けがあり、真理の目が開かれるのです。

 

ルカ 11:13

このように、あなたがたは悪い者でありながらも、

自分の子供には良い物を与えることを知っている。

まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。

 

と書いてある通りです。

 

しかし、

「患難前携挙」を信じているクリスチャンは

既にパン種が入ったパン(偽教義)で満腹しており、

「無事だ、安全」と言い、「食べたり飲んだり」しており、

真理を求める事はない。

そればかりか、「救いは取り消されない」と言う

偽教義を信じ、

異邦人と変わらない地に付いた生活をして、

常に罪を犯し、白い衣を汚している。

 

この者達は、

「油(聖霊)を持たない愚かな乙女」であり、

主イエスから「あなた達の事は知らない」

「不法を働く者達」と言われ追い出されるクリスチャン。

そして、歯ぎしりするクリスチャン。

地的なクリスチャンである。

滅びるクリスチャンである。

 

主イエスが「次のようにしなさい」

教えられても「しない」のである。

 

 

マタイ 6:33

何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。

そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。

 

マタイ 7:7-8

求めなさい。

そうすれば、与えられる。

探しなさい。

そうすれば、見つかる。

門をたたきなさい。

そうすれば、開かれる。

だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。

 

しないのは、信じてないからである。

都合が良い「祝福だらけの福音」

「患難前携挙」は信じても、

真理は求めないのである。

 

 

仮に、彼らが祈り求めても、

それは、「祝福だらけの福音」

「患難前携挙」を補完するためであり、

自分に都合が良い事だけである。

それは、真理を求めてはいない。

 

真理を求めなければ、神からの返答は得られない。

逆に惑わしの霊が送られる。

災いが来る。

しかし、真理を求めるならば、

神は助け主である、聖霊を下さる。

聖霊は神の霊、神の御心を知る霊。

だから、神が記された聖書を

正しく理解できるようになる。

変えられる。

 

真理を求めなければ、助け主は来ない。

 

黙示録は、クリスチャンへの警告の書。

ユダヤ人や異邦人への警告の書では無い事を

先ずは、正しく理解するべきである。

 

追加1

 

殆どのクリスチャンは大きな思い違いをしている。

聖書に書いてある

「不信心な者」「不信仰な者」

「異邦人」、「未信者」だと思い込んでいる。

しかし、聖書はクリスチャンの為の書物である。

聖書が言う、

「不信心な者」、「不信仰な者」とは

「クリスチャン」を指している。

 

「不信心な者」、「不信仰な者」とは

キリストを十字架に付けた神の民ユダヤ人、

それは、新約においての、

地に付いた群衆クリスチャンの事である。

 

多くのクリスチャンがこの事を理解していない。

「祝福だらけの福音」を信じ、

「救いは取り消されない」と信じているからである。

 

黙示録 3:5

勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。

わたしは、彼の名を決して命の書から消すことはなく、

彼の名を父の前と天使たちの前で公に言い表す。

 

 

勝利を得る者は、白い衣を着せられ、

命の書か名が消される事がない。

しかし、

「彼の名を決して命の書から消すことはなく、」

と、「消される者もいる」ことが、

はっきり書いてある。

 

「救いは取り消されない」これは嘘である。

都合がよい偽教義である。

 

この一文は、

「祝福だらけの福音」

「患難前携挙説」を広める者にとっては邪魔である。

よって、

黙示録に出て来るクリスチャンを

「患難時代のクリスチャン」を呼び出した。

そして、

患難前に携挙されるクリスチャンと区別した。

 

そして、「祝福だらけの福音」と

「患難前携挙」を信じるクリスチャンは、

この都合がよい

偽りの解釈、偽教義、造語を信じて疑わないのである。

そして、自分に滅びを招いている。

 

追加終わり。

 

 

 

 

 

 

 

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