2024年4月第5週目のエレミヤ牧師の聖書解説動画の紹介です。是非御覧ください。 | 恐れずに ただ 信じていなさい(自分の十字架とはキリストの弟子としての歩み)

2024年4月第5週目のエレミヤ牧師の聖書解説動画の紹介です。是非御覧ください。

紹介動画は2本になります。

是非御覧ください。

そして、拡散して下さい。

 

<ポイント>

「墓の中にいるものが彼の声を聞く」

死んで無になる、消滅する、とは聖書は語らない。

逆に生きているときに行ったことの報いを

いずれ良くも悪くも 我々は受けることを聖書は語る。

 

「邪悪を行ったものは蘇って罰へと入る」

良いことを行ったものも邪悪を行ったものも 死後蘇る。

そして良い行いをしたものは、 永遠の命へ入り、

邪悪を行ったものは死後の 罰へと入る。

 

「聞いたように裁く」

死後の裁判の裁判官はイエスキリストである。

しかし、その裁きは人としてのキリスト個人の意思でというより、

父なる神の意思に従って行われる。

 

「自分自身を証するなら、それは真理ではない」

自己義認、自己宣伝は有効でなく、真理を語るものではない。

 

「私を証する他の者」

聖霊はキリストを我々に証し、証言し、

どのような方であり、 どのようなことをなされたかを我々に語る。

 

「真理について証する」

今の時代は真理に似ているが、しかし、実際は似て非なるものが多い。

セブンスデー、またイスラムの教えも真理に似てしかし、

実際は真理と異なる教えである。

 

 

<ポイント>

 

「幕屋に油を注ぎ」

幕屋での礼拝は今の教会の礼拝に通じる。

そのとき、神は幕屋の あらゆる器具、家具に油を注ぐよう命じた。

すなわち、我々の礼拝に関わる奉仕は

全て聖霊の油注ぎの下で行われるべきである。

 

「イスラエルの族長は捧げ物を持ってくる」

その捧げ物の一つは、牛である。

牛は清い動物であり、クリスチャンの型。

すなわち、自分の身を神に喜ばれる捧げ物としてささげることが 真の礼拝である。

 

「これらを幕屋の働きのため取れ」

幕屋の奉仕のため、牛を取ることが語られている。

すなわち、これらの捧げられたクリスチャンを通して、

神の働きが進むことが 真の礼拝である。

 

「これをレビ人に渡した」

レビ人すなわち、弟子を通して、神の働きが進むことが 神の方法。

一般の歩みをしている人がその奉仕にあずかるようにとは、 命じられていない。

 

「銀の皿、油を混ぜた小麦粉で満ちた鉢」

器(働き人)をささげること、そしてその働き人は、

聖霊(油)によるメッセージ(小麦粉)を捧げるよう 命じられている。

 

「香で満ちた金のひしゃく」

祈りの香、そして聖霊の水を汲みだすひしゃくをささげるよう 命じられている

 

「子牛、羊を全焼のいけにえとして」

全焼のいけにえ、すなわち、全く肉が焼かれた歩みをする 働き人をささげるべき

 

「平和のささげもの」

神と対立状態、戦争状態を脱して、平和の関係に入るために

キリストはご自分をささげた。