【雑談】「Olam Ha Ba」と「Olam Ha Ze」、「タルムード」と「モーセ五書」 | 恐れずに ただ 信じていなさい(自分の十字架とはキリストの弟子としての歩み)

【雑談】「Olam Ha Ba」と「Olam Ha Ze」、「タルムード」と「モーセ五書」

「Olam Ha Ba」と言う言葉をご存じでしょうか。

 

下記をお読み下さい。

 

wikiから引用します。

 

ヘブライ語聖書を正典とするユダヤ教においては、

選民としてのユダヤ人とそれ以外の異邦人に分割している。

ゲル・トシャフ(居住外国人)とは、

古代イスラエルの地に住む異邦人(非ユダヤ人)で、

ユダヤ教に改宗することを望まず、

バビロニア・タルムードに規定されたノアの七つの法則に

従うことを受け入れた人々のことを指す。

ゲル・トシャフは3人のラビ法廷で7つのノアハイド法を受け入れることで認められる。彼らは共同体から一定の法的保護と特権を受け、

ユダヤ人と異邦人の関係に関する規則は変更され、

必要なときに彼らを援助する義務がある。

安息日に異邦人がユダヤ人のために仕事をすることへの制限も、

異邦人がゲル・トシャフである場合には厳しくなる。

ゲル・トシャフは一般的に「正義の異邦人」と呼ばれ、タルムードによると、

神が「ノアの息子たち」、つまり全人類を拘束する普遍的な道徳律として

与えた一連の命令に従い、来るべき世界(Olam Ha-Ba)での地位を保証している。

 

 

引用終わり。

 

御覧になったように、

ノアの7法、ノアハイド法は、

「Olam Ha Ba」、「来るべき世界」に

密接に関わっています。

 

「Olam Ha Ze」とは、「この世」の事を指し、

モーセ五書、トーラーは、

死後、来るべき世界については

沈黙しているとしています。

 

これらの事から、

ダルムードユダヤ教徒が、

トーラーを軽視し、

タルムードを重視している事が理解出来ます。

 

バビロニア・タルムードを信じる

ユダヤ教徒は、このような思想を持っており、

異邦人を差別しています。

この思想は、福音派クリスチャンも

思っています。

自分達は、救われており、

未信者は救われていない。

と信じて言います。

 

しかし、彼らは、

神は人それぞれの行いに、

応じて裁かれる事を知りません。

 

ローマ 2:11-14

神は人を分け隔てなさいません。

律法を知らないで罪を犯した者は皆、この律法と関係なく滅び、

また、律法の下にあって罪を犯した者は皆、律法によって裁かれます。

律法を聞く者が神の前で正しいのではなく、

これを実行する者が、義とされるからです。

たとえ律法を持たない異邦人も、律法の命じるところを自然に行えば、

律法を持たなくとも、自分自身が律法なのです。

 

と書いてある通りです。

 

 

世界が第三次大戦、終末戦争と言う、

闇に包まれた時に、

偽の光として、新秩序として、

このバビロニア・タルムードにある

ノアの7法が現れると思われます。

 

これを信じる者は、「正義の異邦人」とされ、

次の世界に入れますが、

ユダヤ人との区別は明白であり、

信じない者は、悪魔として排除殺されます。

クリスチャンは、斬首されると預言されています。

 

 

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以下は、本当に雑談ですので

軽い気持ちでお読み下さい。

 

セブンイレブンとローソンを、

ご存じたと思います。

 

その名の意味は

次のように言われています。

 

セブンイレブンは、

7と11=18であり、666の意味があると

言う人もいます。

 

ローソンは、

LAWSONであり、律法、息子と訳せます。

律法の息子?・・・ピンと来ません。

 

どちらとも、

陰謀論と言えば陰謀論であり、

聖書的と言えば聖書的でもあります。

 

ここで、この二つを合わせます。

 

7とLOW・・・・7つの法となります。

7つの法は、ノアの7法を指してはいなでしょうか。

 

11とSON・・・11の息子となります。

11の息子とは、また意味不明ですが、

検索するとヤコブの11番目の息子ヨセフ

がhitします。

 

ヨセフは、

エジプトでファラオに次いで権力者でした。

 

その時代、

イスラエルはエジプトへ移住、

その地でその数を増やしています。

 

しかし、ヨセフの死後、

ヨセフの知らないファラオの時代に

イスラエルは妬まれ、また、恐れられ、

その為に、迫害され、400年間奴隷とされています。

そして、モーセが現れます。

 

終わりの時代は、エジプト、ソドムの

ような時代と言われています。

 

黙示録 11:8

彼らの死体は、たとえてソドムとかエジプトとか呼ばれる

大きな都の大通りに取り残される。

この二人の証人の主も、その都で十字架につけられたのである。

 

と書いてある通りです。

 

終わりの時代、

ヨセフが居なくなったときに、

新約のイスラエルである教会の迫害が始まり、

そして、モーセが現れたように

黙示録11章の二人の証人が現れるのでないかと

思われます。

この二人は、エリアとモーセと言われています。

 

モーセが、黙示録では、二人の証人である事は

理解出来ますが、

ヨセフが、黙示録、または、

現代では誰を何を指しているのかは、

分かりません。

 

 

以上、雑談でした。